第80話 書きたいもの×書くべきもの
柚木さんが心配だ。早く会いに行かないと。
川名町の駅前のコンビニへ駆け込む。
小さな雑貨屋くらいしかない店内を見回すと、お菓子売り場の近くに柚木さんの姿があった。
柚木さんは、寂しげに百円のお菓子を見つめている。駆け寄ると、すぐに気づいてくれた。
「あ、先輩っ」
「ごめん、待たせちゃって。疲れたでしょ」
「いいえ。わたしの方こそ、わがままを言ってしまって、すみませんでした」
柚木さんの声に力がない。怒りがおさまって消沈してるのかな。
柚木さんは、アーモンドチョコレートのお菓子を両手でつかんでいる。
お詫びにそのお菓子を買ってあげよう。
「そのチョコ、食べる?」
「えっ、あ――」
「待たせちゃったから、俺が買うよ」
お菓子を取ろうとしたら、柚木さんがお菓子を慌てて棚へ戻した。
「お腹は、空いてないですっ。なんとなく見てただけですからっ」
「そうかい。なら、いいんだけど」
柚木さんに、なんて声をかければいいのか、わからない。
「ここにいても仕方ないから、帰ろうか」
「はい」
川名町の駅から、各駅停車の電車に乗って岩袋駅に行く。
急行の電車に乗り換えて、衣沢まで戻る。
帰りの電車でも柚木さんは静かだ。椅子に座って、ずっと口を閉ざしている。
「今日は大変だったね」
「あ、はいっ」
「あんなに言われるとは思わなかったよ。はは、参ったね」
左手で、わざとらしく頭を掻いてみる。早乙女さんも、こうして頭を掻いていた。
柚木さんが「ふふ」と苦笑して、
「本当ですよね。わたしもショックでした」
膝の上に置いている手をにぎりしめた。
「先輩が、無理しないでもっと気楽に小説を書けって言ったの、その通りだと思いました。わたしは、いい小説を書こうと息巻いて、背伸びしてたんです。社内恋愛なんて、どんなものか全然わかんないのに」
背伸びしていたのは、俺も同じだ。
「あの人に従うのは、すごい嫌ですけど、内容を変えた方がいいんですよね。そうした方が、いい小説になるんですよね」
なんて答えたらいいんだろう。早乙女さんの意見に従わせるべきか。
それとも、柚木さんの今の小説を薦めるべきなのか。
あの小説は、柚木さんの純粋な感性で書かれたものだ。
できることなら、柚木さんの今の小説を薦めたい。
電車の窓の風景が後ろへ流れる。
道路と民家ばかりだった風景が、衣沢の駅のホームに差し変わり、ホームで待つ人たちの姿が電車の後ろへ流れていく。
「柚木さん。駅前のカフェに寄っていかないかい? 小説のことで話がしたいから」
「はい。わたしでよければ、お聞きします」
午後四時に差し掛かるのに、気温は下がらない。空から陽の光が容赦なく降り注ぐ。
デパートの一階のカフェの客席は、ほとんど埋っている。
「空いてる席はありますか?」
「探してみよう」
窓際のカウンターの席が二つ空いていた。その席を確保してカフェを注文する。
「柚木さんの小説だけど、俺はどう判断したらいいかわからないんだ。早乙女さんの意見は正しいと思うけど、柚木さんの今の小説も、すごくいいと思うから」
柚木さんが、カフェラテのカップを両手で抱えたまま俺を見ている。
「読者の視点で考えたら、早乙女さんの意見に従うべきなんだと思う。だけど、そうすると、早乙女さんも自分で言ってたけど、作品が陳腐なものになってしまうんだ。それを薦めるのが、先輩として正しいのか」
柚木さんの小説は、とても新鮮だった。
なんというか、今までに読んだ小説と違う雰囲気と魅力を感じたんだ。
柚木さんの素晴らしい小説を、陳腐な発想で改悪したくない。
だけど、来月の勝負を優先するのなら、柚木さんの小説を直してもらうしかないんだ。
「柚木さんの小説を直したら、あの小説のいいところが消えちゃうんじゃないかと思う。そうなるくらいだったら、無理して内容を直さなくていいんじゃないかな」
先輩としてどう判断するのが正しいのか。俺にはわからなかった。
「嬉しいです」
柚木さんが、手をもじもじさせていた。
「嬉しいって、どうして?」
「だって、あの人には酷いことを言われたのに、先輩は、わたしの小説がいいって言ってくれてるんですから。それだけで、あの小説を書いてよかったって思います」
柚木さんが優しそうに笑ってくれた。
「小説は直します。文化祭の勝負のために書いてるんですから、読者に読まれない小説を書いたら本末転倒ですよ」
「そうだけど、それでいいのかな」
「いいんですっ。さっきは、あの人にめちゃくちゃ言われて怒っちゃいましたけど、先輩に気に入ってもらえて吹っ切れました! 小説を直して、あの人を見返しましょうっ」
柚木さんが、両手でガッツポーズを取った。
「先輩も、小説を直すんですよね」
「あ、うん。そうだけど」
「わたしも、先輩の小説がいいなって思うんですよね。主人公を美形キャラにするとか、さっき言ってた気がするんですけど、そういう作品って、きっと市販のラノベとか、深夜アニメかなんかでありますよね。そういう作品と同じになっちゃうのって、やっぱり悲しいです」
柚木さんも、俺の小説を気に入ってくれてるんだな。心がほっこり温まるよ。
「安易な内容に変えるのは不本意だけど、マニアックに書いても読者に受けないからね。仕方ないよ」
「そうですよね。わたしたちの気持ちを、学校のみんながわかってくれたらいいのに」
柚木さんがカップを抱えて嘆息する。
「小説のバックアップを取ろう」
柚木さんが目を瞬いた。
「バックアップ、ですか?」
「そう。小説はパソコンで保存してるでしょ。ファイルを直す前にコピーしておけば、今の小説を残せるから、バックアップを取っておこうよ」
柚木さんが、口を少し開けて俺を見つめている。
「今の小説を文化祭で使うことはないかもしれないけど、バックアップを残しておけば安心できるでしょ。その上で小説を校閲しよう」
柚木さんが目を見開いて、満面の笑みでうなずいた。
「はい。わかりましたっ」




