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第77話 プロの小説家の評価は

 アパートの中は、ごみ屋敷とまではいかないけれど、六畳一間の部屋にごみが散乱していた。


 玄関には、三足の靴が脱ぎ散らかっているし、居間へ続く短い廊下は、ビニール袋やコンビニ弁当の空箱が放置されている。


 読み捨てた小説やジャージも、辺りに散らかっていた。


 柚木さんは、部屋のあまりの汚さに絶句していたが、俺が足を踏み入れると、彼女はしぶしぶ部屋の扉を閉めた。


 鼻を強く刺激する異臭もすさまじい。


 汗臭さと生ごみの臭みが混ざって、とてつもない異臭が部屋に篭っている。


「散らかってっけど、その辺に適当に座ってくれ」


 早乙女さんが、部屋の隅に敷かれている布団に寝転ぶ。


 布団のまわりには、ビールや缶詰の空き缶が転がっている。


 早乙女さんが向こうの冷蔵庫を指す。


「冷蔵庫に茶が入ってっから、飲みたければ勝手に注げ」


「飲み物はいいです。それより窓を開けてもいいですか」


「少し臭うか? 悪いな」


 今すぐにコンビニでマスクを買ってきたくなるくらいに臭うのですが、そんなことは口が裂けても言えない。


 窓を開けて、足もとのごみをわずかに移動させる。


 部屋の隅のごみを動かすと、下から虫が出てきそうだ。


 柚木さんは、廊下の近くに居場所を見つけていた。お尻をつけずにしゃがみ込む。


 早乙女さんが頭をぽりぽりと掻きながら、右手を差し出した。


「じゃ、お前らの書いた小説を見てやるよ。早く貸しな」


「それより先にお伺いしたいのですが、あなたが早乙女蘭さんなんですよね」


「ああ、そうだよ。文句あるか」


「文句は別にないんですけど」


 こんな汚い部屋に住んでいる人が早乙女蘭さんだったなんて、未だに信じられない。


 早乙女さんが「け」と鼻で笑う。


「お前、俺が女だと思ってたんだろ」


「い、いえ。そういうわけでは――」


「顔にそう書いてあんぜ。こんな汚え野郎に会いたくねえってな」


 早乙女さんが小気味悪く嘲笑する。


「早乙女っつうのはペンネームだ。本名なんて出したら、地元の連中から身元が割れちまうだろ。だせえ本名なんか、そもそも使いたくねえし」


「それでしたら、本名はなんていうんですかっ」


 柚木さんが脇から口を挟んだ。少しむっとしながら。


 早乙女さんが、むくりと身体を起こして、


「俺の本名なんて、どうでもいいだろ。さ、お前らの書いた下手くそな小説をさっさと出しな。こう見えても俺は忙しいんだ」


 面倒くさそうに、右手をまた差し出した。


 柚木さんに目で合図を送る。柚木さんは不服そうに鞄から小説を取り出した。


「執筆の経験が浅いので粗いところが多いと思いますが、よろしくお願いします」


 柚木さんの小説と、俺の書いた小説をひとつにまとめて渡す。


 早乙女さんは、人を小ばかにする笑みを止めて小説を受け取った。


 早乙女さんが真剣な目つきで小説を読む。目と手だけを動かして、小説に読み耽っている。


 その姿は、さっきまでの冴えない風貌とはまるで別人だ。


 読み終わったら、先頭のページに戻って読み直している。その動作を三回も続けた。


 俺は生唾を呑み込んだ。


「なーるほど。よくわかったぜ」


 早乙女さんが俺に小説を突き返す。


「最初の三国志の方は、お前が書いたんだな」


「はい、そうです」


「んで、もう片方の社内恋愛の方は、あんたが書いたんだろう」


「はい」


「初めてにしちゃ、よく書けてるんじゃねえの」


 そう言って、早乙女さんが布団に寝転んだ。背中を向けて、ズボンの中から尻を掻く。


 意外なほどにあっさりした反応だ。滝のように文句を言われると思ったのに。


「あの、アドバイスは何かありませんか?」


「ねえよ。だってそれ、新人賞に出す作品じゃねえんだろ?」


「そうですけど、文化祭の大事な勝負が控えているので、作品をもっとよくしたいんです」


「そういや、文化祭の勝負がどうのこうのって、智子が言ってたな」


 また智子さんという名前が出てきた。この人が付き合っている人なのかな。


 早乙女さんが「どっこらせ」と身体を起こした。


「相手はなんだったっけ。プロの漫画家かなんかがいるんだっけ?」


「はい。そうです」


「プロの漫画家っつったって、高校生のくそがき程度じゃ大したことねえだろうけどな。でも、そんなやつとその小説で勝負したら、ぼろ負けだろうな」


 俺の胸に、強い痛みが走った。


 わかってはいた。


 俺の書いた小説では狐塚先輩に勝てないことくらい、わかっていたさ。


 俺が夏休みに書き上げた渾身の作品では、狐塚先輩に勝てない。


「だめですか、やっぱり」


「だめだな。はっきり言って零点だ」


「どこがだめなんですか!? 俺たちに教えてくださいっ」


 俺は向きになってテーブルを叩いた。ビールの空き缶が膝にぶつかって音を出す。


 早乙女さんが俺の小説を指した。


「どこがだめっつうか、それ、だれに向けて書いてるんだよ。そこをまず教えろよ」


「だれにって、文化祭で発表するんですから、うちの学校の生徒に向けて書いてるに決まってるでしょ」


「それなら、なんでそいつら向けの内容になってねえんだよ。おかしいだろうが」


「それは――」


 合宿で旅行している頃から苦心していたことを、ぴしゃりと言い当てられてしまった。


「お前の小説は、陸遜と夷陵の戦いを書いてるだろう。俺は三国志が好きだから、お前の書いた小説は嫌いじゃねえよ。内容もかなりマニアックだしな。けどよ、そんなにマニアックに書いて、お前んところの生徒は喜ぶのかよ」


「今は三国志もかなりメジャーになりましたから、うちの生徒でも三国志を知っている人はたくさんいますよ」


「そうかあ? お前のクラスの中で、何人がその三国志をこのむんだよ。高校生のがきどもが知ってる三国志なんて、無双だとか、三国志大戦だかの派生作品ばっかだろうがっ」


 早乙女さんの容赦のない指摘が、胸の中心に突き刺さる。


「お前の学校の生徒に向けて、小説を書いてるんだろ。だったら、そいつらにもっとわかりやすく伝わるようにしねえと、人気なんて出ねえだろ。だいたい、なんで主人公が四十近くのおっさんなんだよ。ゲームみたいに、美形キャラにしちまえばいいじゃねえか」


 早乙女さんが柚木さんに目を向ける。柚木さんの肩がびくっと反応する。


「あんたの作品は、こいつのよりはいくらかマシだ。現代が舞台だから、まだ読みやすいからよ。けどよ、なんで社内恋愛にする必要があるんだ? 恋愛を書くんだったら、主人公は読者と同じ高校生にすりゃいいじゃねえか。そっちの方が高校生は共感しやすいぜ」


 その指摘は俺も危惧していたことだ。柚木さんに言うことはできなかったけれど。


 柚木さんも反論せずに口を閉ざしている。


 けれど目は鋭く、反抗心をむき出しにしている。


「文法だとか、文章的なものも指摘すればきりがねえだろうが、新人賞に出すわけじゃねえし、読者もラノベすらろくに読んだことのねえ奴らだからな。

 お前らくらいの文章力で問題ねえだろう。だが、内容はだめだ。もっと読者受けするように書かねえと、漫研だっけ? そいつらにあっさり負けちまうぞ」


 早乙女さんの言う通りだ。悔しいけど、ぐうの音も出ない


 俺は勝負にこだわることを辞めて、自分の書きたいものを追い続けていた。


 そうしないと、小説を書ける気がしなかったからだ。


 この作品を書こうと決めて、俺は小説を書き進めた。


 執筆はとても楽しかったけど、執筆しながら不安をずっと感じていた。


 その不安をこの人は見抜いたんだ。


 俺の小説から、俺の書いた文章からにじみ出ている不安を、長年の知識と経験で嗅ぎ分けて。


 プロの小説家はやっぱりすごい。俺ではこの人に敵わない。


 今までこそこそと積み上げてきた何かが崩れ落ちる音がした。


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