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第75話 小説家訪問の前のランチ

 プロの小説家である早乙女さんの家は、岩袋のとなりの駅である川名町かわなまちの近くにあるらしい。


 衣沢の駅から、急行の電車で二十分以上もかかる場所だ。


「急行で、岩袋まで行くんですよね」


「そうだよ。川名町の近くに、ごはんを食べるところはないだろうから、岩袋でファミレスでも探そうよ」


「はい。それがいいと思います」


 夏休みの電車は、乗客が少なくて静かだ。


 七人掛けの長椅子に座っている人は、二、三人くらいしかいない。


 となりに座る柚木さんから、花の艶やかな香りがする。


「先輩から急に電話をもらったときは、驚きました。プロの方って、どんな人なんでしょう」


「どうなんだろうね。俺も、プロの小説家に会ったことなんてないから、緊張するよ」


「早乙女さんっていう人は、先生と同い年くらいの、女の人なんですよね」


「たぶんね。俺も、そのくらいしか知らないよ」


「プロの世界で活躍している人ですから、厳しい人なんですかね。怖い人じゃなければいいんですけど」


 俺も、柚木さんと同様の不安を抱えている。


 日本のこの道何十年という職人みたいな人だったら、どうしよう。


「だいじょうぶだよ。先生の友達の知り合いだから、そんなに怖い人じゃないって」


「そうだといいんですけど」


 急行の電車が加速する。


 びゅんびゅんと風を切りながら、各駅停車で停まる駅を飛ばしていく。


「早乙女さんのうちへ行くのは、少し遅くなっても平気なんですよね」


「うん。三時くらいまでに着けばいいって、先生から言われているから」


「はい。わかりましたっ」


 乗車して三十分くらいで終点の岩袋へ到着した。


 人の少なかった車内は、いつの間にかたくさんの乗客の声がする。


 岩袋の改札を抜けて商店街を探す。駅前の混雑さは、衣沢と比較にならない。


 夏休みのせいか、俺や柚木さんと同い年くらいの男女の姿が目に付く。


 四人組の男子や、女子の集団が駅の出口でにぎやかにしゃべっている。


「前に、向こうの商店街のラストに行ったよね。あそこにしようか」


「はいっ」


 柚木さんは、俺の左隣から半歩くらい下がった場所を歩いている。


 彼女の存在を感じると、肩に力が入ってしまう。


 柚木さんも顔を少しうつむかせて、俺の様子を伺う感じで歩いている。


 そのぎこちない姿が、言葉にできない魅力を引き立てている。


 人のごった返す商店街を歩くと、目的のファミレスをすぐに見つけることができた。


 煉瓦れんがで舗装された階段を駆け上がる。ラストの明るい店内も、多くの客で溢れている。


「お昼だから混んでますね」


「そうだね。少し待つけど、他のお店を探す?」


「いえ。外は暑いですから、ここで待ちましょう」


「わかった。そうしよう」


 扉の近くに立てかけられている客待ちの名簿に、名前を記入する。


 待っている間の沈黙が怖いので、話しかける内容を考えていると、比奈子の寂しげな顔が思い浮かんだ。


「そういえば、ひなが柚木さんに会いたがってたよ」


「ひなちゃんが?」


「うん。部活が休みだったときに、柚木さんに電話したらしいんだけど、遊んでもらえなかったって」


「あ、はい。先週ですよね。きっと」


 店の奥から、店員を呼ぶチャイムが聞こえてくる。


「先週は、小説をずっと書いていたので、時間がつくれなかったんです」


「だろうね。ひなにも、そう言っておいたよ」


「わたしも、ひなちゃんに会いたかったんですけど、ひなちゃんに悪いことをしちゃいました」


「そんなに気にしないで平気だよ。今日の用事が済めば、執筆は一段落するから、適当に時間を見つけて、ひなと遊んであげてよ」


「はい」


 店の奥から、二十代くらいの女性の店員が小走りでやってきた。


 客席についてハンバーグとライスを注文して、自分たちの書いた小説を交換する。


 柚木さんから手渡された小説を両手で受け取る。


 柚木さんの小説は、彼女らしい優しげなタッチで文章が紡がれている。


 中小企業に就職した女性の社員が主人公で、二歳年上の男性社員に淡い恋を感じているらしい。


 主人公が夜の会社で残業していると、憧れの男性が外回りから帰ってくるというシーンを描いている。


 男性にばったり会ったときの主人公の描写が、細かく紡がれている。


 女の子らしい細かい見方や心情が、文章によくあらわれている。


 話の流れも自然で、主人公の男性への思いがよく伝わってくる。


「どうですか」


 柚木さんが俺の小説を下ろして、まっすぐに見ていた。


「上手だよ。主人公の気持ちがよく伝わってくるよ」


「本当ですかっ」


「うん。これなら、早乙女さんも満足するんじゃないかな」


「ありがとうございますっ」


 柚木さんが照れ隠しで微笑んだ。


「初めて書いた小説だったので、右も左もわからなかったんですけど、本棚の小説をいろいろ参考にしながら書いてみましたっ」


「そうなの? その割りには、上手に書けてるけど」


「そんなことはないですっ。先輩の読ませていただいた小説の方が、うまいなあって思いますし」


「俺の方が下手だよ。柚木さんの小説はとても読みやすいし、共感しやすい内容だから、柚木さんの小説の方がいいんじゃないかな」


「そんなことないですよ。先輩の方が綿密に書かれてますっ。三国志のことは、よく知らないんですけど、シーンが細かく書かれててびっくりしますし、主人公が頭よくて、すごくかっこいいですっ!」


 柚木さんは、真剣に言葉をつなげてくれる。


 テーブルの端に、いつの間にかハンバーグとライスが置かれていた。柚木さんの注文したカルボナーラもあった。


「ごはんが来てたから、早く食べちゃおう」


「あ、はい」


 スプーンとナイフを取ろうとしたら、柚木さんが気を利かせてくれた。


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