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第73話 あいり先生の提案

 比奈子をそれとなく案じながら、ノートパソコンを立ち上げてメモ帳を開く。


 小説の主人公は陸遜に決めた。舞台は夷陵の戦いだ。


 陸遜を美形にしたら、ミーハーだと思われてしまう。史実に合わせて、四十代の中年男性にしよう。


 三国志演義をベースにすると、内容がありきたりになるな。正史をベースにしよう。


 蜀の軍勢が七十万だったというのは、正史の記述と異なるはずだ。


 天をも焦がす壮大な火計が話のクライマックスで、登場人物は、火計の実行役で有名な朱然しゅぜんの他に、韓当かんとう徐盛じょせいも出そう。


 陸遜が孫権に呼び出されるところから話をはじめる。呉の宮殿がどんな感じだったかなんて、俺にはわからないけど。


 暑さも時間も忘れて執筆に没頭する。書くものが決まると、執筆が止まらない。


 そのときに、横から突然スマートフォンの着信音が鳴った。


 スマートフォンの画面には、「高杉先生」とゴシック文字で表示されていた。


 先生が電話してくるなんて珍しい。


「はい。宗形です」


『あ、宗形くん。お休みのところ、電話しちゃってごめんね。今、電話してもだいじょうぶ?』


「はい。だいじょうぶです」


 スマートフォンの受話口から、先生の透き通った声が聞こえてくる。雑音は特に聞こえない。


『小説の執筆はどう? 捗ってる?』


「はい。話の内容がまとまりまして、今日から文章を書きはじめてました」


『そう。よかったわ。他の子たちは全然書けてないみたいだったから、心配してたのよ』


「俺の方は問題ないですよ。柚木さんも張り切ってくれてますから、ふたつの作品は確実に文化祭で発表できます」


『そうなんだ。柚木さんって、ほんとにいい子だよねぇ。先生嬉しいわぁ』


 先生は、お盆休みに実家のある山口県に帰省するって言ってたけど、まだ帰っていないのかな。


「先生は、まだ実家に帰ってないんでしたっけ?」


『うん。先生はお盆まで仕事があるから、まだ実家に帰れないのよ』


 先生はまだ夏休みじゃなかったのか。大人は大変だ。


『先生のことはいいのよ。宗形くんに提案したいことがあって電話したの』


「提案って、なんですか?」


『うん。それがね。先生の友達の知り合いに、小説を書いている人がいてね。宗形くんが書いている小説を、その人に読んでもらったらどうかなって、提案されたのよ』


「プロの小説家からアドバイスをもらうんですか」


 先生の友達に、そんなすごい知り合いがいるのか。


 渡りに船だけど、俺の下手な小説なんかをプロの小説家に読ませてもいいのだろうか。


『プロの小説家に読んでもらったら、何かいいアドバイスがもらえるかなって思うのよ』


「そうですね。かなり効果的だと思います」


『でしょ。その人は、お盆休みに都合がつくみたいなんだけど、宗形くんはどうかな。おばあちゃんちとかに帰ったりしちゃう?』


「いえ。お盆休みは特に用事がないので平気です」


『そうっ。じゃあ、その方向で話をつけてみるね』


「お願いします」


 プロの小説家に、自分の書いた小説を読んでもらえるなんて、夢のようだ。


 でも、プロの小説家と一口で言っても、純文学やミステリー小説を書く人から、ライトノベルを執筆している人まで様々だ。


 先生の知り合いは、どんな小説を書いている人なのだろうか。


『じゃあ、そんな感じで――』


「あ、ちょっと待ってくださいっ」


『ん、どうしたの?』


「あの、先生のその知り合いの方は、どんな小説を書いている人なんですか?」


『あ、ええとね。先生もよく知らないんだけど、ラノベを書いている人なんだって。水と樹のなんとかっていう名前だった気がするけど、忘れちゃったわ』


「水と樹のなんとかですか」


 聞いたことのない小説のタイトルだ。


 スマートフォンを耳と右の肩に挟んで、パソコンを操作する。


 ブラウザの検索サイトの入力ボックスに「水と樹」と打ち込んだら、「水と樹の精霊ちゃん」という検索キーワードが出てきた。


「そのタイトルって、『水と樹の精霊ちゃん』っていう名前じゃないですか?」


『うん。たぶんそれ。友達がそんなことを言ってた』


 検索サイトに表示された検索結果を適当にクリックする。


 インターネット通販サイトへ遷移して、いろんな情報でごちゃごちゃしている画面の中央に、ライトノベルの表紙が映されている。


 水と樹の精霊らしき麗しい女の子がふたり。その間に、冴えない男子の困り果てた姿が描かれている。


 作者の名前は、「さおとめらん」か。


 女の人でも、こんな男性向けのライトノベルを書いている人がいるんだなあ。


「相手は早乙女さんっていう方ですか?」


『うん。そう。よく知ってるわねえ』


「いや、その人の作品を検索したら名前がわかっただけです」


『あ、そういうことね。宗形くんのことだから、ラノベのタイトルを聞いただけで、作者の名前がわかってるんだと思った』


「俺はそんなにラノベに詳しくないですよ。あとそれと、柚木さんも連れていっていいですか?」


 柚木さんも来月の文化祭に向けて、がんばってくれてるんだ。


 プロから話を聞くことができると知ったら、きっと喜ぶぞ。


『ええ。もちろん、いいわよ。友達から、その人に伝えてもらうね』


「日にちが決まったら、また電話してください。柚木さんには俺から伝えますから」


『わかったわ』


 スマートフォンを耳から話して通話を切る。とんでもない話が舞い込んできたぞ。


 パソコンのキーボードを打つ指に力が入る。


 いや、その前に柚木さんに連絡しなければ。


 柚木さんが聞いたら驚くぞ。そして、きっと手放しで喜んでくれるはずだ。


 そうすれば、ますます執筆に打ち込んでくれる。


 文化祭の勝負に一筋の光が見えてきた。


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