第71話 柚木さんの思い
「先輩は、どんな小説を書くか決まりましたか?」
柚木さんのまっすぐな瞳に見つめられると、なんだか恥ずかしくなってしまう。
痒くないのに、頭をわざと掻く。
「どうしようかな。三国志の小説でも書こうかな」
何か言わないといけないと思ったから、言葉を適当につなげてみると、
「それ、いいんじゃないですか。先輩は三国志とか歴史ものが好きですし」
柚木さんに、真剣に相槌を打たれてしまった。
「三国志、いいかな。人によっては、好き嫌いが分かれるけど」
「わたしは、とってもいいと思いますけど」
柚木さんが浴衣の袖を触る。少しうつむいて、
「その、勝負のこととか、いろんな事情がありますから、先輩が迷うのは仕方がないと思うんですけど、わたしは、読者のこのみばかりを気にしなくてもいいかなって思うんです。せっかく小説を書くんですから、楽しく小説を書きたいじゃないですか」
思いがけない気持ちを告白してくれる。
「わたしは、先輩が書きたいと思った小説を書いてほしいです。真面目に書けば、漫研の部長だって、きっとわかってくれますよ」
柚木さんに優しい言葉に聞き入ってしまう。
「来月の文化祭に負けちゃったら、漫研の部長と教頭先生に謝りに行きましょう。いっぱい謝れば、きっと許してくれますよ」
真面目に書けば、狐塚先輩もわかってくれる、か。
「そうか。わかったよ。なら、俺は三国志を書くよ」
「はいっ。それがいいと思いますっ」
「だけど、できることなら、文化祭の勝負に勝ちたい。無理だとわかっていても、できることはやりたいんだ」
柚木さんは、きれいな夕日でも見るような目で俺を見ていた。
俺と目が合うと、慌てて姿勢を正した。
「先輩はすごいですね。漫研の部長はすごい人なのに、それでも勝負にこだわるんですね」
「そんな大げさなものじゃないけどね。負けるのが単に嫌いなんだよ」
「先輩って、意外と負けず嫌いだったんですね。おっとりしてるから、勝負事なんて無縁なんだと思ってましたっ」
「普段は勝負事なんて無縁だよ。今回は特別なんだろうね」
「そうですよね。漫研の部長から急に決められた勝負ですし」
「そうそう。あんな人と勝負なんてしたくないけど、負けたら副部長を辞めさせられるって言うんだもん。死ぬ気でやるしかないじゃんか」
「先輩はかわいそうですよね。漫研のわがままの犠牲者になってるんですから」
柚木さんが口を抑えて失笑した。
「本当だよなぁ。部長も、面倒事を俺に押し付ける気だし」
「そうですよ。先輩がかわいそうですっ」
柚木さんは、俺のことをなんでも肯定してくれる。だから、話していると気分が落ち着いてくる。
「部長に愚痴を漏らしても仕方ないか。どんな話にするか、考えてみよう」
「はい。でも、わたしは三国志のことを知らないんですけど、どんなお話なんですか?」
「ええと、簡単に言えば、中国に三つの国があって、それぞれの国が覇権をかけて戦った話になるかな」
「あ、だから三国なんですね」
「そうだね。でも、話はそんなに単純じゃなくて、三つの国になる前、後漢のことだけど、漢が滅びる前から話ははじまるんだ。漢が滅びて、最終的に晋になるまでに、いろんな武将が出て、今でも歴史に残る戦いがあるから三国志は楽しいんだ。そっちがむしろメインなんじゃないかな」
三国志の魅力は、ひと言で言いあらわせられない。いくらでも語れそうだ。
「三国志で有名なシーンと言えば、桃園の誓いとか、赤壁の戦いとか、名シーンのほとんどは演義の創作だと言われているけど、紹介したいものはたくさんあるね! そのどれかを執筆したら、すごく楽しい小説になるだろうねっ」
柚木さんは口を閉じて、首を少しかたむけながら俺を見ていた。
「ごめんね。俺ばっかり話をして」
「あっ、いいえ。先輩は、本当に歴史ものが好きなんだなあって思いまして」
「そうだね。小説や好きな歴史のことになると、止まらなくなっちゃうんだよね。俺の悪い癖だよ」
「そんなことないです。好きなものや熱中できるものがあるのって、わたしは素敵なことだと思いますっ」
きみはまったく、どうして俺みたいな頼りない先輩を否定しないんだ。
「やっぱり、先輩の好きなものを書いた方がいいと思います。わたしが読者だったら、先輩が受け狙いで無理して書いたものなんて、読みたくないです」
「そうかな。じゃあ三国志の好きな武将を探して執筆してみるよ」
「はい。それがいいと思います」
柚木さんのお陰で、小説の方向性を決めることができた。
「柚木さんは、どんな小説を書くか決まった?」
「えっ、わたしですか」
「うん。柚木さんの書く小説は読んでみたいけどな」
柚木さんが赤面しながら両手を出して、
「そ、そんなっ、やめてくださいっ。わたし、本当に執筆したことがないんです。変な期待をかけたら、絶対にがっかりしますからっ」
慌てて謙遜する姿がおかしかった。
「そんなことはないよ。柚木さんは、たくさんの小説を読んでるんだから、引き出しがいっぱいあるでしょ。小説の書き方や手法だって、わかってるんだから、いい作品が書けるって」
「そんなことないのにぃ。先輩は意地悪ですっ」
柚木さんがうつむいて口を尖らせる。
「ごめんごめん。それで、どんな小説を書くか決まった?」
「わたしは、恋愛系ですから、会社の恋愛を書こうかなって思ってますけど」
社内恋愛を小説で書くのか。柚木さんは大人びてるなあ。
「その、前に観たドラマで、会社の恋愛をテーマにしたものがあったんです。少女漫画が原作だったんですけど。そのドラマが好きなので、そのドラマみたいなお話がいいなあって、思いまして」
「それ、いいんじゃないかな。ドラマが好きな女子はたくさんいるから、いい作品ができるよ」
「そうですか?」
「そうだよ。ドラマって、よく考えて話がつくられてるんでしょ。それを元に小説を書いたら、いいものができるって」
柚木さんの書く小説は、やっぱり楽しそうだ。ますます楽しみになってきたっ。
「柚木さんの書いた小説は、やっぱり読んでみたいな」
「やめてくださいよっ。プレッシャーになるじゃないですかっ」
「いいじゃんか。俺だって、部長と狐塚先輩からプレッシャーを受けてるんだから。苦労を分かち合うということで」
「そうですけど。先輩はやっぱり意地悪ですっ」
柚木さんが、頬をぷくっと膨らませる。
怒ってるつもりなんだろうけど、仕草がなんだか拗ねているみたいで、おかしい。
椅子の背もたれに頭を乗せて、天井を見上げる。
「小説の方向性はこれで決まったね。やっと執筆できそうだよ」
「そうですか? よかったですっ」
「漫研には勝てないかもしれないけど、いい小説を書こう。文研の名に恥じないような、楽しい小説をさ」
「はいっ」
柚木さんが淀みのない笑顔で返事した。




