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第69話 鶴岡八幡宮へ

 鶴岡八幡宮へつづく段葛だんかずらが、長い定規のように伸びている。


 ベージュの柔らかそうなコンクリートの両脇を、国産の白い乗用車がゆっくり走っている。


 観光客は、小さい子どもを連れた家族と高齢者ばっかりだ。杖をついた富裕層みたいな紳士が、余裕のある足取りで歩いていた。


「夏って、なんでこんなに暑いの? 地球温暖化のせいなの?」


 比奈子が、俺の左腕にしがみついている。


 お前のもみ上げの髪についた汗が、俺のシャツの袖についているし、お前の身体から発せられている熱で余計に暑いから、できれば離れて歩いてほしいぞ。


「それもあるかもしれないけど、夏って昔っから暑いだろ」


「じゃあ、なによ。エルなんとか現象のせいなの?」


「エルニーニョ現象だろ。エルニーニョ現象は、そもそも地球温暖化によって引き起こされるんじゃなかったっけ」


 比奈子が汗だくの顔で俺を睨んだ。


「じゃあ何が原因なのよ。詳しく教えなさいよっ」


「知るかっ。余計に暑くなるから、あんまり騒ぐな」


 俺の右隣を歩く柚木さんが、ハンカチで頬の汗を拭う。


「今日もすんごく暑いよね。サウナの中にいるみたい」


「ほんとだよねぇ。暑すぎて死にそう」


「シャツが汗で身体にくっつくから嫌だよね。早くシャワー浴びたい」


「ほんとほんとっ。早く着替えて、まったりしたいよぉ」


 言いながら、汗を吸い込んだ胸を比奈子が押し付けてくる。


「文研の俺たちはともかく、ひなは空手部なんだから、暑いのには慣れてるだろ?」


「はあ? なんでそうなるのよ。意味が全然わからないんですけどっ」


「いやだから、運動部は文化部よりも暑さに強いだろって、言ってるんだよ」


「そんなの知らないわよ。うちの部は屋内にあるんだから、直射日光の当たる場所には慣れてないのっ!」


 運動部と暑さの耐性を結びつけるのは、少し暴力的だったか。


「っつーわけで、今すぐジュース買って!」


「買うか、アホっ」


 俺がとっさに突っ込むと、柚木さんがくすくすと笑った。


 三の鳥居を越えて、神社の境内へ入る。


 参道の左右に池が広がっている。水面のあまり動かないこの池は、源平池というのか。


 池に架かる橋が、赤いうるしの鮮やかな色を華やかに彩っている。


「わあ、ここが鶴岡八幡宮なんですねえ」


 境内の真ん中に聳える神社に、柚木さんが驚嘆する。


 鶴岡八幡宮の社殿は、純白の石段の前後にふたつ並んでいる。どちらも、朱色の柱が鮮やかで立派だ。


「神社がふたつあるけど、石段の向こうの神社が本堂なの?」


「ええと、どうなんでしょう。確認してみますっ」


 柚木さんが旅行雑誌を広げて覗き込む。


「そこの神社は舞殿まいでんと言いまして、下拝殿とも呼ばれているみたいです。向こうの神社が本宮と書かれていますから、本堂なんじゃないかと思います」


「そっか。石段の前後に神社が並んでいるのは、不思議なつくりだね」


「そうですね。でも、どうしてこういうつくりになっているのかは、書かれていないですっ」


 柚木さんが、旅行雑誌のイラストを指しながら教えてくれる。


 比奈子が柚木さんの左隣から雑誌を覗き込んだ。


「ふーん。ま、いいから向こうに行ってみようよ」


 舞殿の背後に伸びる石段を、たくさんの観光客が上ったり下りたりしている。


 背の高い外国人のカップルや家族の姿が割と多い。


 本宮の楼門は荘厳のひと言に尽きる。


 門の巨大な屋根は、武家屋敷なんかのそれとよく似ている気がする。


 朱色の柱が目立つけど、あまり派手な印象じゃないのが不思議だ。


「ひな、あそこを見てみろ。八幡宮って書いてあるぞ」


「えっ、どこどこ?」


 楼門の屋根の下に、「八幡宮」と書かれた額が取り付けられていた。


 本宮でお参りして売店へ向かう。


「ことちゃん。お守り買っていこうよっ」


「うんっ。そうしよう」


 比奈子は、さっきまで「暑い」とか、「もう死にそう」とばかり言っていたのに、華やかな売店を見たら急に元気になり出した。


「可愛いお守りがいっぱいあるよ。ことちゃんはどれにする?」


「うーん。どれにしようかな。どれも可愛いから迷うなあ」


 比奈子がちらっと俺を見て、にやっと不敵な笑みを浮かべて、


「じゃあさ、縁結びのこれ買おうよっ」


 含みのある顔で柚木さんに提案をした。


「うん。そうだね。ピンク色のこのお守りが可愛いし」


「そうしよう。じゃあ、僕もそっちにする」


 縁結びのお守りを買うところが、女の子らしいなあ。


「先輩はお守りを買わないんですか?」


 柚木さんが俺を横から覗き込む。


「どうしようかな。お守りっていつも買わないから、何を買ったらいいのか、わからないし」


「そうなんですか? 可愛いお守りがいっぱいありますから、何か買っていきましょうよ」


「そうだね。俺も買っていこうかな」


 とは言ったものの、どれを買えばいいのか。


 来月の文化祭の勝負に勝ちたいから、勝守かちまもりがいいかな。それとも、学業成就のお守りがいいか。


「じゃあ俺は、この勝守にしようかな」


「ええっ、にい、そんなの買うのぉ?」


 比奈子が、柚木さんの後ろから俺を覗き込む。含みを持たせた嫌らしい顔で。


「ことちゃんが縁結びのお守りを買ったんだから、にいも、おんなじのを買いなよぅ」


「えっ、俺も縁結びのお守りを買うのか?」


「当たり前でしょ。なんか文句あるの?」


 縁結びのお守りを買うのは、かなり恥ずかしいんだが。


 柚木さんは口を閉じて、俺をじっと見ている。


 その瞳の奥に深海のように深い何かがあって、つい引き込まれそうになる。


 この流れで比奈子の提案を断ったら、とてつもないことが起きてしまうような気がする。


 比奈子が縁結びのお守りを指した。


「この水色の方が男性用だよ。にいはこれを買いなよ」


「わかったよ。じゃあ、俺も買うよ」


「なに、その言い方。お守り買うのが嫌なの?」


「そうじゃないよっ。買うのが恥ずかしいだけだよ」


 縁結びのお守りなんて、一度も買ったことがないんだ。動揺するのは見逃してくれ。


 紙袋に入ったお守りを取り出してみる。


 白と水色のリボンみたいな紐がついていて、男性用でもかなり可愛らしいデザインだ。


 柚木さんも買ったお守りを取り出して、俺のお守りのとなりに並べた。


「そのお守りも可愛いですねっ」


「そうかな。柚木さんの方も女の子っぽくて可愛いよ」


「そうですかっ。ありがとうございます」


 お揃いのものを買うのが、また恥ずかしい。顔が熱くなってしまう。


 でも、柚木さんは嬉しそうにしてくれているから、よかった。このお守りは大事にしよう。


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