第65話 江の島で狐塚先輩がまた襲撃!
「そういえば、江ノ島の食べもんで、蛸を丸々一匹つかったお煎餅があるらしいわ」
部長が、ソフトクリームのコーンをかじりながら言った。
「蛸の煎餅ですか? たこ焼きではなくて」
「たこ焼きではおまへんのよ。うちも前に、テレビで見たんやけどもな。なんかこう、蛸を分厚い鉄板で、がっしゃんってプレスしてな、お煎餅をつくるんよ」
部長が鉄板でプレスする様子を手振りで教えてくれる。
「よくわかりませんけど、動物愛護団体に知られたら問題になりそうですね」
「そやな。生きたまんまかどうかは知れへんけど、蛸を鉄板でつぶしたはるんやもんな。でも、そないなことを言い出したら、うちら、最終的に野菜しか食べられなくなると思わん?」
部長の言う通りだ。
俺たちは動物を食べて生活しているのだから、手段はどうあれ、動物の生命を奪っていることに代わりはない。
「料理の仕方はいろいろありますけど、結果的に生命を食べるということに、代わりはありませんからね。動物の命を第一に考えたら、牛肉も豚肉も食べられなくなりますね」
「そやろ? うちも、犬や猫をいじめるんは、よくないと思うけど、動物の愛護と食べもんは、ごっちゃにしたらいけへんと思うわ」
部長はやはり頭のいい人だ。
大学で論文が出せそうな問題を、常日頃から考えているんだから。
「蛸をつぶしたお煎餅って、どこで売ってるんやろうな。えらい人にいっぱい文句言われてもええから、食べてみたいわ」
単に食欲が旺盛なだけかもしれないけど。
「おいっ、お前ら!」
江島神社の立派な鳥居をしげしげと見上げていると、なぜか怒声を浴びせかけられた。
声のする方角へ部長とともに振り返る。うちの学校の制服を着ている集団が、道を塞いでいた。
「なんでぇ。鏡花とお前、ええと、名前は忘れちまったが、お前らも江の島に来てたんかい」
女子高生なのに、この乱暴な言葉遣い。俺はよくおぼえてるぞ。
彼ら――いや全員女子だから、彼女たちは、五人がそれぞれ胸を張ったり、眼鏡のブリッジに指を押し当てたりしながら、不敵な笑みを浮かべていた。
五人で横一列に並んでいたら、日曜日の朝に放送している、なんとか戦隊のレンジャーとかみたいですよ。
その赤レンジャーの位置で聳え立つ狐塚先輩は、今日も肩にブレザーをかけていた。少年のようなショートヘアを海風になびかせながら。
「あんたっ。あんたらも、江の島で合宿をやっとったん?」
「そうだよっ。ま、俺らの勝ちは、もう決まってっから、合宿っつうか、ただの観光なんだけどよ」
狐塚先輩が強い口調で言い切ると、まわりの気弱そうな部員たちが、けらけらと笑った。
通行人の邪魔ですから、どいた方がいいですよ。
狐塚先輩が口にくわえていた爪楊枝を吐き捨てる。
「鏡花。てめえは可愛い後輩を連れて強化合宿か? きょうかだけに」
「あんた、相変わらずお笑いのセンスないなぁ」
「やかましい!」
狐塚先輩が青筋を立てて怒鳴った。
「へんっ。てめえらが向きになったところで、俺らには勝てねえぜ。今年の漫研は最強だからよ。びびってるんだったら、さっさと兜を脱いじまいなっ」
狐塚先輩の挑発的な言葉に腹が立つ。
けれども、漫研の他の部員たちはともかく、プロの世界で漫画を描いているこの人は、間違いなく最強のラスボスだ。
「俺らに恐れを成して逃げるっつうんなら、教頭に言ってやってもいいぜ。ただし、『文研の私たちは漫研に完全に負けました』という横断幕を、学校の屋上から垂らすことになっちまうけどなあ!」
くっ、公衆の面前でここまで罵倒されて、引き下がれるかっ!
部長っ、だまってないで、何か言い返してくださいよ!
「たしかに今年のあんたらは、漫研の発足史上最強かもな」
部長、なんで弱気なことを言うんですかっ。あいつに、ばしっと言い返してください!
「でもなぁ。どこぞの神様のいたずらなのかも知れへんけど、今年の文研も史上最強なんよ」
そう言って、部長が俺の肩に手を優しく添えてくれた。
あなたは、何を言ってるんですか。
「はーっ、はっはっは!」
狐塚先輩が江の島の全土に響き渡るくらいに高笑いをした。漫研の他の四人が、びくりと反応する。
「何を言うかと思えば、そんな坊ちゃんを俺に宛がうのかよ。冗談きついぜ」
狐塚先輩は、他の観光客から白い目で見られていることに気づかない。
腹を抱えて笑い転げる姿に、漫研の他の四人も呆れているみたいだった。
狐塚先輩がすたすたと歩き、部長の前で足を止める。
さっきまでの人を小ばかにする顔が一変し、目が血走っている。
「なんだぁ? てめえは俺様にびびって引退か? つまんねえ女だぜ」
制服のポケットに両手を突っ込んで、すごんでいる姿は、まるで田舎の不良だ。
「今年こそ、いい勝負ができると思ってたのによ。こんなところまで来て損したぜ」
狐塚先輩がくるりと身を翻す。ブレザーに手をかけて、空高く脱ぎ捨てた。
「行くぞ、てめえらっ!」
「はっ!」
狐塚先輩と漫研の部員たちが、MMORPGの盗賊団のようにぞろぞろと立ち去っていく。
神社の石段に落ちたブレザーには目もくれず、勇壮な背中を俺に見せつけていた。
「部長。どうして、あんなことを言ったんですかっ」
部長は、狐塚先輩が捨てていったブレザーを拾った。
「うちは、思ってることを言うただけなんやけどなあ」
部長は普段のように、あっけらかんとしている。
ブレザーについた砂埃を、にこにこしながら叩いている。
「俺なんかで狐塚先輩に勝てると思ってるんですか!? そんなの無理だってことは、部長だってわかってるでしょ!」
「そやな。さおたんは今年になってめきめき上達してるからなぁ」
それなら、なおさら無理じゃないですか。俺を生け贄にしないでくださいよ。
俺がネット小説家の泉京屍郎くらいの実力があれば、狐塚先輩にも勝てるかもしれないのに。
彼方から聞こえてくる狐塚先輩の高笑いに、拳をにぎって耐えるしかなかった。




