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第52話 遊園地でダウンする宗形と、疑問に思う柚木さん

「先輩、だいじょうぶですか?」


 ジェットコースターを皮切りに、立て続けに絶叫マシンに乗って、ついに限界が来た。


 恐怖と乗り物酔いで、ベンチから立つことができなくなってしまった。


「ごめん。少しだけ休ませて」


「は、はいっ」


 心配する柚木さんを見ることができない。


 情けなさとやるせない気持ちで、自分の存在を消し去りたくなる。


「ここで待っててくださいっ!」


 柚木さんはベンチを立って、ジェットコースターの方へ走り去ってしまった。


 ジェットコースターのうねうねしたレールを眺めて、子どもの頃に見た再放送のアニメのシーンが脳裏に浮かぶ。


 ひと昔のアニメで、こういうシーンをよく見たな。


 カップルやクラスメイトの男女で遊園地に行くと、男の主人公が必ず音を上げるんだよな。


 女の子は柚木さんみたいにぴんぴんしていて、気まずそうに主人公を心配するという、なんてべたな展開なんだ。


 遊園地を楽しむ子連れの家族や男ばかりの集団を避けながら、柚木さんが戻ってきた。


 ひたむきに走りながら、二本のペットボトルをその手に持っている。


「先輩、お水を買ってきました。よかったら飲んでくださいっ」


「あ、ありがとう」


 俺のために水を買ってきてくれたんだ。


「俺の分のお金を払うよ。百五十円でいい?」


「そんなことはいいですから、先輩はご自分の身体を労わってください!」


 財布を取り出そうとしたら、柚木さんにペットボトルを押し付けられてしまった。


 ペットボトルの蓋を開けて、喉に水を流し込む。


 しつこい唾液で粘ついている喉が、きれいに流される。


 市販の水って、こんなにおいしいんだっけ。水に味なんてないはずなのに。


「気分はよくなりましたか?」


「うん。かなりよくなったよ」


「ふふ。よかったですっ」


 柚木さんは、となりで優しく微笑んでくれる。


「ごめんね。せっかく来てくれたのに、アトラクションに全然乗れなくて」


「いいんです。わたしのことは気にしないでください。わたしも、先輩が絶叫マシンを苦手だったのを知らなかったので、ひどいことをしてしまいました」


「いや、いいんだよ。遊園地へ行こうと言ったのは俺なんだから」


 水をもうひと口飲んで、ジェットコースターを眺める。


 レールのあちこちを行ったり来たりする車両から、若い女性の悲鳴が聞こえる。


「絶叫マシンは苦手だけど、もう少しくらい乗れると思ってたんだよ。情けない」


「そんなことないですよ。絶叫マシンが苦手な人はたくさんいますから。先輩は普通です」


「そうなのかな。そう言ってもらえると助かるかな」


 柚木さんにもっと謝りたい気分だけど、気が滅入っているから、発する言葉がすべて弱音になってしまいそうだ。


 右手に持ったペットボトルを、強くにぎることしかできなかった。


 ジェットコースターのレールを走る音が、空へ霧散する。


 四歩ほど離れた向こうに、風船を持った子どもが母親に手を引かれている。


 晴天の日曜日は穏やかだ。客足は多くも少なくもない。


 左側のゴミ箱のそばに、白くて細長い柱が伸びている。


 先端には、学校の教室にありそうな、白の文字盤にゴシック体で数字が描かれた時計がついている。


 まだ十二時になっていない。入園したのは十時だった。


「柚木さん。そろそろ行く?」


「だいじょうぶですか? 無理しない方がいいですよ」


「でも、もっとアトラクションに乗りたいでしょ。こんなところで休んでたら、時間がもったいないよ」


「わたしのことでしたら、気にしなくていいですから。先輩は無理しないでくださいっ」

「でも――」


「いいんですっ」


 柚木さんが姿勢を少し正して微笑んだ。


「ベンチでゆっくり休むのも、楽しいじゃないですか。今日は天気がいいですから、のんびり日向ひなたぼっこをしましょうよ」


 そうなのかな。せっかく遊園地へ来たのだから、時間が許すかぎりアトラクションに乗らないと損だと思うけど。


「ひなちゃんと遊んでるときも、公園のベンチで休んだり、のんびりおしゃべりするんですよ」


「そうなの?」


「はいっ。目的がないときなんて、公園をぶらぶらしたり、ブランコで遊んだりしてるんですよ! この前なんか、暗くなるまでずっとおしゃべりしてましたしっ」


 比奈子や学校の何気ないことを話す柚木さんは楽しそうで、絶叫マシンに乗っているときと同じくらいの笑顔で話しかけてくれる。


 無理して遊園地になんて行かないで、近くのカフェや公園を選んでいればよかったのかもしれない。


「先輩っ。あの、ひとつ、お聞きしたいことがあるんですけど」


 学校の友達と映画館に行った話が一段落して、少しの沈黙があってから、柚木さんがそんなことを言った。


「聞きたいこと?」


 柚木さんは手をもじもじさせて、次の言葉を出せないでいる。


 頬は少し朱に染まり、恥ずかしそうにしている彼女は、めちゃくちゃ可愛い。


「その、先輩は、どうして今日、わたしと遊園地に行こうと思ったんですか。絶叫マシンとか、全然得意じゃないのに」


 うっ、それは、前に比奈子と約束したからだ。とは言えない。


「ええと、ほらっ、あれだよ。この間までコンピュータウィルスの件で、苦労ばっかりかけちゃったから、気分転換になったらいいなあって、思ったんだよ」


 柚木さんが口を止めて、正面からじっと俺の目を見つめる。


 茶色みがかった瞳は水晶のように透明で、見つめ返していると心が奪われそうだ。


 ほのかに赤い頬は、可憐な少女らしさを際立たせる。


 少し開いた唇は、物憂げな表情を感じさせていた。


「柚木さんには、いろいろがんばってもらったから、遊園地で思いっきり楽しんでもらえたらなあって。はは、変かな」


 ほぼ間違いなく、思いっきり変だ。


 もうちょっと自然な理由が思いつかないものだろうか。


 柚木さんに無言で見つめられると、どうしたらいいかわからなくなってしまう。


「そうだったんですね」


 柚木さんは何かに得心して、顔を綻ばせた。


「わたしなんかのために、わざわざ遊園地まで付き合ってくださいまして、ありがとうございます」


「あ、いやいや、こちらこそ」


 気づけば三十分以上もゆっくりしていたから、お腹が空いてきた。


「もう十二時半をまわったから、そろそろお昼にしようか」


「はいっ!」


「どこか美味しいお店はあるかな?」


「ウェストエリアに、レストランや人気のスイーツのお店があるみたいですよっ」


 柚木さんが、遊園地のパンフレットを広げてくれる。


 遊園地の簡略化されたマップは、パステルカラーで描かれている。


 ほのぼのした色合いは、絶叫マシンで入場者を怖がらせる場所に似つかわしくないな。


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