第49話 出来心
木戸先生が言葉を続ける。
「きみと僕には、同じ学校にいる先生と生徒というつながりしかない。僕はきみの授業を受け持っていないし、部活だって当然ながら違う。
僕は、きみたちの部活の大事なパソコンを害した悪者なんだから、僕の身勝手な行いを怨んで、僕のすべての行為を白日の元へ晒してやろうと考えるのが、普通じゃないかい?」
木戸先生は冷静沈着な人なんだな。倒し難い敵に息を呑む。
「はい。俺も文研のパソコンが壊されたときは、犯人を絶対に捕まえてやろうと、躍起になっていました。あのときに見つけていたら、先生のことを、何も考慮せずに暴いていたかもしれません」
「ふーん。つまり今は冷静で、僕を暴くことを思いとどまれる何かを、考慮できているということだね。お金でも巻き上げたいの?」
「いえ、そんなつもりは毛頭ありません。先生を脅したりしませんよ」
「まわりくどいなあ。僕に何をしてほしいのか、さっさと白状してくれよ。焦らされるのは嫌いなんだよ」
柚木さんが少し前に出た。
「先輩は、先生の名誉を傷つけたくないんですっ。あのUSBを先生が持っていたと知られたら、先生はうちの学校へいられなくなります。それは、あまりにも可哀想だから、教頭先生や文研のみんなには内緒にしたんです!」
木戸先生が、また口を閉ざして俺たちを見つめる。
「偽善とか、そういうのじゃないんです。ただ、反対の立場になったら、すごく苦しいんだろうなと思ったから、公表は控えたいと思っただけなんですっ! ですから――」
「いいや、それは偽善だね。偽善というより、浅はかな自己満足か。少なくとも、きみたちの主張を聞いて、僕の胸には、やるせない思いが沸き起こっている。自分より十歳以上も若い子に情けをかけられるなんて、屈辱だよ」
先生がつかつかと歩いて、手すりの上に右手を置いた。悲しげな目で校庭を見つめる。
すぐに空を見上げて、そっと息を吐いた。
「なんてね。先生である手前、ちょっと強がってみたけど、本音を言うとね、きみたちの気配りはありがたいんだよ。文研のパソコンを壊した張本人であったと、高杉先生に知られたら、僕はどんなに軽蔑されるんだろうかと、びくびくしてたからね。
でもそんなものは、すべて諦めて学校を異動しちゃえば、きれいに片が付く問題だから、いずれ教頭先生へ打ち明けようと思っていたんだよ」
「そんな簡単に言わないでくださいっ。うちの学校には、先生を慕っている人がいっぱいいるんですから、学校を異動すれば済むなんて、先生から言われたら寂しいです」
柚木さんの優しい言葉に、木戸先生が微笑んだ。
「きみたちは、どうして僕みたいな人間を助けようとするのかな。僕を庇ったところで、メリットなんて何もないっていうのに」
「いや、しかし――」
「でも、そうだな。きみたちの厚意を無にするのも、先生としてあるまじき行為だね。うちの学校にいてほしいと思ってくれてるのなら、僕は素直に甘えようかな」
先生のまわりに張り詰めていた空気が和らぐ。
柚木さんが俺を見て、嬉しそうに微笑んでいた。
「このふたつのUSBメモリを先生へお返しする前に、どうしても教えていただきたいことがあるんです。先生はどうして、うちのパソコンにウィルスを仕込もうと思ったのですか? 理由を教えてほしいんです」
先生がまた押し黙って、俺を正面から見据える。
「先生は、さっき言いましたよね。俺たちと先生には特別な係わり合いがないと。それなのに、どうして文研のパソコンを狙ったんですか? 強力なコンピュータウィルスの威力を試すのなら、文研の古いパソコンなんかより、もっと新しくて性能のいいパソコン部のマシンを狙いますよね?」
「あっ、たしかにっ」
柚木さんが、はっと口もとをふさぐ。
「俺たちは、先生の行動から今日に行き着きましたが、動機だけがいくら考えてもわからないんです。先生から怨みを買うようなことも、していないはずですし――」
「わかったっ。話すから、もう、やめてくれ」
先生が苦しそうに言った。
「ほんの出来心だったんだよ。文研のパソコンにいたずらをしたら、高杉先生が僕を頼ってくれるんじゃないかと思ってね」
高杉先生の気を引くために、文研のパソコンを狙ったんですか?
「学校の噂で、きみたちも知ってると思うけど、僕は、そのね。高杉先生のことが好きなんだよ。その理由までは聞かないでほしいけど。だけど、高杉先生は僕に興味がないのか、全然振り向いてくれないんだよ。それで、何かいい手はないかなと考えたんだ」
高杉先生は、木戸先生に興味がないんじゃなくて、余裕がないんだろうな。
「USBメモリにランサムウェアを仕込むのは、簡単だったよ。ネットカフェでハッキングサイトにアクセスすると、すぐに手に入るんだ。文研の部室も鍵が開いてたから、ものの数秒で犯行は終わりさ。忍び込んだ僕が言うのもなんだけど、きみたちの部室は、どうしてあんなに無用心なんだい?」
「すみません。それは高杉せ――いや文研の全体としての管理が甘いからです。パソコンの管理でも、教頭先生や加賀谷先輩から散々に注意されました」
「それは言われるだろうね。バトミントン部であれをやったら、もう説教さ」
「はい。お陰様でいい勉強になりました」
「あの日、きみにばったり会ってるから、それで僕にたどり着いたんだと思ったんだけどね」
先生は手すりにもたれかかって、屈託なく笑った。
「笑い話じゃないな。パソコン部ほどじゃないけど、先生たちの間じゃ、僕はパソコンに詳しい方なんだ。だから、文研のパソコンにウィルスを仕込んでも、絶対に対処できると思ってたんだよ。だけど、その答えはきみたちが見た通りさ」
ランサムウェアに感染したときの様子が脳裏に浮かぶ。
木戸先生は、青い顔で文研のパソコンを見つめていた。
「ランサムウェアのことをちゃんと調べてなかったし、あの赤い画面を見たら、頭が真っ白になっちゃってね。なんて浅はかだったんだと思い知ったよ。きみたちやパソコン部が放課後にがんばってるのに、犯人の僕は何もできなくて、ただ指をくわえてるだけなんだ。胸が塞がる思いだったよ」
先生が姿勢を正して頭を下げた。
「すまない! 僕の浅はかな思いつきで、なんの関係もないきみたちに、多大な迷惑をかけてしまった。本当に、申し訳ないっ」
先生の脳天が簡単に覗けるくらいに深々と頭を下げている。
両手を足につけて、踵もぴたりとつけて、頭を下げていなければ、気をつけのきれいな姿勢だった。
先生、あなたはすごく立派です。




