第39話 無線LANを使え!
加賀谷先輩を見やった。
「ですが、先輩。難点がいくつかあります。方式が今までよりも難解になることと、自分のパソコンを持っていない人は、クラウドへアクセスできないことです」
「それは、しゃーねえだろ。てめえの部のパソコンの管理は、てめえがなんとかしろ。クラウドはスマホからもアクセスできるが、スマホでファイルをいじるのはめんどくせえからよ。そこは諦めるっきゃねえだろ」
「もし、なんでしたら、ネットカフェを利用すればいいですね。そうすれば、だれでも――」
「それは絶対にだめだっ」
加賀谷先輩が語気を強めた。真剣な表情で。
「ネットカフェを利用しちゃいけないんですか?」
「ああ。ネカフェのマシンは信用できねえ。無用心に利用すると、またウィルスに感染すっぞ」
「えっ、そうなんですか?」
「ネカフェのマシンはだれが使ってっか、わかんねえからよ。いたずらを仕込む奴らが、中にはいんだよ。だから、ネカフェのマシンで個人情報を扱わないのは基本だぜ」
「そうなんですか。それは知りませんでした」
「マジで重要なことだから覚えときな。ネカフェのマシンで通販なんてやったらアウトだぜ。カードの情報が流出したら、マジで笑えなくなっからよ」
「うそっ!?」
先生の小さな悲鳴が、教壇の外から聞こえた。
加賀谷先輩が「けっけっけ」と嘲笑する。
「先生さぁ、あんた迂闊すぎるんじゃねえの? あのパソコンにウィルスを感染させたのも、あんたなんだろ?」
「はい。ごめんなさい」
「クラッカーは、どこにウィルスを仕込んでるのか、わかんねえからよ。パソコンを使うときは、もうちっと用心した方がいいぜ。そこで涼しい顔をしてるお前もな」
加賀谷先輩が、手にしていたチョークを俺に渡す。
脂肪のついた腹を揺らしながら、席へと戻る。
俺も席へ戻り、無線LANとクラウドを利用する新たな方式について話し合った。
加賀谷先輩曰く、「他にもふたつくらいは案があるんだけどよ」とのことらしいが、パソコンやコンピュータのハイテクニカルな話は、もうお腹いっぱいです。
「ちっと詰めが甘い気がすっけど、教頭ぐれえだったら、この方式で文句は言わねえだろ。
今日中に報告書をつくって、明日にでも教頭に提出するんだな」
嘯く加賀谷先輩を、部長が眠そうな目で見やって、
「なあ、あんた。いっこだけ、聞きたいことがあるんやけども」
何気ない感じで口を開いたから、加賀谷先輩はびくりと身体を震わせた。
「あっ、はい。なんで、しょか」
「新しいやり方で、いろいろ変わるんはわかったんやけども、結局うちらはなにをすればええん? USBなんとかを使うんを、やめればええんか?」
「あ、いや、それだけでは、だめです。あのですね、あ、あれが、必要です」
加賀谷先輩はあたふたして、まるでサウナの中にでもいるかのように全身から汗を噴き出す。
「あれとは、なんや?」
「ええと、あれですっ。パソコンに通す、パ、パス」
「パス?」
部長が細い眉をひそめる。
「むなくん。パスって、なんやか、わかるか?」
「さぁ。パソコンにログインするときのパスワードとは違いますよね」
パスワードだと思うんだけど、違うのか?
制服のズボンからスマートフォンを取り出す。
ブラウザのアイコンをクリックして、検索サイトの入力ボックスに「無線LAN パス」と入力する。
検索サイトの「検索」ボタンを押下する。
検索結果に表示されたWebサイトのタイトルで、「WiFiルータのSSIDと暗号化キーを確認する方法」という、それらしい文言が見つかった。
「加賀谷先輩。これですか?」
「ああっ、そう! これだこれ」
加賀谷先輩はスマートフォンを覗いて声を上げた。
「パソコンから無線LANにアクセスするときは、WPA2のキーや、SSIDの設定が必要だが、その辺は、俺らがやってやる。だけど、IDとパスだけはお前が覚えとけ」
よくわからないパソコン用語がさりげなく飛び出したぞ。
「要するに、パソコン部にある無線LANに接続するためのIDとパスワードが必要で、それを覚えておけばいいんですね」
「そうだ。どうせ、いちから説明したってお前らじゃわかんねーだろ」
加賀谷先輩が部長の視線を感じとって、蛸壺に隠れる蛸のように縮こまった。
柚木さんがとなりから俺のスマートフォンを覗き込む。
「先輩、あの、結局どういう意味だったんですか」
「ああ、ごめん。文研としては無線LANに接続するIDとパスワードを覚えておけばいいって、ノートに書いておいて」
柚木さんはしばらく茫然として、はっと我に返ってから「IDとパスワードが必要!」とノートに書いた。
スマートフォンを机の真ん中に置いて、部長や先生と一緒に無線LANの記事を読み込む。
「はぁ。うちらにはいっこもわからんな」
「ほんと。パソコン部のみんなは、こんなのばっかり読んでて頭が痛くならないのかしら」
先生の感想に激しく同意する。
「前はUSBメモリを差し込むだけでよかったけど、ずいぶんと難しい感じになっちゃったのねぇ」
「仕方ないですよ。こんなに大きな問題になっちゃったんですから。他にいいアイデアもありませんし」
「そうよね。みんなごめんね……」
先生は深いため息をついて机に崩れ落ちる。
「あたしのせいで」と先生の身体から弱音が聞こえた。
「そんな、むずかしく考えんでええやろ。四つのパソコンをまとめて対応しないで、いっこずつ対応していってもええんやし」
部長の案を採用して、これで抜かりはないな。
その後も細かいことを打ち合わせて、部活の終了時間を迎えた。
報告書の作成は俺が担当し、明日に教頭先生へ報告する。
決戦の火ぶたは落とされた。




