第36話 山科部長の色仕掛け
次の日。朝に部長へメールを送った。
今日の放課後に打ち合わせの続きがしたいから、部室へ顔を出してほしいと。
メールの返信がお昼にあった。
メールの文面には、「絶対に行く」と、強い断定の言葉が綴ってあった。
念のために職員室へ寄って、高杉先生にも来てもらえるようにお願いした。
木戸先生も行くと言ってくれたが、それは丁重にお断りした。
ついでに、校長室のそばの机に座っている教頭先生の様子を伺ってみた。
教頭先生は銀縁の眼鏡をかけて、机に置いたノートパソコンを忙しくいじっている。
黙々とキーボードを操作している。視線はノートパソコンのディスプレイから少しも動かない。
思わず息を呑んだ。
「ほんまにうちがやるん? 気が進まへんやけども」
放課後に部室へ向かうと、部長は先に来てくれていた。
いつも能天気にあがっている眉尻が珍しく下がっている。
「はい。お願いします。部長にやっていただかなければ、いけないんです」
「むなくんの方がパソコンに詳しいさかい、むなくんからお願いした方が、ええんではおまへん?」
「そうですよ。山科先輩はパソコンに弱いんですから、そうした方がいいですよ」
俺の傍らで様子を見守っている柚木さんも、珍しく部長を庇う。
「いいえ。部長が絶対に適任なんです。細かいサポートはしますから、部長はどしっと構えていてください」
「むなくんがそないに言うなら、言う通りにしはるわ」
柚木さんに振り返ると、彼女がびくっと反応する。
「柚木さんもついてきてね。あと、ふたりくらい同行してもらっていいかな? 男子は部室で待機すること」
「はいっ!」
柚木さんが、珍しく部長と顔を見合わせていた。
柚木さんと一年生の女子。それと二年生の女子を選んで部室を出る。
高杉先生がパソコン部へ来ると、教頭先生の差し金だと勘違いされやすいので、先生にも部室で待機してもらう。
部長を先頭にしてパソコン部へ向かう。移動中に部長へいくつか指示を出した。
「ごめんやすぅ」
パソコン部の扉を開けて、部長がおっとりした口調で挨拶する。
柚木さんたちは、パソコン部の前で縮こまっている。
「怖がらないで。怖いのは彼らもいっしょだから。堂々と胸を張ってるだけでいいんだよ」
「は、はいっ」
部長に続いて部室へ入る。パソコン部の部員たちは、案の定、絶句していた。
教壇の前で部長がぺこりと頭を下げる。
「うちは文学研究会の山科どす。文研のパソコンの件で相談したいんやけども、部長はんは来てまっしゃろか」
パソコン部の部員たちは、近くの部員たちと顔を見合わせている。会話や相談はひと言もない。
「あ、あのっ、そこにいます」
二列目の机にいる部員が、少しだけ立って後ろを指した。
「おおきに。ほな、ちょい失礼しますぅ」
部室の真ん中の通路を部長が歩いていく。絹のような髪が踊るように揺れる。
パソコン部の部長は、鯉のような口をぱくぱくと開閉させていた。
うちの部長を天敵のように見上げ、太い指は少し震えている。
彼を見た瞬間、うちの部長は、「わあっ」と表情を明るくして、
「あんた、パソコン部の部長やったんね。昨日はうちのパソコンを診てくれて、おおきに」
いつものおっとりした感じで手を合わせた。
パソコン部の部長は、うちの部長にひと目惚れしてるんじゃないだろうか。
昨日、うちの部長が声をかけたとき、パソコン部の部長は顔を真っ赤にしていた。
大好きなアイドルを見るかのように。
部長が色仕掛けをすれば、パソコン部の部長は、なんでも言うことを聞いてくれるはずだ。
うちの部長のか弱いお願いを、パソコン部の部長は親身に聞いている。
胸に空いた大きな穴から、必死になって目を背けた。
「昨日な、うちらだけで、いろいろ考えたんよ。でもな、うちらはパソコンにいっこも詳しくないさかい、夜まで考えたんやけども、ええ案がいっこも出なかったんよ」
「はい」
「ほしてな、あんたに力を貸してほしいんよ。あんた、うちの学校でパソコンに一番詳しいやろ。うちとパソコン部は、縁もゆかりもないけども、そこは堪忍してや。どうか、たのんまっせ」
部長の誠意と困惑が込められたお願いは、文句のつけどころのない完璧な交渉だった。
いつもは不真面目で遊んでばっかりいるのに、成果を出さないといけない場面を、部長は正確に見抜いているんだ。
パソコン部の部長は、黒豆のような目でうちの部長に見入っていた。
俺と目が合うと、こほんと咳払いして、
「学校の、パソコンを治すのは、パソコン部の、し、使命です。僕で、よければ、ち、力、を、貸します」
たどたどしい口調で協力に同意してくれた。
「ほんまに!? おおきにっ」
「あ、あのっ、ちょっ」
部長が飛び出して、パソコン部の部長の手を取った。
パソコン部の部長は、林檎のような顔で対処に困っている。だけど、偏屈な口もとが嬉しさでへらへらしている。
この人の弱みに付け込むつもりだったけど、この作戦は非情な作戦だったのかな。
右手の袖が後ろから、くいくいと引っ張られる。振り返ると、柚木さんの笑顔がそこにあった。
「よかったですね。先輩っ」
部長や柚木さんたちのお陰で、課題のひとつをクリアすることができた。
「おい、お前っ。ちょっと来い!」
パソコン部の部長が、逃げ込むように俺に抱きついてきた。丸々と肥えた腕で首を絞められる。
「先輩、苦しいですって」
「お前らのお願いは聞いてやるけど、俺は何をすればいいんだっ」
「あ、はい。ええとですね。まずはコンピュータウィルスの感染――」
「ランサムウェアだろうがっ」
いい間違えて、パソコン部の部長にきつく絞められる。
「すみません。ランサムウェアでした。それに、今後、ランサムウェアに感染しない方法を、教頭先生に提出しないといけないんです。他にもいろいろと考えないといけないことがあると思いますから、とりあえずうちの部室へ来てください」
「ふん、当然だろ。原因とかパソコンの管理の仕方とか、考えねえといけねえ問題が山積してるんだからよ。お前んちのだせえパソコンにはよ」
あなたの言葉は至言だが、だせえと毎回言われるのはかちんとくるな。
「あの、先輩」
「なんだよ」
「うちの部長が、ずっとこっちを見てますよ」
「へっ!?」
パソコン部の部長が仰天して腕を離す。
振り返って部室を見るけど、うちの部長の姿はない。柚木さんたちと話しながらパソコン部を出ていくところだった。
パソコン部の部長が赤ちょうちんみたいな顔で睨む。
弱みをにぎるというのは、こういうことなんだな。
「そういえば、先輩の名前をずっと聞き忘れていました。先輩の名前って、なんていうんですか?」
「か、加賀谷だっ」




