第34話 比奈子を説得しろ!
仰向けになって、天井からぶら下がっている電灯を見つめる。
文研のパソコンが今まで通り使えるように、案をどうにか出したい。
だけど、俺の、いや文研の少ない知識では、案なんてとても出せないのが現実だよな。
パソコン部に力を借りられたら、なんとかなるかもしれない。
だけど、パソコン部のあの偏屈な部長を説得することなんて、できるのか?
「んま、ことちゃんがいるんだから、先生といちゃいちゃなんてさせないかぁ」
「おぶっ」
比奈子が身体を倒して俺に乗りかかってきた。比奈子の背中が俺の腹部を圧迫する。
「重たいだろ。離れろっ!」
「きゃっ」
比奈子を力まかせに押し出した。
「女子に重たいなんて言うなっ。にい、サイテー!」
「それ、部長にも言われたぞ」
「当たり前でしょ。せっかく、ことちゃんと同じ部にいるのに、乙女心が全然わかってないんだから」
俺は、乙女心のわからない最低な男ですよ。
「ことちゃんとも、あれから進展してないみたいだし。何やってんのよ」
「うるさいな。今はそれどころじゃないんだよ」
「ふん。文研のパソコンなんて、どうせ使ってないんでしょ。いい機会だから、リサイクルショップにでも売っちゃえば?」
あのパソコンは学校の備品だから、勝手に売り払ったら校則違反だ。
「お前もういいから帰れ。今日はマジで疲れてるんだよ」
「言われなくても帰りますよ。この、うすらとんかちサイテー男!」
比奈子が「ふん」とそっぽ向く。その低い上背をぼんやりと眺める。
ひなは気分屋でキーキーと喚く女だが、人の心をつかむのが俺よりもうまい。
こいつだったら、パソコン部の部長のような気難しい人を、どうやって説得するのだろうか。
「なあ、ひな」
「なによ」
「お前にひとつだけ聞きたいことがあるんだが、話を聞いてくれないか?」
「知らないわよ。勝手にすればっ」
比奈子が部屋の扉を開ける。俺は比奈子の腕をつかんだ。
「ちょっと、離してよ!」
ええと、こういうときはどうやって説得すればいいんだ。
相手の心を揺れ動かせる餌をちらつかせるべきか。
比奈子の大好物は、ケーキ。チョコレート? いや違うっ。
そんな子どもだましじゃなくて、今の比奈子がもっとも食いつくものは――。
「もうっ、痛いでしょ」
比奈子が俺の腕を振り払う。廊下へ出て自分の部屋へと歩き去ってゆく。
比奈子が最近よく話をしているものは、俺と柚木さんの関係性?
「お前が相談に乗ってくれたら、俺が柚木さんを遊びに誘う!」
比奈子の足が、扉の前でぴたりと制止する。
「柚木さんに断られたら、それでおしまいだが、いっしょに遊びに行ったら経過報告までちゃんとしてやるっ。これならどうだ!?」
俺は、とんでもないことを口走ってるぞ。彼女はただの部活の後輩なのに。
比奈子は、ドアノブに手をかけたまま制止していた。
ロールプレイングゲームに登場する石像のモンスターのように。腰までかかる髪の先まで制止させて。
だが、「くっくっく」という漫画じみた笑い声が聞こえて、俺は自分の迂闊さを悔やんだ。
比奈子の背中から、どす黒いオーラが八方へと発せられていた。
「言ったわね。僕、この耳でしかと聞き遂げたからね。約束を破ったら、にいの全身の骨をばきばきに砕いて、小間川の上流から捨ててやるからね。覚悟しなさいよ」
比奈子の黒い顔から、ふたつの赭の光が発せられている。
悪魔のように大きく開いた口から、毒々しいガスが噴き出されて、今にも俺に襲いかかる――ような感じで比奈子はうすら笑っていた。
なんか、悪魔の世界のとてつもない門を開いてしまった気がするぞ。
比奈子を俺の部屋へ呼び戻す。だが、「さっきの約束を僕のスマホに録音しといて!」と、しつこく要求された。
「録音するのはかまわないけど、柚木さんが嫌だと言ったら、それでおしまいなんだからな」
「わかってるわよ。僕だって、ことちゃんに無理強いなんてさせる気ないんだから。っていうか、ことちゃんだったら絶対に断らないし」
比奈子が、俺の机から椅子を引っ張り出す。椅子の背もたれを股に挟んで座った。
「柚木さんはいい子だから、事情を話せばすぐに納得してくれると思うけどな」
「そういうことを言いたいわけじゃないんだけど。っていうかさあ、このことを、ことちゃんに絶対に言っちゃだめだからね」
「わかってるよ。俺たちの勝手な密約のために利用されたとわかったら、柚木さんも傷つくからな」
「いや、だから、そういうことじゃなくって」
比奈子は唇をふるふると動かして、俺を恨めしそうに見ている。
そして、パジャマのポケットからスマートフォンを取り出した。
「ああっ、もういいから、早く録音してっ!」
「わかったわかった」
恥ずかしいけど、さっきの言葉をスマートフォンへ録音する。
柚木さんを遊びに誘うとか、言っていることが都会のチャラ男みたいじゃないか。
「これでいいんだろ。さっさと話をはじめさせてくれ」
「はいはい。で、僕に何を相談したいわけ? 言っておくけど、パソコンとか、そういう系の話はアウトだからね」
「わかってるよ」
今日の文研で起きた一連の騒動を、比奈子へ掻い摘んで説明した。
パソコンにウィルスが仕掛けられたこと。
パソコンを治すためには、OSを再インストールしないといけないこと。
今後の対策案を教頭先生へ提出しないと、文研のパソコンがすべて没収されてしまうことを。
「パソコンのことは、よくわかんないけど、教頭先生を納得させればいいんだね?」
「そういうことになるな。教頭先生は、パソコンに詳しい人っぽいから、かなりちゃんと考えて案を提出しないと、却って教頭先生を触発させることになる」
「だから、あいり先生のうちまで行って話し合ってたんだね」
要領のいい比奈子は、腕組みして小さくうなずいた。




