第28話 文研の部長とパソコン部の部長
「ランサムウェア」
木戸先生が息を呑む。
「パソコンに感染しているウィルスは、このランサムウェアで間違いないのかね!?」
「何言ってんすか。間違いないに決まってるでしょ」
パソコン部の部長がドヤ顔で胸を張る。
「先生、サイトの記事読んだでしょ。ランサムウェアの特徴と、このだせえパソコンの症状はまったく同じだろ?」
「まあ、そうだが」
「ま、俺は、症状をちょっと聞いただけで、原因がわかったけどね」
パソコン部の部長が嘲る。木戸先生はむっと口を閉ざした。
サイトの記事を読み進める。
ランサムウェアの対策方法として、パソコンのセキュリティ対策を施すことが書かれている。
OSをアップデートしたり、ウィルスをチェックするソフトをインストールすることで、ウィルスを事前に見つけることができるらしい。
いずれも文研のパソコンにしていなかった対策だ。
しかし、これらのセキュリティ対策は、ウィルスに感染する前に行うものだ。
「部長。お陰様で原因はわかりました。しかし、ウィルスに感染したこのパソコンを、どうやって治せばいいか、わかりません。俺たちはどうすればいいのですか?」
「はあ? そんなの決まってるだろ。OSを再インストールするんだよ」
「OSを再インストール? そんなことができるんですか?」
OSはパソコンを買ったときに、既にインストールされているものじゃないのか?
「かーっ、これだから素人は困るんだよ。OSインストールしたことねえの?」
「はい。ないです」
「OSっつーのは、パソコンを自作したり、このだせえパソコンみたいに問題が起きちまったときに、てめえでインストールしなきゃならねえんだよ。そんなこともわかんねえから、ウィルスに感染しただけでおろおろするんだよっ」
くっ。むかつく言い方だけど、きっと正しいのだから反論できない。
木戸先生が少し前に出て、
「しかし、OSを再インストールしたら、パソコンのデータが全部消えてしまうんじゃないのか?」
「そうだよー」
パソコン部の部長の呑気な言葉に、文研の部員たちからどよめきが走る。
「そうだよって、いくらなんでも、それは無責任じゃないか。他に方法はないのか?」
「ねえよ。だって、ランサムウェアで暗号化されちまったファイルは、基本的に元に戻んねえもん。だから、ディスクを一旦まっさらにして、OSをインストールしなおすしかねえんだよ」
この人の言う通りだ。サイトの記事に、同じようなことが書かれていた。
パソコンには、文研の部員や先輩たちが残した、貴重な小説や資料がたくさん保存されている。
OSを再インストールしたら、それらがすべて失われてしまうんだ。
「先輩、どうしましょう」
柚木さんが不安げに俺を見る。木戸先生が見かねて質問した。
「しかし、その方法だと、このパソコンに保存されているファイルが全部消えてしまう。相手にお金を払えば、ファイルを復元してくれるんじゃないか?」
「先生、さっきの記事、ちゃんと読んだの? ウィルスをつくったやつに金を払ったって、ファイルを復号してくれる保障なんて、どこにもねえんだよ。だから、このパソコンは、まっさらにするしかねえの」
パソコン部の部長が、怖い顔で俺を見上げる。
「つーかさあ、なんでデータをバックアップしてねえわけ? バックアップを取るのは基本中の基本だろ」
「そうだったんですか。でも、文研の規則になかったものですから、その――」
「バックアップを取る規則がねえの? 部活でパソコン使ってるのに? ばっかじゃねえの」
パソコン部の部長がわざとらしく肩を竦めた。
「家のパソコンじゃねえんだから、セキュリティ対策くらいちゃんとしとけよ。しかもこいつら、ネットにすらつながってねえし、スタンドアロンで何ができんだよ。九十年代かっつーの」
この人の言葉は過分に暴力的だ。悔しいけど、返す言葉がない。
柚木さんや木戸先生も、がっくりと項垂れてしまった。
パソコン部の部長が、「やれやれ」と息を吐いて立ち上がった。
「じゃ、後はお前らでなんとかしろよー」
「待ってください! OSの再インストールのやり方まで教えてくださいっ」
ここで、この人を帰してたまるかっ。
パソコン部の部長の手首を反射的につかむと、この人は、「はあっ?」と、ものすごく嫌そうな顔をした。
「なんで俺が、そこまでしてやんねえといけねえんだよっ。調子に乗ってんじゃねえよ!」
「しかし、俺たちは、OSの再インストールのやり方なんて、わからないんです! どうか、俺たちにやり方を教えてくださいっ」
「知らねえよ! 俺は、ウィルスに感染された、だせえパソコンを見たかっただけなんだよ。汚え手を離せ――」
「ただいまー」
部室の扉が開いて、部長と高杉先生が帰ってきた。
先生は目や鼻の頭を赤くして、部長に手を引かれている。
白いハンカチで目もとを抑えている姿に、胸が痛くなる。
部長の能天気な表情は、いつもと変わらない。
「あら、みんなで集まって何してはるん?」
「木戸先生とパソコン部の部長に来ていただいて、パソコンに仕掛けられたウィルスを調べてもらったんです」
「そうやったの。うちの部のために、わざわざご足労いただいて、おおきに」
部長は踵をぴたりとつけて、丁寧にお辞儀した。
木戸先生が「いやいや」とかぶりを振った。
パソコン部の部長は、うちの部長にすかさず皮肉を浴びせるのか?
だけど、パソコン部の部長は何も言わない。
おそるおそる目を向けると、パソコン部の部長は小さい目を大きく見開いて、皮膚のかさかさしている唇を小刻みに震わせていた。
なんだ、この反応。顔もちょっと赤くなってるぞ。
「高杉先生!」
木戸先生の悲鳴が部室に鳴り響く。
高杉先生が近くの机に泣き崩れて、声にならない嗚咽を発していた。
「高杉先生っ。教頭先生に、何を言われたんですか!?」
「せんせ。ちょい、やめてあげて」
高杉先生に詰め寄る木戸先生を部長が制止した。
「さっき、職員室で教頭せんせにめっちゃ怒られてん。あいりちゃん、今はめっちゃつらいから、そっとしてあげといて」
「し、しかし――」
「木戸せんせは、バトミントン部の顧問やさかい、こないなとこで遊んでたらいけへんやろ。後はうちらでなんとかするさかい、せんせはバトミントン部に戻ってあげて」
部長の優しい言葉に、感動に似たものを覚えてしまった。
非常事態なのに、平時と変わらずに生や俺たちを気遣っている。なんて人なんだ。
パソコン部の部長が立ち尽くしていることに部長が気づいた。
「あんたもご苦労やったね。どこのだれだか知れへんけど、ほんまにおおきに。むなくんに後で礼をさせるさかい、今日はこの辺で帰ってな」
「えっ、あ、はいっ!」
パソコン部の部長の声が裏返った。背筋がぴんと伸びてますけど。
達磨のように丸い顔は真っ赤で、そばで首をかしげる部長に見入っている。
もしかして、うちの部長に惚れちゃったのか? まさかな。
左の二の腕のあたりをとんとんと叩かれる。柚木さんと顔を見合わせて、笑みがこぼれてしまった。




