第159話 どうでもよくなってくる気持ち
柚木さんに、改めて俺の思いを伝える。
かなり無謀だけど、やるしかない。
しかし、どのように伝えればいいのだろうか。
俺と会ってくれない。メールを送っても、読んでもらえない。
どうすることもできない。まさに四面楚歌だ。
「こんな状況で、ひなにとんでもない大言を吐いちまったな」
学校の二階の廊下へ下りて、部室の鍵を開ける。
部活は今日も休みたかった。しかし、副部長である俺が何度も部活を休んではいけない。
部室のがらんとした空気に触れて、そっとため息をつく。
柚木さんの説得に失敗したら、俺はどうすればいいんだろうな。
文研の活動は、ひとりになってもつづけるか。
副部長だからとか、そんな重責は関係ない。
今さらここを去ったところで、居場所なんて他にはないのだから。
執筆用のノートパソコンを立ち上げる。執筆中の小説のファイルがデスクトップに置かれている。
そういえば、小説を執筆してたんだっけ。
いつから書きはじめたのか気になって、ファイルのプロパティを表示してみた。
ファイルの作成日付は十月になっている。
まだひと月くらいしか経っていないのか。随分前から書いているものだと思っていた。
小説の内容は、イケメン執事を主人公にしたコメディ路線の小説だ。
イケメン執事のまわりにいる、だらしない主人や客たちが問題を起こして、それをイケメン執事が颯爽と解決していくというものだ。
「退屈だ」
俺は開いていたファイルを閉じた。
なんて退屈なんだ。物語になんの波乱もない。彼らの命運を左右する、重要な事柄が何も発生しない。
小説というのは、フィクションだから、現実に起こっていることよりも奇怪にしなければいけないんだ。
それなのに、この小説よりも、今の俺の置かれている状況のようが、よほど悲惨で、よほど奇怪じゃないか。
それならば、いっそ、今の俺を主人公にして、この状況をストーリーに仕上げた方が、内容の濃いものができあがる。
俺が主人公で、柚木さんのような女の子がいて、彼女をずっと思っていたけれど、ふられてしまった。
この伝えられない思いを、小説として紡いだら――。
「あ、今日は開いてる」
突然の声に、俺は盛大に驚いてしまった。
部室の扉を開けていたのは、村田だった。
「どうしたんすか? 先輩。そんなに驚いて」
「いや、別に」
こいつに変な弱みをにぎられるのだけは嫌だ。
俺はなるべく平静を装ったが、村田の好奇な視線が変わることはなかった。
「そうなんすか? あからさまにびっくりしてましたけど」
「そんなことはないさ」
「ふーん。ま、いいや」
村田が向かいの席の椅子を引いて、どかっと座った。
「ゆずなら、今日も帰りましたよ。先輩、完全にふられちまいましたよね」
「ああ、そうだね」
「昨日、あいつ、よくわかんねえすけど、昼休みの後からずっと泣いてましたぜ。先輩、なんか――」
柚木さんが、泣いてた?
そんなはずはない。ふられたのは俺なんだから、彼女が泣くはずなんて――。
「先輩、聞いてんすか?」
気づくと、村田の無粋な顔がすぐ近くにあった。
「ああ、聞いてるよ。それで?」
「それで? だから、先輩、あいつに何かしたんすか?」
原因は、きっと昼休みのあの告白だろうな。だが、そんな事実があったことを、こいつに教える義理はない。
「さあ、知らないよ。俺があの子と不仲になっているのは、お前の方がよく知ってるだろ」
「まあ、そうっすけどね。一応、探りを入れてみただけなんすけど」
こいつ、邪魔だな。
「放課後に一年の廊下まで来て、あいつにアタックするくらいだから、また先輩がなんか絡んでると――」
柚木さんに思いを伝える、今考え得る最高の方法が思いついたんだ。
しかし、こいつがいたら、何もできず、無為な時間が流れてしまう。
「なんで、俺は――」
「村田」
冷然と彼を見返す。彼は少したじろいだ。
「なんだよ」
「俺はこれから集中したいから、静かにしていてくれないか」
「はあっ?」
彼の眉尻がとたんに吊り上がった。
「お前がひとりで寂しそうにしてるから、仕方なく部室に来てやったっていうのに、その態度はなんだよっ!」
恩着せがましい男だな。俺は一言も頼んでいないというのに。
「いいんだぜ、俺は。こんな部活、はなっから興味ねえんだし。あんたがそう言うんだったら、俺は――」
「お前の考えていることが、よくわからないんだけど、柚木さんのことが好きなら、こんなまわりくどいことをしないで、彼女に言えばいいじゃん。なんで、そうしないの?」
半ば呆れながら言い返すと、村田の表情がさらに険しくなった。
「なんで、そうなるんすか? 意味がわかんないんすけど」
「お前がどう思っていようが、彼女のことをどう考えていようが、俺は興味がない。だが、自分の恋路がうまくいかないからって、俺に八つ当たりされるのは迷惑なんだ。いい加減にやめてくれないか」
「な……!」
柚木さんにふられ、文研の衰退が抑えられないとわかったら、今まで後生大事にしていたものを抱えている必要なんてないと思った。
「俺は執筆がしたいから、活動するんだったらお前も執筆するか、そこの本棚から読みたい本を探して、おとなしく読書していてくれ。もう、たくさんだ」
こいつがあらわれてから、ずっと感じていた苛立ちがきれいになくなった。
こいつとの縁は、これで切れるだろう。だが悔いはない。
最初から、こうしていればよかったんだ。
村田はしばらく声もなく、目を大きく見開いていたが、
「あんた、ひでえ野郎っすね。いい人そうな仮面をつけて、本心では俺らをうざいと思ってる。それが、あんたの本心だったってわけね」
俺を心の底から軽蔑するように言った。
「あんたみたいなひでえ野郎に、ついてくるやつなんて、ひとりもいねえすよ」
そうだろう。部室のこの寂寞が、すべてを物語っている。
「ゆずも、あんたがこんなに冷酷な野郎だと知ったら、さぞ軽蔑するだろうな。へっへ。そうしたら――」
「もう、ふられてるから」
村田がまた小細工を弄するようだから、俺ははっきりと言った。
「えっ、ふられてる?」
「昨日、彼女に告白した。そして、ふられた。だから、これ以上、軽蔑されることはない」
俺の胸が、また悲鳴をあげた。
村田はまた絶句していたが、その表情には明らかなる喜悦というか、浅ましさで満たされていた。
「あ、そうだったんすね。じゃあ、あいつに伝えなくていいすね」
「これでわかっただろう。俺は執筆に集中するから、用がないんだったら、さっさと帰ってくれ」
「ゆずにふられちったから、これからひとりでストイックに執筆しまくるってことなんすね。わかりました。じゃあ、俺はこれで失礼します」
村田はへらへらと口もとをゆるめて、颯爽と席を立った。
彼が部室の扉を開けると、高杉先生が入れ違いで部室へ入ってきた。




