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第158話 逃避行の果てにあるもの

 陽が落ちてもうちへ帰ることができず、帰りが遅くなることを親にメールするしかなかった。


 涙を流す比奈子のとなりに腰かけて、泉の静かな水面をずっと眺めていた。


 比奈子がいてくれて、よかった。


 こいつが俺の替わりに泣いてくれるから、俺は冷静さを保つことができる。


 こいつがいなかったら、きっと、ひとりで部屋に籠って、ずっと塞ぎ込んでいたと思う。


 空腹を感じて、スマートフォンの時計を見た。気づけば夕食の時間になっていた。


「ひな。なんか食べるか?」


 比奈子がふるふると首を振る。


「そうか。じゃあ、いいか」


 近くのコンビニで肉まんでも買いたかったが、それは諦めるしかない。


「なんか食べたいんだったら、コンビニにでも行ってくればいいじゃん」


 比奈子の涙を含んだ声が夜空にひびく。


「いや、いいよ。お腹は空いてないから」


「うそばっかり。さっきからお腹がぐーぐー鳴ってるじゃん」


 くっ、ばれたか。絶対に聞かれていないと思っていたのに。


「我慢してないで、コンビニでおにぎりでも買ってくれば? 僕はここにいるから」


 そうは言っても、夜に妹をひとりでいさせられるわけないじゃんか。


 ぶっちゃけた話、空手有段者の比奈子に勝てる人間は、このあたりにはいないかもしれないが。


「いいんだよっ。腹は減ってないから」


 投げやりに言い返して、ベンチの背もたれに寄りかかる。比奈子は反論してこなかった。


 空腹を耐えながら、夜の泉を眺める。水鳥はどこかへいなくなってしまった。


 俺と柚木さんの関係は、終わってしまった。


 比奈子にそう断言されて、素直に理解する俺と、そうでない俺がいる。


 柚木さんにふられたし、彼女に嫌われていることも理解している。


 しかし、諦めるのはまだ早いんじゃないか。


 ――ひなちゃんから、そう言えって吹き込まれたんですか?


 絶望の淵に立たされている俺に、彼女から一筋の光を与えられたような気がした。


「なあ、ひな。可能性はまだあるんじゃないか?」


 比奈子が怪訝そうに顔を向ける。


「可能性って? ことちゃんとにいが付き合えるってこと?」


「そうだ。確率にしたら数パーセントもないかもしれないけど、この難局を打開する手立ては、まだある」


 万策はまだ尽きていない。だから、もう少しがんばるんだ。


「どういうこと? あんなにはっきりふられたのに、他にどんな方法があるのっ?」


 比奈子が俺の腕をつかんだ。力を加減していないのか、少し痛い。


「柚木さんから、こう言われたんだ。『好きだって、わたしに言えば、わたしを文研に連れ戻せるって、ひなから言われたんだろう』って」


「そうだったの? 僕は別に、ことちゃんを文研に連れ戻したかったわけじゃないんだけど」


「その辺の誤解はまあ、この辺にひとまず置いておいて、柚木さんが一番気にしてるのは、きっと俺の意志の弱さなんだろうと思うんだ」


「にいの、意思の弱さ?」


 比奈子が素直に小首をかしげる。こういう比奈子は、かなり可愛いと思ってしまう。


「そうだ。さっきも言ったが、俺は柚木さんとの関係を崩すのが怖いから、曖昧な態度を取り続けていた。柚木さんが気に入らないのは、俺のそういう態度なんだ」


「それは、うん。そうだと思う。好きな人が曖昧な態度をとったら、だれだって嫌だと思う」


「だから、ひなの差し金で動くんじゃなくて、俺の強い意志で、彼女にもう一度告白しなければいけないと思うんだ」


 比奈子の不安で満ちた表情が、すべて驚きに変わった。


「そうだ。うん、そうだよっ」


「一度ふられてるんだから、もう怖くはない。またふられるかもしれないが、そうなったら仕方がない。全力で臨んで失敗したのであれば、諦めもつくさ」


「ううん。今度こそ、絶対にだいじょうぶ! にいなら、絶対に成功するっ」


 比奈子の強い言葉が、すごく嬉しかった。


「でも、どうやって告白するの? 今日みたいな方法は、次は使えないよ」


「そうだな。それを考えないといけないが、どうするか」


 どうやって柚木さんに思いを伝えるか。


 愛の告白と言えば、今日みたいに学校の裏に彼女を呼び出して行うのが一般的だろう。


 俺から呼び出せば、柚木さんはきっと警戒して、呼び出しに応じてくれないだろう。


 しかし、比奈子の力を借りることはできない。四橋さんや部長も、例外ではないだろう。


 冷静に考え直すと、やはりというか、かなり難しい問題だ。こんな難問を、本当に解くことができるのか?


「でも、すごいね。なんか」


 俺の腕をつかんでいる比奈子が、妙なことを言う。


「すごいって、何が?」


「ことちゃんのこと。なんか、急に大人になった」


「そうか? いつもと変わらないだろ」


 俺は何も変わっていない。いや、かっこ悪い姿を何度も見せて、むしろ軽蔑されていると思ったんだが。


 比奈子が赤く腫れた目もとを和らげて、


「ううん。前のにいは、すごく頼りなかったけど、今はなんか、どんなことでも叶えてくれそうな気がする」


 気持ちを素直に話してくれる。


「なんだそれ。どんな願いでも、三つだけ叶えてくれるりゅう的な感じかよ」


「なにその例え。マニアックすぎて、逆にわかりにくいんですけどっ!」


 比奈子が俺の腕に抱き付いて、無邪気に笑った。


「よくわからないけど、なんというか、吹っ切れた感はあるな。一度ふられてるから、次は失敗しても傷つかないし、彼女が自分の意志で俺から離れるんだったら、どうしようもないからな」


「うん。そうなってほしくはないけど、だめだったら、諦めるしかないんだもんね」


「そうだ。だったら、悔いがないように全力でやり切ればいいんじゃないかな。失敗したら、俺たちはそういう運命だったんだと思うしかないさ」


 泉のそばまで歩いて、そっと夜空を見上げた。


 曇り空なのか、星の光はほとんど見えない。


 しかし隈なく探すと、星は夜空のいたるところで煌めいている。


 可能性は、まだある。だから、諦めるな。


「僕は、にいの味方だから」


 後ろから比奈子の声が聞こえた。


「これからは、僕はにいに協力できないけど、にいのこと、応援してるから」


 比奈子が俺のそばまで来て、また俺の腕をとった。


「今日はいろいろなことがあったけど、それでも、僕はにいとことちゃんに幸せになってほしい。だから、がんばって」


「ああ。まかせろ」


 力強くこたえると、比奈子は照れくさそうに笑った。


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