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第157話 比奈子の誤算

 駅の近くのコンビニに寄って、雑誌やお菓子を物色して午後の暇な時間をつぶした。


 比奈子は俺のくだらない話に突っ込みを入れるくらいまで立ち直った。けれど、時折見せるかげりに不安を禁じ得ない。


 しかし、学校をさぼっているときの妙なテンションに心を踊らされて、俺は比奈子と理由もなく駅へ寄ったり、デパートのブースを端から覗いたりした。


「なんか、微妙に悪いことをしてるから、すごく変な感じっ」


 デパートの二階のカフェで、比奈子が顔をほころばせる。


 お前は俺を真面目だとか暗に批判してくるけど、お前もなんだかんだ言って、学校に毎日ちゃんと通ってるからな。


「こういうときくらい、学校をさぼったっていいだろ。俺もお前も、毎日ちゃんと学校に行ってるんだから」


 正面の席に座る比奈子を眺めながら、カフェラテを口に運ぶ。


 コーヒー豆のほろ苦さがいたく沁みわたる。


 比奈子がわざとらしく肩をすくめて、


「なんで、こんな時間に、にいなんかとふたりでカフェに寄らないといけないのよ、って感じだよね」


 意地悪する気満々の顔でせせら笑う。


「なんだよそれ。だったら、お前だけ先に帰ったっていいんだぞ」


「はあ? なんでよ。こんな時間に帰ったら、お母さんにめっちゃ叱られるでしょ」


「だから、こんな時間に、こんな場所で、お前なんかとだらだら時間をつぶしてるんだろ」


 俺もいつものように言い返すと、「ふんっ」と比奈子はそっぽを向いた。


「ま、いいわよ。今日はもう、部活も何もさぼるって決めたから」


「そういえば、お前、大隈先輩には言ったのか? 部活を休むこと」


「別に。言ってないけど」


 比奈子がしれっと言い放つ。コーヒーカップを持ちながら。


「おいおい、平気か?」


「平気よ。あの人、一日くらい休んだって、全然怒んないから」


「それなら、いいんだが」


「にいの方こそ、文研の部員に言ったの? 今日は部活をやらないって。文研の部室の鍵って、にいしか持ってないんでしょ」


 部室の鍵は、高杉先生も持ってるんだけどな。


「俺も言ってないよ」


「えっ、じゃあ」


「今の文研は開店休業の状態だからな。それこそ、だれも怒らねえよ」


「そうなんだ」


 比奈子の表情がとたんに暗くなる。


「文研、だいじょうぶなのかな」


「さあな。どうなるかは、俺にもわからん」


「わからんって、いいの? 文研でこれからもがんばりたいって、前に言ってたじゃん」


 こんなときに、自分が所属していない部活の心配をするなんてな。お前もやっぱり真面目なんだな。


 俺はコーヒーカップを置いた。


 比奈子の言葉は至言だが、今は部活の面倒な問題なんて考えたくない。


「よくはないが、今は何も考えたくない。精神的に疲れ果てている状態だから」


 さぼる理由が他に思いつかなかったから、素直な気持ちを吐露する。


 比奈子は、何も言い返してこなかった。


 うちの学校の生徒たちの入店する様子を見て、俺たちはカフェを後にした。


 駅から小間市の商店街へと続く長い公道をひた歩いて、公道の裏手にある公園へ向かう。


 泉のある日本庭園のような場所で、コスプレの撮影なんかでよく使われているらしい。


 人の出入りが少なく、平日の夕方はひっそりしている。少し濁った泉の水面に、つがいの水鳥がぷかぷかと浮いていた。


「にい。さっきさ。ことちゃんのこと、好きだって言ってたよね」


 泉のそばにつくられた屋根付きのベンチに腰かけて、比奈子が言う。


「ああ。言ったよ」


「にいって、やっぱり、ことちゃんのこと、好きだったんだね」


 比奈子の嬉しそうな言葉に、照れくさくて顔が熱くなった。


「自分の気持ちにちゃんと向き合っていなかったから、よくわからなかったけど、柚木さんにふられて、やっと気づいたんだよ。あの子が好きなんだって」


 泉の静かな水面に目を向ける。水鳥の動きに合わせて、小さな波紋がいくつか広がっている。


「俺がずっと曖昧な態度をとっていたのは、怖かったからなんだ。俺の下心がばれたら、きっと柚木さんにふられるから、そうならないように、部活の先輩と後輩という距離感を保って、今までの当たり障りのない関係をつづけていきたかったんだ」


 泉の近くに行って、足もとに転がる小石を拾う。投げると、泉に少し大きな波紋ができた。


「だから、お前から背中をつつかれて、かなり嫌だった。お前の意見に従って、もっと早く動いていれば、今日みたいなことにはならなかったのかもしれないのに、ばかだよな。目先しか見えていなかった」


 振り返ると、ベンチでたたずむ比奈子が首を横に振っていた。


「ううん。そんなことない。にいは、すごくがんばってた。にいのこと、かなり見直した」


「そうか」


「てっきり、にいは今日も適当なことを言って、ことちゃんや僕をたぶらかすんだと思ってた。でも、はっきりと『好きだ』って言ってくれたから、これでもう絶対にうまくいくって、思った」


「俺も実は、うまくいくんじゃないかって思ってたんだけどな。はは。全然だめだったな」


 苦し紛れに笑ってみる。しかし、比奈子の沈んだ表情は明るくなってくれなかった。


「それは、僕の完全な誤算。だから、にいのせいじゃない」


「そんなことはない。俺が――」


「違うの! 僕が全部悪いのっ」


 比奈子の悲鳴が夕方の公園にひびいた。


「ことちゃんのこと、わかってないのは僕だった。僕の言う通りにすればいいって、にいに偉そうに言ってたのに、なによ。全然だめじゃない」


 比奈子の声が、悲しみの色に染まっていく。


「にいに一生ものの傷を負わせて、ことちゃんだって、きっと深く傷ついたんだと思う」


「ひな。もう止めろ」


「こうなったのは、全部、僕のせい」


 比奈子の瞳が涙であふれる。長い睫毛の先まで濡れていた。


「僕のせいで、全部……台無しに。にいと……こと、ちゃん、は……もう……」


 比奈子の言葉が涙でかすれる。そして、大粒の雫が流れ落ちてしまった。


「ごめん、なさい……ごめんっ」


 今日は何回、比奈子に謝られてるんだろうな。


 俺は何もすることができず、泣きじゃくる比奈子をただただ見ているしかなかった。


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