第150話 狂いだす歯車
柚木さんに嫌われてしまった。
彼女が部室に来なくなったのは、俺のせいだったんだ。
――先輩にはきれいな彼女がいるんですから、その人と仲良くしていればいいじゃないですか。
有栖川は俺の彼女じゃない。クラスで席が近くて、話しやすいから仲が良くなっただけだ。
あいつのうちに遊びに行ったり、球技大会の後にいっしょにカフェに寄ったりしたけど、付き合ってなんかいない、はずだ。
言われてみれば、かなり誤解を招くことをしているかもしれない。
しかし、柚木さんから軽蔑されてしまった後では、もう手遅れだ。
「あれ、副部長。なにしてんすか?」
背後から男の哄笑が聞こえてくる。振り返って、その主の姿を見るまでもない。
「あいつ、めっちゃ切れてたけど、なんかしたんすか?」
村田はわざわざ俺の前へと回り込んでくる。気色を浮かべて、笑いのとれないお笑い芸人を見るように言った。
喉がからからに渇いている。口を開こうとしても、何をしゃべればいいのかわからない。
「あいつ、副部長のことが好きでしたからね。副部長が他の女と付き合ってるって知って、すげえショックだったんでしょうね」
柚木さんが、俺のことを好きだった?
彼女からの好意は感じていたけど、それは先輩として慕ってくれているだけなんだと思っていた。
「ま、でもいいじゃないすか。副部長は、漫研のあの人のことが好きなんでしょ。ほら、球技大会の後でデートしてた」
耳元でささやかれる村田の饒舌が、鬱陶しい。
「副部長とあの人の関係を、ゆずから根掘り葉掘り聞かれたんで、素直にしゃべったんすよ。ま、こんなことになるとは思ってなかったけど」
この村田の言葉は嘘だ、と直感的に思った。けれど、そんな、取るに足らないことの真偽をたしかめる気になれない。
村田が俺の肩に腕をまわすようにして、俺の左の肩をぽんと叩いた。
「そういうわけすから、さ、部室に行きましょ」
文研の部室に行っても、柚木さんから突き放されたことが頭からはなれない。
柚木さんからかけられた疑いを晴らしたい。でも、どうすればいいのか。
「ねえ、宗形くん。柚木さんは今日も来ないの?」
ピンク色のジャージを着た先生が、となりの席に座る。
「はい。今日も用事があるそうです」
「三日も立て続けに用事があるの? うそでしょ」
「うそかどうかと言われましても、俺にはわからないのですが」
先生が、深夜アニメの萌えキャラのように眉尻を落として、
「柚木さんと、喧嘩でもしたの?」
弱弱しい言葉で、俺の胸のど真ん中を撃ち抜いた。
まわりの部員たちが、不安げに俺を見てくる。その中には、一年生たちもいる。
「喧嘩なんて、してませんけど」
「そうなの? それなら、いいんだけど」
先生から核心をいきなり突かれるとは思っていなかった。驚きで胸がどきどきしている。
「宗形くんと柚木さん。前はあんなに仲がよかったのに、最近なんだか、ふたりの間に隙間ができているような感じだったから、気になってるのよ」
俺と柚木さんの間に、隙間ができている?
「山科さんが引退して、宗形くんが忙しいから、柚木さんは遠慮してるのかなって、思ってたんだけど。先生、心配だわ」
先生って、勘のするどい人なんだな。
間抜けなことばかりしてるから、俺たちのことなんて気にも留めていないと思っていたのに。
「ゆずと副部長は、喧嘩したんすよ」
要らない言葉を吐いたのは、村田だった。
わざとらしく席を立って、「えっ!?」と顔色を変える先生を楽しげに見下ろす。
「宗形くんと柚木さん、喧嘩したの!?」
「そうすよ。ついさっきですけどね。一年の廊下で、あいつと副部長が言い合ってたんすよ」
村田め。余計なことを……。
先生が俺の腕をつかみそうな感じで見てくる。
「宗形くん。本当なのっ?」
「本当かと言われましても。言い合いなんて、したおぼえはないんですがね」
平静を装ってみるが、先生や部員たちから向けられる疑いと不安は払拭できないわけで。
「お前たちも見たよな。ゆずとこの人が喧嘩してるのを」
村田が部室にいる一年生たちに言葉を投げかける。
三人いる一年生の女子たちは、俺からわずかに目を逸らしている。
無言の時間が、村田の言葉を肯定しているように見えた。
「そんな」
先生は肩を落としていた。脱力して、椅子の背もたれに寄りかかるだけだった。
部室に気まずさと悲観的な感情が広がっている。無言でいることが耐えられなかった。
「だいじょうぶです。柚木さんは、俺が説得します」
どうやって説得すればいいかなんて、わからない。だけど、そう言い切るしかない。
「無理すよ。副部長は、漫研の副部長と付き合ってることになってるんすから。それなのに、どうやって説得するんすか」
こいつは、なんで要らないことばっかり言うんだ。
部員たちがまた少しざわめいた。
先生は、ショックがよほど大きかったのか、椅子にもたれたまま茫然としていた。
村田をまっすぐに見つめる。村田が少し後じさりした。
「なんすか」
「柚木さんは俺がなんとかする。お前はだまってろ」
まわりに気遣いするのが、だんだんと億劫になってきた。
ぴしゃりと言い放つと、村田は不満げに席へと戻った。




