第145話 比奈子の忠告がうっとうしくなってきて
「で、三回戦であっさり負けちゃったってわけね」
夜の自宅のダイニング。体操着を着替えていない比奈子と夕食を囲んでいる。
今晩の夕食は、秋刀魚の塩焼きと海藻サラダ。肉じゃがと漬け物も食卓に並べられている。
「しょうがないだろ。三年生がめちゃくちゃ強かったんだから」
秋刀魚の身に箸を入れ込む。じっくり焼かれた身から、香ばしい湯気が静かに立ち上がる。
「そうかもしれないけどさあ、三対一って、いくらなんでもぼろ負けしすぎじゃない?」
比奈子は肉じゃがを取り皿によそっている。四つ切りにされたじゃがいもを割って、口へ運んだ。
ミニサッカーの三回戦は、比奈子の言う通りにあっけないものだった。
二回戦のように、俺に神が舞い降りることもなく、三年生のサッカー経験者に太刀打ちできるはずもなく、俺はほとんどボールを触らせてもらえずに試合が終わってしまった。
球技大会がはじまる前は、さっさと試合に負けろと思ってたのに、なんだろうな。この悔しさと寂寥感は。
「ま、一点入れてたし、にいにしては、がんばってた方じゃない?」
比奈子が肉じゃがの肉とご飯を食べて、幸せそうな顔をする。
「肉じゃがばっかり食べてないで、秋刀魚もちゃんと食べろよ」
「うるさいなー。ちゃんと食べてるじゃん」
嘘つけ。お前の前に置かれている秋刀魚は、焼かれた状態から少しも変わっていないぞ。
「なんか知らないけど、いきなりオーバーラップするんだもんね。あれ、なんかあったの?」
「いや、別に。無我夢中になってただけだよ」
「ふーん。運動音痴でセンスのかけらもない、にいがねえ」
比奈子が箸の先をくわえて、ジト目で見てくる。
「なんだよ」
「別に。ただ見てるだけ」
「言っとくけど、疑ってるんだったら何も出ないぞ。今日、俺が無茶したのに意味なんかないんだからな」
村田に、試合中に不必要に絡まれて、かなりむかついていたが、その仕返しのためにあんな自己中心的な行動をしでかしたわけじゃない。
海藻サラダを取り皿によそい、和風ドレッシングをかける。
今さら思うが、なんであんな出過ぎた行動をとったのか、不思議だ。試合に勝つ気なんて、さらさらなかっ――。
「赤い髪の人」
研ぎ澄まされたナイフのような言葉が、俺の思考を真横に切り裂いた。
「あの人、だれなの?」
顔をあげると、箸の先をくわえたままの比奈子がそこにいた。
「赤い髪の人?」
「試合に勝ったとき、仲良く話してたよね。あの人、だれなの?」
比奈子が指摘しているのは、有栖川のことだな。二回戦の後に、校庭で少し会話したが。
「あいつは、うちのクラスメイトだよ。漫研の副部長だし、席がとなりだから、ちょっと会話しただけだよ」
有栖川と特別な関係じゃないから、比奈子に話しても問題ないはずだ。
「有栖川は、ただのクラスメイトだからな」
「へえ。有栖川さんっていうんだ」
「そうだよっ。疑ってるみたいだから、一応言っておくけど」
「そういう風には見えませんでしたけど」
比奈子の目は細く鋭い形になっていくばかりで、俺を決して逃がそうとしない。
「じゃあ、あの怪しい紙袋も、その人からもらったんだ」
「怪しい紙袋?」
「とぼけるんじゃないわよ。忘れたとは、言わせませんからね」
過去のネタをここぞとばかりに引っ張り出してくるお前は、夫のゲス不倫を疑う奥さんか。
「あれは、そうだよ。いろいろあって、だな」
「いろいろって?」
「いろいろは、いろいろだよ。なんだっていいじゃんか」
「よくない!」
比奈子が突然、叫んだ。
「そういうところ、ことちゃんが見てるんだよ。ことちゃんに疑われてもいいの?」
「疑われるのは嫌だけど」
「でしょ。だったら、もうちょっと自重してよ。一度疑われたら、おしまいなんだからね」
お前の主張は理解できるが、俺は柚木さんと付き合ってるわけじゃないし、有栖川と変な関係になってるわけでもないんだ。
それなのに、なんで行動を一方的に制限されないといけないんだ。
「なによ。なんか文句でもあるの?」
「別に」
言いたいことは山ほどあるが、口喧嘩では到底勝てない。
ご飯を腹に流し込んで、二階へと上がった。
部屋の扉を閉じて、ベッドへ倒れ込む。疲れがどっと押し寄せてくる。
比奈子は、うちの学校へ入学してから、やたら柚木さんのことを押し出してくるようになった。
柚木さんに気を遣えと、言っていること自体に不満はないが、今日みたいな感じで毎晩言われると、いい加減にうんざりしてくる。
俺がどう考えて、だれと仲良くしようが、勝手じゃないか。妹の分際で、干渉しすぎなんだよ。
背中のあたりがむずむずする。寝返りを打ってみるが、なんとなく居心地が悪い。
なんとなく眺めた先にあったのは、机の横に置かれたエメラルドグリーンの紙袋だった。
あれは、友好の証として有栖川からいただいたものだ。それ以上の他意なんてない。
あれをもらったから、どうだと言うんだ。もらったって、いいじゃないか。友達なんだから。
「なんなんだよ。いちいち突っかかってきやがって」
堪りかねた苛立ちが行き場を失っている。俺はベッドの敷布団を叩いた。
――わたくしは、ひな様のようなお方に憧れますわ
あんなやつ、全然憧れない。欲しいんだったら、今すぐにでも有栖川に贈呈してやりたい。
部長といい、有栖川といい、あんなうるさい女のどこがいいんだかな。
ごろごろしていても意味はないな。今のうちに風呂に入ってしまおう。
だけど、この時間はあいつが風呂に入る時間だな。廊下で鉢合わせになりたくないから、三十分くらい時間をずらそう。




