第135話 部長は村田の気持ちに気づいてる?
柚木さんは部室に戻って来なかった。先生や綿矢さんたちも、すぐに帰ってしまった。
帰宅中に、柚木さんから謝罪のメールが送られてきた。怒って帰ってしまったことを、かなり気にしているみたいだった。
返信のついでに、村田が入部することを伝えようと思った。しかし、伝えることはできなかった。
重い足取りで帰宅する。
部屋の壁掛け時計を見上げると、夕方の五時十五分だった。
色の変わる空を眺めても、悶々とした気持ちは晴れない。
部長は、受験勉強の最中かな。今から電話したら迷惑だろうか。
制服を着替えて、スマートフォンの電話帳のアプリケーションを起動する。
後ろ髪を引かれる思いで部長に電話をかけると、通話はすぐにつながった。
『もしもし。むなくん。どうしたん?』
「部長。今、電話しても平気ですか?」
『平気かどうかは微妙なとこやけども、むなくんがうちに電話してくるんは、どうしようもない事情があったからなんやろ?』
さすが部長だ。この人はどうして、こんなに理解が早いのか。
「はい、そうです。受験勉強で忙しいところ、すみません」
『ほほ。たまに電話するだけなんやさかい、こんまいことは気にしなくてええわ』
電話の向こうで部長が笑った。
今日の部室で起きたこと、そして村田の人となりを掻い摘んで部長に話した。
『なるほどなあ。そら、しんどいなあ』
状況の説明が一段落して、部長が気だるそうに声を漏らした。
「そうなんですよ。このままだと、文研は壊れてしまいます」
『壊れるちゅうんは、考えすぎやと思うけどな』
受話口の向こうで、部長が呆れ口調で言い捨てる。
「考えすぎじゃないですって。柚木さんは怒って帰っちゃうし、先生は怯え切って頼りにならないし、散々だったんですから」
『むなくんの気持ちは、ようわかるけどなあ』
「そうですよ。だから困ってるんです」
『そないなことを言うても、どうもならんやろ』
部長の嘆息する声が聞こえた。
『むなくんの言う通り、その村田っつう子の入部を拒否することは、でけへんのやさかい、なるようにしかならへんのではおまへん?』
「そうですけど、対策を早いうちに考えた方がいいと思うんです。このままだと、文研が悪い方向へ進んでいくのが目に見えていますので」
『むなくんは相変わらず真面目やなあ』
真面目なのは、部長だって同じでしょ。ネット小説の更新を続けてるの、知ってますよ。
部長の『ほな』という声が聞こえて、
『ひとまず様子を見るしかないな』
村田の対策を少し考えてくれたけど、部長でも妙案は出してくれないか。
「そうですよね」
『柚木はんのことは、心配やけれども、むなくんがでけることは何もないわ。それなのに、心配しても意味はないわ』
それはわかってるんですけど、落胆を禁じ得ない自分がどこかにいた。
『その村田っつう子のことは、どうでもええけどな。柚木はんに気を配っておいてな』
「柚木さんに、ですか?」
『そうや。あの子は気の短いとこがあるさかい、その村田っつう子に挑発されると、すぐ向きになっちゃうんよ。今頃はかなり落ち込んでるやろうから、むなくんがしっかりフォローするんよ』
部長の言う通りだ。彼女を最優先で気にかけないと、文研の崩壊は止められない。
『こないなもんで、だいじょうぶか?』
「はい。ありがとうございます」
返事した後で、もうひとつ気になることが思いついた。
村田は、なんで急に文研へ入部する気になったのか。部長なら、わかるだろうか。
「すみません。部長にもうひとつ、聞いておきたいことがあるんですけど」
『遠慮しなくてええよ。なに?』
「はい。これを部長に聞いていいのか、わからないんですけど、あの村田っていう一年生が、どうして急に文研へ入部する気になったのか。その理由がわからないんです」
受話口の向こうが静かになる。
「彼の人となりは、まだ完全につかめていないのですが、前に話した感じだと、彼は小説にさほど興味がないみたいなんです。陸上部が嫌になったから、帰宅部へ入るつもりで入部したいんだろうということで、高杉先生と話はつけているんですけども」
『そら一理あるな。そやけど、それが核心ではおまへんよ』
「やはりそうですか」
ここまでの考えは、俺と一致しているな。
「では、核心はなんなのですか。部長なら、わかりますか」
『だいたいは予想でけるけどな。そん前に、もういっぺん確認したいことがあるんやけども』
部長ならわかるんですか!?
『その村田っつう子は、柚木はんの幼馴染なんやな?』
「はい。そうです」
『ほして、あの子とは仲が悪いと』
「悪いですね。今日の部室の空気も最悪でしたから」
あれだけ激しく言い合いをしておいて、陰で仲がいいとは思えない。
少なくとも柚木さんは村田を毛嫌いしているように見えた。
いくら考えてもわからない。村田は、あいつは文研で何がしたいんだ。
部長が『ほほ』と、意地悪く笑った。
『いっこも可愛くないけども、ぼちぼち、おもろい子な』
「どこがおもろいんですか。何かわかったんだったら、教えてくださいよ」
『ほほ。どないしようかしら。アイスを奢ってくれたら、おせてあげてもええけど』
「俺の小遣いは少ないんですから、そう何度も奢れませんよ」
『ほな、おせてやらん』
「俺、マジで困ってるんですから、意地悪しないで教えてくださいよ」
部長は「おほほ」と、貴婦人みたいに笑っているだけだった。
『今のむなくんやったら、絶対にわからんやろうな』
「なんですかそれっ。俺じゃ、どうしてわからないんですかっ」
『ほほ。向きになっとる、向きになっとる』
「もういいですっ。電話切りますよ」
『むなくんの部長代理の試練やな』
何が部長代理の試練ですか。うまい言葉で締めくくらないでください。
『ひなちゃんに相談してみるんも、ええかもな。おんなじ一年生なんやさかい、いろいろ知ってるかもしれへんし』
「部長は結局教えてくれないんですね」
『うちは一年生やないから、わかれへんしぃ』
「はいはい。じゃ、電話切りますよ」
比奈子に相談してみるか?
通話を切って考える。
しかし、柚木さんが怒って帰ったことを説明したら、ものすごく切れるんじゃないか?
「ただいまー」
一階から比奈子の声が聞こえてきた。おあつらえ向きなタイミングだ。
だけど、気が進まないな。今日は見合わせた方がいいだろう。
部屋の時計をまた見上げる。分針は三十分より後ろの時刻を差していた。




