第134話 怒る柚木さんと身勝手な村田
村田が部室をのしのしと歩く。
使っていない椅子を引っ張り出して、柚木さんのとなりに座り込む。
「で、なんで俺が文研に入部しちゃいけないのか、説明してもらおうか」
柚木さんが本を置いて、俺に背を向ける。ただならぬ気配が部室を包み込む。
柚木さんの置いた本に目を落として、村田が喜色を浮かべた。
「つーか、なんだよそれ。パソコンの入門書? ださ。お前、パソコン使えねえの?」
まずい! 彼女を変に刺激しちゃだめだっ。
「いまどきパソコンが使えねえなんて、ジャワ原人かよ。時代遅れにも程があるだろうがよっ」
村田がパソコンの入門書を掠め取る。
顔を青くする先生や部員たちを尻目に、本をぱらぱらと捲って、
「なになに? パソコンの電源を入れるためには、電源ボタンを押せ? んなの当たり前だろうがっ! ACアダプタでパソコンとコンセントを接続するのを忘れずにって、んなの忘れっかよっ」
その内容を爆笑しながらこき下ろす。
「アプリケーションとは、パソコンにインストールするアプリケーション・プログラムのことである? アプリケーションを使用するときは、アプリケーションの一覧を出して、そこから検索する? んな当たり前なこと、書いてだれ得なんだよ! 超受けるんですけどっ」
最悪だ。文化祭の二日目の再現だ。
こいつはなんで、柚木さんの気持ちを逆なでするんだ。
「あ、そういうことか。この本がだれ得なのか考えろってことなんだな。こりゃ傑作だぜっ」
「村田くん。もうその辺に――」
俺が制止しようとしたとき、柚木さんが目にも留まらぬ速さで本を取り返した。勢いそのままに、
「なんなのよ、あんたっ。早く出て行ってよ!」
怒りにまかせて村田を叱りつけた。
先生のおかげで、柚木さんの機嫌がよくなったのに。
「さっき来たばっかりなのに、なんで出て行かねえといけねえんだよっ」
「あんたがふざけてるからでしょ! どうして、そうやってわたしの邪魔ばっかりするのっ!」
「はあ? お前の邪魔なんて、してねえしっ。自意識過剰も甚だしいんですけど!」
「なっ……!」
まるで子どもの喧嘩だ。
村田のくだらない揚げ足取りに、呆れて言葉が出ない。
柚木さんと村田は、俺たちを置き去って、大きな声で言い合いをしていた。けれど、
「もうっ、あんたなんか知らないっ!」
柚木さんが机をだんっ! と叩いて、席を立ってしまった。
「柚木さん、待って――」
部室の扉がぴしゃりと閉じられる。俺の声は、彼女に届かなかった。
村田はむすっと口を閉ざしている。
気まずそうな面持ちで、部室の窓に目を向けている。
「村田くんだったね。今日は部活見学に来たの?」
何も話さないのは気まずいので、声をかけてみる。
けど村田は不遜な態度を変えずに、
「そうだよ。文句あっか」
俺の目も見ずに言い捨てる。
「柚木さんは怒って行っちゃったけど、いつもあんな感じなの?」
言葉を続けると、村田の表情がさらに険しくなった。
「うるせえな。そうだよ。いつもあんな感じだよっ」
先生と顔を見合わせる。
先生も、彼にどう声をかけていいのかわからずに困っている。
「入部希望者、ということでいいのよね」
「そうだよ。文句あっか」
「文句は、別にないんだけど」
先生が急に立ち上がって、俺の腕を引っ張る。
村田から遠ざかるように、部室の端まで引っ張られて、
「ねえっ。あの子、なんであんなに怒ってるの!?」
早口で捲し立てられても困るんですが。
「知らないですよ。柚木さんと喧嘩したからじゃないですか」
「だってだって、入ってきて柚木さんと急に喧嘩しちゃうんだもん。先生びっくりして、腰が抜けちゃったわよっ!」
腰が抜けたら立てないはずですから、先生のこの表現はかなり大げさですね。
先生は村田に聞こえないように俺の耳元で囁くけど、部室で他にだれもしゃべっていないので、先生の声が村田に丸聞こえだ。
「先生。あの、ひとついいですか」
「なによ。この、めちゃくちゃ大事なときに」
「その、彼にめっちゃ聞こえてるみたいですけど」
「えっ!?」
先生が鶏のような声を発して、俺の指す方向へ振り返る。
傲岸と椅子に座っている村田が、腕組みしながら俺と先生を睨んでいた。
「なんだよ、先生。俺に居られたら迷惑なのかよ」
「別に、迷惑っていうわけじゃ、ないんだけど」
「だったら、そんなところでこそこそしてねえで、俺と話をしようぜ」
村田が腕組みしたまま顎で指示する。
先生が飛びつくように俺の右腕をつかんだ。
先生の気持ちはわかりましたから、涙目で「もう無理」という顔をしないでください。
仕方なく村田と対峙する。
「俺の自己紹介はしなくていいね。先生のことも知ってるよね。先生は一年生の現文の担当だから」
先生が俺の腕にしがみ付いたまま離れない。
村田から睨まれると、「ひぃっ」と俺の背中に隠れた。
「ああ、知ってますよ。ドジでぽんこつな先生っつーことはな」
先生がぽんこつなのは事実だけど、そんなにはっきり言うんじゃない。
「ここにいるのが俺の同級生、いや二年生の綿矢さんと湊さん。あと林さんだよ」
同級生の三人がおずおずと会釈する。村田が「ふん」と鼻を鳴らした。
「部員はもっとたくさんいるんだけど、いつもこんな感じだね。うちは毎日の活動を強制してないから」
「そうなんすね。ふーん」
「文研の活動は前に話したと思うから、説明することは他にないね。気になることは他にある?」
「いや、別に。特にねーです」
村田が身体をわずかに傾けて、自分の尻を触り出す。
制服のポケットから四つ折りにされているプリントを取り出した。
「じゃあ、先生。これ」
先生の替わりに俺がプリントを受け取る。先生が俺の後ろから覗き込む。
このプリントはおそらく、あ、やっぱり入部届か。
こいつ、部室の空気をこんなに険悪にしておいて、本気で文研に入部するのか?
「部活見学っつーか、俺の入部はもう決まってっから。よろしく頼みますよ、副部長」
「それはいいけど、この前、入部してみて自分のイメージと違ってたら困るとか、言ってなかったっけ。それなのに――」
「そんなこと言ってないすよ」
村田がけろりとした顔で俺の言葉を遮る。
「じゃ、そういうことだから、よろしく」
村田がそう言い捨てて、部室を足早に去っていく。
部室の扉が乱暴に閉じられて、部室に静寂が訪れる。
「あの子、入部しちゃうの!? どうするのよっ」
先生も俺と同じことを考えていたのか、俺の右腕がぶんぶんと振られる。
「どうするのよって、知りませんよ。なるようにしかならないでしょ」
「だってだって、あの子、あたしのことを絶対にいじめてくるもんっ。宗形くん、助けて!」
先生がいじめられる以前に、文研が崩壊しそうで俺は怖いのですが。
「だいじょうぶですよ。そういうのは俺が阻止しますから」
「ほんと!?」
「彼の態度があまりにひどかったら、教頭先生や一年の学年主任の斎藤先生にも報告できますから。そういうのは気にしなくても平気ですよ」
「そう。そうよねっ。さすが宗形くん。頼りになるぅ!」
頼りになるぅ、じゃないですって。
柚木さんや先生たちの気持ちを考えると、彼を入部させたくない。
しかし余程の事情や理由がないかぎり、入部希望者を一方的に拒否することはできない。
このままではまずい。
耳の奥から聞こえてくる崩壊の足音をなんとしても止めなければ。




