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第130話 瀬場さんとの約束

 贅沢でセレブな一日が終わる。


 瀬場さんの運転する高級外車に揺られながら、一日をそっと振り返る。


 有栖川がセレブだという噂は本当だった。


 だけど、今日に知り得たことをクラスメイトへ伝えない方がいいかもしれない。


「本日は、お嬢様のお相手をしていただきまして、ありがとうございました」


 車のハンドルをにぎる瀬場さんが、振り返らずに言う。


「いえ、こちらこそ、丁重にもてなしてくださいまして、ありがとうございました。もてなしてくださったばかりじゃなくて、こんな――」


 言いながら視線を左のシートへ移す。


 花緑青はなろくしょうの高級感の溢れる紙袋を見やって、


「高そうなお土産までいただいちゃいまして」


 丁重すぎる扱いに、俺は頭が上がらない。


 A4の用紙よりも長い紙袋には、英字の筆記体でブランド名らしきものが綴られている。


 ブランド名の下には、貴族の紋章のような模様が大きく描かれている。


 ものすごく高そうなお土産だけど、この紙袋の中に入っているお土産はお菓子なのかっ? それとも、茶器的な何かなのか!?


 運転席から優雅な笑い声が聞こえてきた。


「宗形様は、高校生なのに言葉がお上手ですね。さすが文芸部の部長です」


「いえ、そんな大したものではないです」


 文芸部の部長ではなくて、文研の部長代理なんですけどね。


 謙遜する素振りをしながら、急に沸いた違和感について考える。


「俺が文研――いや、文芸部の部長なのを知ってるんですか?」


「ええ。宗形様のお迎えにあたり、宗形様のことをお嬢様からうかがっておりましたから」


 有栖川から事前に聞いていたのか。


「文芸部の先代の部長の跡を継いで、がんばっておられるとか」


「がんばってるだなんて、そんな」


「先代の部長はすごいお方でしたが、宗形様は先代の部長以上のはたらきをしておられるようで、お嬢様が――」


 なんだそれ。話がよくわからない方向へ行き出したぞ。


「文化祭のときも、宗形様が中心となって、お嬢様の所属する漫画研究会と切磋――」


「ちょっと、待ってくださいっ」


 堪らずに右手が出てしまった。瀬場さんが首をかしげる。


「有栖川が俺のことを大げさに話してるだけなんですよ。俺は全然そんな感じじゃないですって」


「ですが、宗形様が先代の部長の跡継ぎとしてがんばっておられるのは、真実なのでしょう?」


 車が赤信号で停止する。


「あ、はい」


「お嬢様はあの通り、思い込みの強いところがありますが、間違ったことは言われません。ですから、宗形様が謙遜なさらなくてもよいと思います」


 超真面目な顔で言い返されると、対応に困るのですが。


「そうですけど、あいつの言うことは、やっぱり大げさすぎますよね?」


「それは否定できませんね」


 瀬場さんが「うふふ」と笑った。


「俺のことを褒めてくれるのは嬉しいけど、あいつは話を盛りすぎなんですよ。俺はどう反応すればいいんですか」


「まあ、そうおっしゃらずに。認めた人を素直に賞賛されるのが、お嬢様のいいところですから」


 そうだけど、事実を大げさに歪曲されたら困りますよ。


「不慣れや場所においでで、今日はお疲れでしょう」


「はい。有栖川がセレブなのは、ある程度予想してましたけど、あんなすごい屋敷に住んでいるとは思っていませんでした」


「お嬢様は、私たちのような庶民と異なる世界でお過ごしになられているお方です。宗形様がそう思われるのは、無理もありません」


 瀬場さんのこの一言だけで、気持ちがだいぶ楽になりました。


「その点、瀬場さんは余裕で対処できるんですね。さすがです」


「余裕? 私がですか?」


「はい。執事の業務をスムーズにこなしてましたよね。すごいと思いました」


「スムーズだなんて、とんでもない。毎日が悪戦苦闘の連続ですよ」


 瀬場さんが「ははは」と軽やかに笑った。


「そうなんですか?」


「ええ。今日も細かいミスをたくさんしてしまいましたし、お嬢様や宗形様のお気持ちを察することもできません。執事として半人前です」


 俺の知る限り、瀬場さんは執事の業務を完璧にこなしてたと思うけどな。


「ですが、日本でも有数の財閥であらせられる有栖川家に奉公させていただくことは、私の誇りでございます。執事業務をこれからも邁進まいしんしてまいります」


「はい。がんばってください」


 瀬場さんは、やはりかっこいい人だ。こういう大人になりたい。


 この世界の終わりを予感させるような色を放つ夕陽の下。小間市駅が、窓ガラスの向こうに見えてきた。


「車を停めるのは、本当におうちではなくてよろしいのですか?」


「はい。うちに停められると、家族がびっくりするので」


「承知いたしました」


 駅前の片道二車線の十字路を左折し、駅のロータリーへと車が前進していく。


 バスの停留所から離れた場所で、瀬場さんが落ち着いたハンドルさばきで車を路肩の近くへ停める。


「宗形様。小間市駅へ到着いたしました」


「はい。ありがとうございました」


 瀬場さんは放っておくと、またきっとリアドアを開けるのだろうから、そうさせる前に車から飛び降りる。


 しかし、車のリアドアを閉めようとすると、


「宗形様、お待ちくださいっ」


 瀬場さんが運転席から飛び出した。


「お嬢様はあの通り、とても寂しいお方です。不安や苦悩を相談できる者がおらず、ひとりですべて抱え込まれております。私たち使用人はお嬢様のために尽力しておりますが、雇用主と雇用者という関係上、一定の距離をどうしても保たねばなりません」


 夕陽に照らされた瀬場さんの表情は、悲嘆と真剣さで埋め尽くされていた。


 そのまっすぐな瞳から目を離すことができない。


「宗形様やそのお友達でしたら、私たちではできない方法でお嬢様を助けていただくことが可能です。ですので、どうか、お嬢様と仲良くしてあげてください」


 この人の有栖川にかける思いの強さは本物だ。瀬場さんは、やはりかっこいい人だ。


 瀬場さんは、車を挟んだ向こうで背を正している。


 そのまっすぐな瞳は黒いダイアモンドのように透き通っている。


 頬は病人のように白いけど、端正な顔立ちはテレビに映る有名人や俳優に劣らない。


 いや微妙な俳優よりも断然にかっこいいと思う。


 俺は拳をにぎり、瀬場さんへ返事した。


「はい。まかせてください」


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