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第13話 比奈子は何をたくらんでいる?

 カフェでふたりの話をのんびりと聞いていたら、午後の二時を過ぎていた。


「先輩、次はどこに行きますか?」


「そうだなあ。どこがいいかな」


 ひとりで岩袋に来たときには、古本屋か電気屋にしかいかない。


 しかし、そんなつまらない行き先を柚木さんへ提案できないわけで、


「柚木さんは、どこか行きたいところある?」


「わたしですか? ええと、どこがいいんでしょうか」


 いきなり訊かれても、行きたいところなんて出ないよな。


 お手洗いに行っていた比奈子が、店から出てきた。


「ひな、これからどうするんだ? 帰るにはまだ早いぞ」


「うーん。じゃあ、デパートにでも行かない? 洋服見たいし」


 岩袋の駅へ戻って、デパートのガラスの重い扉を押し開ける。


 空調の利いた冷たい空気が頬を撫でる。一階のフロアは、化粧品の強い香りが充満している。


「ことちゃん、この口紅見てみて! 超可愛いよっ」


「ほんとだっ」


 近くのブースの化粧品売り場に比奈子が飛びつく。


 店頭の高そうな化粧品を指して、柚木さんとはしゃいでいる。


「いいなあ、このアイシャドウ。百円ショップのとは全然違うよね」


「うん。でも、わたしたちのお小遣いじゃ買えないよ」


「だよねぇ」


 ショーケースにもたれる比奈子の後ろから、にゅっと首を伸ばしてみる。


 口紅の紅い色に少し見とれて、それとなく値札を見てびっくりした。


 口紅一本で、ライトノベルの新刊が四冊くらい買えるじゃないかっ。


「よろしければ、お試ししますか?」


 黒のおしゃれなスーツに身を包んだ販売員が、ふたりの下へやってきた。


 比奈子が柚木さんと顔を見合わせる。


「あの、買うつもりはないんですけど、それでもいいんですか?」


「ええ。お試しして、化粧品が肌に合わないからと、お買い上げになられないお客様はたくさんいらっしゃいます。ですから、それでも全然問題ありませんよ」


 三十歳くらいの店員さんが、人のよさそうな笑顔を崩さずに応える。


 店員さんの完璧な営業スマイルに、ふたりはすぐに心を許して、


「あっ、じゃあお願いします」


「かしこまりました。では、あちらへお願いします」


 店員さんに促されて、店の奥へと消えていった。


 それから十分くらい経過したのだろうか。店の端っこで所在なげに立ち尽くしていると、


「にいっ」


 比奈子の呼び声が聞こえて振り返ると、比奈子がショーケースの向こうから手を振っていた。


 柚木さんもとなりで佇んでいる。


 比奈子の唇は、薔薇ばらのように紅い色で彩られている。普段の子どもっぽい表情が見違える。


 柚木さんがつけてもらったのはピンク色の口紅で、自然な発色が彼女にとても似合っている。


 こんなきれいな口紅をつけて部室にあらわれたら、俺はどんな顔で出迎えればいいんだ。


「どう? 似合ってる?」


「あ、ああ。いいんじゃないか」


 見とれて空返事をすると、比奈子がすかさず肘でつついてきた。


「なになに、ぼうっとしちゃって。もしかして、僕たちに見とれてるのぉ?」


「ば、バカ野郎。お前なんかに、見とれるわけないだろっ」


 比奈子へ強がることができるけど、柚木さんと目が合うと、かあっと顔が熱くなるのを覚えてしまう。


 感想を言った方がいいんだろうけど、恥ずかしくて言葉をかけることができなかった。


 店員さんにお礼を述べて、エスカレーターで二階へ上がる。


「買うつもりがないのに、ただでメイクしてもらえるなんてラッキーだったねっ」


「そうだよねっ。わたし、デパートで初めてメイクしてもらっちゃった!」


「僕もっ!」


 ふたりが笑うたび、大人びた唇が大きく動く。


 エスカレーターを登り切ったフロアに、パーティで着るドレスを売っている店があった。


 ハンガーラックにかかっている浅葱あさぎ色のドレスを取り出してみる。


 シルクの艶やかな生地は、透明な水のように滑らかだ。上質なドレスの感触から伝わってくる。


「先輩、何してるんですかっ?」


 柚木さんの声がして振り返ると、彼女が傍でにこにこしていた。


「せっかくだから、女の人の着るドレスがどんなものか見てたんだけど、値段を見て驚いちゃったよ」


「そうなんですか。あっ、ほんとだっ」


 ドレスの値札を覗いて、柚木さんが飛び跳ねそうなくらいに驚く。


「パーティドレスって高いですよね。わたし、全然買える気がしないです」


「そうだよね。こんな高いものでも、大人になったら買えるようになるのかね」


「どうなんでしょう。一着くらいは買ってみたいですけど」


 柚木さんにドレスをプレゼントできたら、先輩として鼻が高いだろうな。


「ひなは?」


「ひなちゃんは、お手洗いに行ってます」


「また? さっきのカフェでもトイレに行ってなかったっけ」


「女の子には、そういうときがありますから」


 そういうときって、どういうときだ。


 すごく気になるけど、柚木さんに軽蔑されたくないから聞き出せない。


「それなら仕方ないか。ひなが帰ってくるまで待っていようか」


「はいっ。あ、先輩っ、このドレスなんてどうですか?」


 柚木さんが取り出したのは、純白の可愛らしいドレスだった。


 ノースリーブで、首周りの生地が透けるようにできている。


 スカートの丈は短めで、柚木さんにぴったり合いそうだ。


「なかなかいい感じだね。値段は、かなり高いけど」


「それは言わないでくださいっ」


「じゃあ、これなんかはどうかな」


 白の似ているドレスを手にとってみる。


 柚木さんの手にしているドレスよりもスカートが長くて、エレガントな印象だ。


 細い腰のラインから入っているドレープも大胆で大人っぽい。


「あっ、いいですね。でも胸もとが、ちょっと」


 ドレスの色とスカートばかりに気がとられていて、胸もとが大きく開いていることに気がつかなかった。


 柚木さんと店内をまわり、店員さんに声をかけられて雑談をしていると、柚木さんのスマートフォンに電話がかかってきた。


「ひなちゃんからだ」


「ひなから?」


「はいっ。すみません、ちょっと電話に出てきます」


 比奈子のことをすっかり忘れていた。


 あれから二十分以上も経っているから、どこかで拗ねているんだな。


「うん。うん。――えっ!? ちょっと待って。それ、どういうこと!?」


 俺と店員さんが見守る中、柚木さんが店の外で困惑している。比奈子に何を言われているんだ?


 すぐに通話を終えて、柚木さんがこちらへ戻ってきた。萎れた花のように塞ぎこんだ表情で。


「ひなは、なんて?」


「あの、それが、用事があるから先に帰るって」


「なんだって!?」


 それはおかしい。今日は空手部の練習がないし、家族の用事もない。


 他の友達と遊ぶ約束もしていないはずだ。それなのに、どうして。


「先輩、どうしましょう」


 動揺を隠せない柚木さんに見かねて、比奈子に電話してみた。けれど、通話はつながらなかった。


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