第126話 有栖川家の大豪邸へ
瀬場さんと麗しい談笑をしていると、車が左折して私道っぽい細道へ入った。
林の真ん中を突っ切る自然の溢れる道は、木漏れ日を受けて黄緑色に輝いている。
黄色く紅葉しはじめている落葉樹の織り成す風景は、絵画になるほどきれいだ。
木々の根元に降り積もっている落ち葉もまた、木々の美しさを引き立てている。
「宗形様。お疲れでしょうが、そろそろ到着いたしますので、もうしばらくお待ちください」
瀬場さんが、さり気なく声をかけてくれる。
「ここは有栖川のうちの私道なんですか?」
「ええ。この道路を含めて、有栖川家の敷地でございます」
やっぱりそうだったのか。有栖川家の豪邸が脳裏に浮かんでくる。
「敷地って、どのくらい広いんですか」
「この敷地の広さは約十ヘクタールでございます」
ヘクタールで敷地の広さを説明されても、ぴんと来ないぞ。
俺の気持ちをすかさず察知したのか、瀬場さんが「ふふ」と優雅に笑って、
「東京ドームの広さは、およそ4.7ヘクタールでございます」
「え、マジですかっ」
東京ドームがふたつも入るほど広いんですか。
有栖川のうちって、どれだけお金持ちなんだよ。
「有栖川家の所有する土地は、巴山のこの土地だけではありません。ハワイや軽井沢にも別荘を所持されております」
生活の次元が違いすぎて、なんだかもう言葉が出ないです。
「有栖川家は日本でも有数の財閥ですので、宗形様が驚かれるのは無理もありません」
「はい。驚いて言葉も出ないです」
「私も奉公の初日は絶句しました。いえ、違いますね。驚きの連続で、慣れるまでにかなりの時間がかかりました。使用人も大勢いますから」
瀬場さんの感覚は俺と近いのかな。
優雅な印象だから、瀬場さんのうちも金持ちなんだと思ってた。
「敷地が広いことは、良いことばかりではありません。土地や屋敷を管理するために、我々のような使用人を雇わねばなりません。そうすると、使用人を管理する必要性も生じるのです」
土地が広いと、土地を管理するためにいろんな施策を打たなければならないのか。金持ちならではの苦労があるんだな。
「敷地をきれいに保つために、いろんなことをしなければならないんですね」
「ええ。ご主人様は事業の運営と経営に専心されなければなりません。土地や屋敷の管理まで行うことができませんので、我々が一丸となってご主人様に尽くさねばならないんです」
瀬場さんって、見かけによらずに熱い人なんだ。薄情で、物事に執着しない人なんだと思ってた。
「それは大変ですね」
「すみません。余計なことをしゃべってしまいました」
明治時代に建てられたような、赤煉瓦の麗しい門が見えてきた。
漆黒の鉄門が、左右に大きく開け放たれている。
車が門の間を通り抜ける。
門の中はヨーロッパの庭園みたいだ。
道は縁石で区切られて、芝生が緑色の絨毯のように広がっている。
庭に大きな木が何本も植えられて、木の下に木製のおしゃれなベンチが置かれている。
ベンチのまわりにつくられた花壇には、白や紫色の花々が慎ましやかに色を添えている。
庭の向こうには池らしきものまで見えるぞ。錦鯉が泳いでいそうな感じだけど。
有名な公共施設のようなこの場所が、高校の同級生の自宅だなんて、やはり信じられない。
ヨーロッパの宮殿のような建物が前方に見えてきた。あれが、有栖川家の屋敷なのか。
建築様式はロマネスク建築なのか、それともゴシック建築なのか、詳しいことはよくわからないが、とりあえず言えることは、俺の家とは比べ物にならない豪邸だということか。
屋敷の前で車が右へ急旋回する。タクシーのように瀬場さんが停車してくれた。
「宗形様。屋敷へ到着いたしました」
瀬場さんが運転席から颯爽と降りて、車の背後へ回り込む。
左のリアドアを丁寧に開けてくれた。
「足元にお気を付けください」
「はい。ありがとうございます」
まるで海外セレブか芸能人の扱いだ。
こんなに丁寧に扱われると、なんだか怖くなってしまう。
俺なんかを歓待しても何も出ませんから、もっと雑に扱ってください。
屋敷の玄関の前で、空色のワンピースを着ている女子が立っていた。
赤紫色の特徴的な髪を頭の後ろで束ねて、手を胸の前で組んでいる。
「有栖川っ」
鉄の巨大な門の前には、使用人と思わしき人たちが整列している。
瀬場さんと同じく背広を着ている男性。メイドのような恰好の若い女性。
そしてイタリアかフランス辺りのレストランで働いていそうなシェフまでいるぞ。
「宗形くん」
有栖川が一歩を踏み出す。
白の艶やかなカーディガンを羽織り、使用人たちの中央に立つその姿は、この豪邸の令嬢にふさわしい。
「本当に有栖川なのか?」
右手で目を何度もこする。
俺の前に立つ彼女は、学校で見る彼女とはまるで別人だ。
けれど見慣れた顔や特徴的な髪は、彼女の身元を証明するものに他ならない。
俺がよほど間抜けな顔をしていたのか、有栖川が失笑した。
「いきなり何をおっしゃるんですか。わたくし以外の人である可能性があるのですか?」
「あ、いや、そういうわけではないんだけど」
有栖川の後ろで立っている使用人の方々が、一斉に笑った。
よかった。俺、歓迎されてる。
「瀬場を宗形くんの迎えに行かせたことを伝え切れていませんでした。申し訳ありませんわ」
「それは別にいいよ。今日は瀬場さんに会ってから驚きっぱなしだよ」
冗談で瀬場さんの名前を出したら、有栖川の笑顔が一変した。
俺の後ろに立っている瀬場さんを、きっと見やって、
「まあっ。瀬場、あなた、わたくしの許可もなく宗形くんに何をしたのですか?」
「わ、私は、お嬢様の言いつけの通りに、宗形様のお迎えに上がっただけでございますが」
まずい。俺のさっきの言葉を有栖川が真に受けてしまった。
「違うよっ。瀬場さんが俺を驚かすようなことをしたんじゃなくて、有栖川の豪邸がすごすぎて、驚いただけだから」
「あ、そうでしたか。わたくしとしたことが、宗形くんの意図を読み取れていませんでしたわ」
俺たちのまわりを穏やかな空気が包み込む。
有栖川が軽やかな動きで踵を返した。ワンピースの裾が軽やかに宙を舞う。
「昼食はまだ摂られていませんわね。昼食を用意していますから、中へ入ってください」
屋敷へ入る有栖川を見送って、使用人の方々が俺に一礼する。
そして彼女に従うように、屋敷へと消えていった。
瀬場さんだけは、俺の後ろで待機してくれている。
今日はきっと俺の世話係を命じられてるんだろうな。
「瀬場さん。さっきは紛らわしいことを言って、すみませんでした」
瀬場さんが苦笑した。
「私のことでしたら、お気になさらずに。お嬢様はあの通り、まっすぐなお方ですから」
「まっすぐというか、有栖川は真面目すぎて冗談が通じないだけですよ。あいつに仕えていたら、何かと疲れるでしょ」
「ええ。お嬢様を軽い気持ちで笑わせようものなら、どのようなことを言い返されるか、わかったものではありません。この間も私は、あらぬ疑いを――」
そう言いかけて、瀬場さんがはっと顔を青くする。
俺を見下ろして、右手の人差し指を口元へそっと当てて、
「宗形様。先ほどの私の失言は、どうか内緒にしておいてくださいませ」
いたずらをした少年のような顔で言った。
この人となんだか友達になれそうな気がする。腹からこみ上げる笑いの感情を抑えることができなかった。




