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第117話 急にあらわれた一年一組の村田くん

「じゃあ柚木さん。部室へ帰ろうか」


「はいっ」


 柚木さんの右手には、パソコンの参考書がにぎられている。


「先輩は、本を借りなくてよかったんですか?」


「借りた方がよかったかもね。すっかり忘れてたよ」


「それでしたら借りましょうよっ。本を探す時間は、たくさんありますから」


 柚木さんが廊下で立ち止まってくれる。


「いや、いいよ。今日は本を借りる気分じゃないから」


「そうですか」


「今日は執筆したいから、早く部室へ――」


 矢のように鋭い何かを感じる。その感覚は、廊下の向こうから発せられていた。


 だれかが俺と柚木さんを見ている?


「先輩?」


 廊下へ目を向ける。


 文研の部室のそばから、階段へ駆け込む男子生徒の背中が見えた。


 あの男子はだれだ? 背が比奈子みたいに低かったけど。


 あんな部員は文研にいない。一年生の図書委員か?


「先輩、どうかしたんですか?」


 柚木さんが本を抱えながら、首をかしげていた。


「さっき、だれかいなかった?」


「だれか?」


「うん。階段の方へいなくなっちゃったんだけど」


 柚木さんと廊下を眺める。被服室まで続く廊下の先に人影はない。


「気のせいじゃないですか? だれもいませんから、心配しなくても平気ですよ」


 知らない男子生徒から見られていた気がするんだけど、疲れてるのかな。


 部室へ戻って小説の原案を考える。


 柚木さんのアドバイスに従って二次創作の原案を考えてみるけど、いい案が出ない。


 電源をつけたノートパソコンの画面には、白紙のメモ帳が虚しく表示されていた。


 この画面は、何分前からこのままだったのだろうか――。


「あの、先輩」


 背後から柚木さんに呼び止められる。


 振り返ると、鞄を肩にかけた柚木さんが佇んでいた。


「もう帰るの?」


「はい。体調がまだ万全ではありませんので」


「そうだね。体調が悪かったら、部活にも無理して来なくていいからね」


「はい。ありがとうございます」


 柚木さんが、ちょこんと頭を下げる。


「では、先輩。お疲れ様でした」


「うん。お疲れ様」


 柚木さんが申し訳なさそうに部室から出ていった。


 気を引き締め直して、執筆する小説を考える。


 二次創作で思いつくのは、三国志くらいしかないんだよなあ。


 源氏無双にあやかって木曽義仲を主人公にするという手もあるけど、純粋な二次創作ではないし。


 ゲームで考えるんだったら、モンバスあたりで考えるのがいいか。それとも漫画から取るか。


 思いついたことをメモ帳へ書き込む。


 作業が一段落して部室の壁掛け時計を見やった。


 夕方の五時。部員たちの姿はない。


 帰り支度をして部室の鍵を閉める。となりの漫研の部室は、まだ明かりがついている。


 先日の一件から、有栖川と教室で会話する仲になった。


 会話すると言っても、部活や学校の授業の雑談を休み時間にする程度だけど。


 有栖川は海外モデルのようにきれいだから、話すと緊張する。


 あいつの気品のある立ち振る舞いも、俺の緊張に拍車をかけているのかもしれない。


 さっきから何を考えているんだ。漫研の部室のそばでうろうろしていたら、ストーカーみたいじゃないか。


 一階に降りて、昇降口で上履きを履き替える。朝から降っている雨は止んでいた。


 生徒のいない静かな道を歩く。空は厚い雨雲で覆われている。


 野球部のバックネットが佇んでいる。全身を雨に濡らして、少し寂しげだ。


 校門のそばに男子生徒が立ち尽くしている。


 彼は鞄を肩にかけて、右手に黒い傘を持っていた。


 比奈子のように背の低い彼は、さっき部室のそばで見かけた人? いや、それ以前に見覚えがないか?


 中学生のような背丈。顔は幼げで、髪にふわっとゆるいウェーブがかかっている。


 雨に濡れたグラウンドを、彼はぼんやりと眺めていた。


 振り返って俺と目が合うと、身体をこちらへ向けて静止した。


 彼は俺に用があるのか? しかし、名前も知らない人に話しかける義理はない。


 彼の視線に気づかない振りをしながら校門へ向かう。


 彼の脇を素知らぬていですり抜けると、


「す、すみませんっ」


 彼から声をかけられた。


「はい。なんですか」


「あの、文研の、副部長の人ですよね」


「そうですけど」


 男性アイドルのような顔立ち。やはり以前に見たことがある。


 文化祭のときに、文研の部室に来た子じゃなかったか? 柚木さんの知り合いで、部室で彼女と喧嘩をした、あの子だ。


「あの、すみませんけど、ちょっと話をしてもいいですかっ」


 彼が視線をあちこちに変えながら言う。早口で顔も少し赤い。


「きみ、柚木さんの知り合いだよね。彼女なら、もう帰ったよ」


「はい。知ってます」


 この子が本当に会いたいのは、俺じゃなくて柚木さんだ。


 彼女への伝言でも受けてあげようかと思ったけど、そこまで親切にする義理はない。


「そう。じゃあ、さよなら――」


「待ってくださいっ!」


 立ち去ろうとしたら、右手の手首をつかまれた。


 もろい木だったら、軽々とにぎりつぶしてしまいそうな力だ。


「俺、一年一組の村田っていいますっ。その、文研に興味があって、先輩と仲良くなりたいんです!」


 それで、さっきは文研の部室を覗いていたのか。


 文研に興味があるのなら、俺なんかに言わないで、高杉先生に相談すればいいのに。


 それに、文化祭を終えた今頃になって、文研に興味を持つ理由がわからない。


 疑わしいこの子を突き放すのは簡単だ。


 けれども、入部希望の一年生を頭ごなしに拒否するのは、少しかわいそうだ。


「わかったよ。話をするくらいだったら別に構わないけど、その前に手を離してくれないかな」


「あ、すっ、すみませんっ!」


 村田くんが慌てて手を離す。右手首がじんじん痛む。


「俺も簡単に自己紹介をしておくよ。俺は二年の宗形だよ。文研の副部長なんだ」


「あ、はいっ。知ってます」


「柚木さんから聞いてるのかな。それなら話は早いね」


 この子と柚木さんの関係が、気になる。


 同じクラスということは、教室で仲良く会話してるのかな。


 そんな姿を想像すると、胸をにぎりつぶされたような痛みが走った。


 村田くんをちらりと見やる。何も知らない彼は、不思議そうに俺を眺めていた。


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