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第106話 柚木さんがうちにいる?

 真っ暗闇だった世界に眩しい光が差し込む。


 心の底へと沈んでいた意識が、光によって呼び戻される。


 重たい瞼を開いた先にあるものは、画用紙のように白い壁。いや天井だ。


 首を少しだけ起こして辺りを見回す。


 部屋の端に設置している勉強机と、円柱型のごみ箱。


 部屋の真ん中には、木目の四角いテーブルが佇んでいる。


 ベッドと机の間にある窓は、青いカーテンで隠されている。


 朝日はカーテンの向こうから差し込んで、朝の静かな部屋に明るい色を灯していた。


 枕元に、A4の用紙をホチキスの針で留めた小説が置かれている。


 昨夜に読んでいた泉京屍郎――いや、部長が文化祭のために執筆してくれた小説だ。


 小説を両手で取って、天井へ掲げる。


 部長の書いた小説を何度も読み返した。この小説は、市販のどんなライトノベルより面白い。


 何度読み返しても、物語の精巧さや要所に仕込まれたギャグに心が躍らされてしまう。


 俺が書いた小説と雲泥の差だ。読めば読むほど、敵わないという気持ちが同時にふくらんでしまう。


「俺には、やっぱり無理ですよ」


 部長の小説をそっと下ろす。視界に白い天井がまた広がる。


 ――あんたなら、うちやさおたんにすぐに追いつくさかい、自分を卑下せいで、もっと自信を持ってな。


 急に焦ったからって、あなたや狐塚先輩に勝てないことくらい、俺にだってわかってるんですけどね。


 閉ざされた扉の向こうから、比奈子の話し声が聞こえてくる。


 母さんが二階に上がってくるなんて珍しいな。


 あれ、母さんって、今日は朝からパートに行ってるんじゃなかったっけ。


 ベッドを降りて、ぐっと伸びをする。お腹が空いたから、下で朝ごはんでも食べよう。


 扉を開けて一階へ降りる。


 きれいに整頓されたリビングダイニングに親の姿はない。


 台所のそばに食パンの入った袋が置かれている。


 食パンを二枚とってオーブントースターに設置する。


 冷蔵庫からバターを取り出して、リビングのテーブルへ置く。


 食器棚から愛用のマグカップを取り出して、インスタントコーヒーと砂糖をさっと入れた。


 電気ポットでお湯を注ぎ終わった頃に、オーブントースターから音が鳴った。


 焼きたての食パンをお皿に乗せて、リビングのソファへ移動する。


 食パンにバターを塗りつけて、パンの耳にかぶりつく。さくさくとした食感が、たまらなくおいしい。


「何もしてないと寂しいから、テレビでも観るか」


 テーブルのティッシュ箱のそばに置かれている、テレビのリモコンに手を伸ばす。


 テレビの電源をつけると、朝のニュース番組が放送されているかと思いきや、十時ごろに放送される、奥様向けのつまらない情報番組が映し出されていた。


「今は何時なんだ?」


 テレビの上に掛かっている時計を見上げる。既に十一時を過ぎている、だと?


 二階へ続く階段から、女子の笑い声が聞こえてくる。


 比奈子が母さんと降りてきたんだな。


 今日は部活が休みだったはずだから、たまにはいっしょにゲームでもして遊んでやろうか。


「なあ、ひな――」


 何気なく振り返って、手にしていた食パンを思わず落としそうになった。


「あ、こんにちは」


 どうして、私服姿の柚木さんが、うちにいるの?


 今日の柚木さんは、髪を後ろで束ねている。


 ジーパンのような素材のジャケットを羽織り、ワインレッドのロングスカートを穿いている。


 制服姿の柚木さんとは異なる、とても大人っぽいコーディネイトだ。


 丈の長いプリーツスカートに秋らしさが感じられる――じゃなくてっ!


 俺は寝起きだから、着ているのはぼろぼろのTシャツだし、髪だって、きっと寝癖がつきまくっている。


 歯磨きだって、まだしていないのだから、近づいたら口臭のせいで嫌われてしまうっ!


「ど、どうも、ですっ」


 柚木さんの陰から出てきた銀縁眼鏡のきみは、四橋さんか!? どうしてきみまでうちにいるんだっ。


 柚木さんと比べて四橋さんの服装は地味だけど――いや、そんなことは問題じゃないっ。


「や、やあ」


「お邪魔、してます」


「そうだったんだね。知らなかったよ」


 バターの動物性の脂が微妙についている指で頭頂部の髪を触る。


 うん。雄のにわとり鶏冠とさかのように立ってるね。


「あ、にい。やっと起きたんだ」


 比奈子が悪びれもせずに、ひょっこりあらわれる。


 ショートパンツから細い素足をあられもなく見せつけて、朝から――いや、もう朝じゃないのか。


「なんで、ふたりがうちにいるんだ?」


「なんでって、僕が呼んだからに決まってるでしょ」


「それだったら、ひと言くらい俺に言っておいてくれよ」


「はあ? なんで、遊ぶことを、にいにいちいち言わないといけないのよ。だったら、もっと早く起きるようにすれば?」


 くっ。ふたりが見ているところで、はっきり言いやがる。


 お前だって、部活が休みの日は昼まで寝てるじゃないか。


「ことちゃん。くみちゃん。だらしない男は放っておいて、冷蔵庫はそこにあるからね」


「う、うん」


 四橋さんとも、いつの間にか仲良くなってるし。


 今すぐに自分の部屋へ駆け込んで着替えたいぞ。


 いや、寝癖を直すのが先か。歯磨きと洗顔も忘れている。


 けれど、ふたりが見ている前で自分の部屋へ駆け込んだら、寝巻きのださい姿が耐え切れなかったのだと思われてしまうっ。


 柚木さんと四橋さんの困惑するような視線を浴びながら、食パンの真ん中の柔らかい部分をかじる。


 さっきはパンの甘さがあんなに感じられたのに、今はまったく味がしない。


「では、先輩っ」


 柚木さんは、俺にわざわざ頭を下げてくれる。


 四橋さんも同じように会釈してくれた。


 ふたりとも素直で可愛い子だ。


 俺が寝起きじゃなかったら、普段の立派な先輩らしい姿を見せてあげられたのに。


 留守番の静寂に戻ったリビングでマグカップに手を伸ばす。


 コーヒーを淹れてから時間が経過していたのか、コーヒーはかなり冷めていた。


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