第104話 山科部長と狐塚先輩
そいつは、こいつ? 狐塚先輩は何を言ってるんだ?
深呼吸をして、混乱している頭に風を送り込む。
狐塚先輩の言う「こいつ」は、部長のことだ。
一方の「そいつ」は、話の流れから察するに、泉京屍郎のことだ。
「泉京屍郎って、山科さんのことだったの!?」
先生の突然の声に、心臓がつぶれそうになった。
「先生、急に大きな声を出さないでください」
「はっ、そうよね。ごめんなさい」
先生が赤面してうつむく。
「部長が、泉京屍郎だったんですか? そんな、ばかな」
膝が小刻みにふるえる。床に座りたくなる衝動に駆られる。
それは、嘘だ。
だって泉京屍郎は、遠い世界に住む人なのだから。
俺を見つめる部長は、悲しい顔をしていた。
「こいつと俺は、小学校からずっとおんなじ学校でな。小学生の頃から、いっしょに漫画を描いてたんだよ」
狐塚先輩が、部長の肩を手繰り寄せる。「あうっ」と、部長の口から小さな悲鳴が漏れた。
「俺とこいつ。どっちが面白い漫画を描くか、競争だってな。クラスの連中を巻き込んで、しょっちゅう張り合ってたんだぜ。ま、当時に描いてた漫画なんて、超がつくほど下手で、つまんねえもんだったけどよ」
狐塚先輩が顔を下げて、肩を少しふるわせる。
「だが俺が、今でもこうして、プロの世界で漫画を描いていられるのは、あの頃からバカみたいにまっすぐだったのと、こいつみたいに間抜けなライバルがいたからなんだよ。あの頃は、こいつとずっと、喧嘩しながら漫画を描いていくんだって、思ってたもんさ」
文研と漫研の部員、高杉先生。教頭先生までもが、狐塚先輩の昔語りに聞き入っている。
「けどな、うちの学校に入って、一年のときに、こいつがいきなり裏切りやがったんだよ。漫研を辞めて、どこの部に入るのかと思ってたら、よりによって、となりの文研に入りやがってよ。しかも、泉京屍郎とかいうふざけた名前で、こそこそ活動しはじめたんだよ」
だから、事あるごとに部長をライバル視してたんですか。
「ネットで小説を書いたら、人気になりやがってよ。サイトのランキングで一位になってたのを見たときは、ものすげえ切れて、スマホをその場で投げ捨てたもんだぜ」
部長が泉京屍郎だったなんて、とても信じられない。
けど、それが真実なら、これまで覚えた違和感をすべて説明することができる。
インターネットの有名人である泉京屍郎が、縁もゆかりもない俺たちに小説を書いてくれるなんて、おかしいと思ってたんだ。
文化祭の直前に、図ったように部長が泉京屍郎の小説を持ってくるなんて、都合がよすぎる。
じゃあ、やはり部長が、泉京屍郎――。
「仕方ないやろ。漫画じゃ、あんたに勝てへんのやから」
部長が狐塚先輩を押し出した。
「うちかてな、あんたみたいな天才がとなりにおって、ずっとつらかったんよ。なんとかして、あんたに勝ちたいって思ったけども、漫画じゃなんぼ足掻いても、あんたに勝てなかったさかい、ちゃう道を探すしかなかったんよ」
「だからってよお。よりによって文研に入るこたあねえだろ。当てつけだと思ってたんだぜ」
「そら、ごめんな。あんたに当てつけなんて、するつもりはなかったんよ。そないなこと、考える余裕もなかったんやし」
部長は、だれも見ていないところで努力を重ねている人だったんだ。
胸の底から、言葉で表現できない何かが込み上げてくる。
「どうでもいいけどよお、お前、がきの頃からこそこそするその癖、いい加減に直せよ。趣味悪いぜ」
「こそこそしてるつもりは、ないんやけどもなあ」
部長が照れ隠しで頬を掻く。その瞬間、大きな拍手が部室に鳴り響いた。
快活に拍手しているのは、教頭先生だ。
やがて部室は、たくさんの温かい拍手に包まれた。
「素晴らしい! お互いを認め、相手に勝つために努力を重ねる姿は、賞賛に値するっ。これぞ私が長年探し求めていた、正しい競争のあり方だ」
教頭先生の小学生のような笑顔に、部長と狐塚先輩が唖然としている。
「現代は空気を読むことが美徳とされ、きみたちのように、お互いを好敵手と定めて切磋琢磨する者が少なくなっている。張り合いのない今の若者たちの前途を、私は大いに心配していたが、きみたちのような若者も中にはいるんだな」
教頭先生は、漫研と文研の部員たちを見やった。
「狐塚くんたちばかりじゃない。漫研と文研のお陰で、今年の文化祭は例年にない盛り上がりを見せてくれた。文化祭のために、夏休みを返上してがんばってくれたきみたちに、私は学校を代表して礼を言いたい。ありがとう」
教頭先生が深々と頭を下げる。教壇に立つふたりの先生も合わせて頭を下げた。
高杉先生だけは、「へっ?」と小さく声を上げて、少し遅れて俺たちに頭を下げた。
「さて、勝負に負けてしまった漫研のきみたちは、ペナルティのことが気になってると思うが、さっきも言ったように、夏休みを返上してがんばってくれたきみたちに、ペナルティを課すのは忍びない。よって、漫研への処罰は不問に処す」
教頭先生の思いもよらない言葉に、部室がまた静まり返る。
けれど、漫研の部員たちからすぐに歓喜が湧いて、またにぎやかになった。
文研の部員たちは、漫研の人たちと抱き合ったり、手を取り合ったりしている。
四橋さんなんか、感極まって泣いてるし。
感動的な光景に、俺の涙腺も大いに刺激されて――。
「そいつはだめだぜ、先生」
狐塚先輩の凛々しい声が、部室の和やかな空気を切り裂く。
俺たちは驚愕して、一斉に彼女へ振り返った。




