第102話 柚木さんの彼氏!?
「村田っ」
柚木さんを包んでいた悲しげな気配が一変する。
この世で一番嫌いな食べ物を見るかのように、相手を睨みつける。
村田と呼ばれた彼が、「へん」と鼻で笑って、
「お前が文研とかいう、へなちょこな部で、へなちょこな活動をしてるっていうから、見に来てやったのによ。なんだよ、その態度」
ものすごい上から目線で言い放つ。
この子は背が小さいけど、顔立ちはわりと女子受けしそうな感じだ。
二重の目はくりっと大きいし、高すぎない鼻は丸めの顔と調和がとれている。
目にかかる長さの前髪は、ゆるいウェーブがかかっている。
ふわっと軽い髪が、彼の幼さを魅力に変えていた。
村田くんの視線が俺に移る。嘲るような表情が、ふっと消える。
「こいつか。小間川の祭りで、ゆずといっしょにいたやつは」
小間川の祭りで、柚木さんといっしょにいた?
「なんで、祭りのことを知ってるの!?」
柚木さんが、両手を机について立ち上がる。
突然の出来事に、四橋さんや文研の他のお客さんが一斉に振り返る。
柚木さんの顔は、林檎やトマトのように赤くなっていた。
「なんでって、お前らのことを見てたからだよ」
俺たちのことを見ていた?
いや、その前に、今の混乱している状況を収めないと。
「きみは、柚木さんの友達かな」
「友達なんかじゃありませんっ!」
柚木さんが、まっ赤な顔で振り返る。
村田くんが、へらへらと悪さをする顔に戻して、ポケットに入れていた右手を見せ付ける。
漫研との勝負に使う投票用紙だ。
「友達っつうか、お前らのためにわざわざ来てやったんだけど。それなのにお前ら、客に対して感じ悪くね?」
かなりイラっとするけど、耐えるんだ。
「そうだったんだ。それは、わざわざありがとう。俺たちの書いた小説は、読んでくれました?」
とりあえず、柚木さんから引き離そう。
席を立って、小説を案内するように仕向けるけど、村田くんは柚木さんの前から動いてくれない。
「こいつの書いた、つまんねえ小説なら読んだぜ。なんだよ、あのつまんねえ小説。普通すぎて、全然面白くねえじゃんかよ」
「なっ!」
柚木さんの怒気が頂点に達する! やめろっ。
四橋さんもふたりの間に入って、柚木さんを懸命になだめようとしてくれるが――。
「お前が、どうしても投票してくれって言うから、仕方なく来てやったのに、超時間の無駄――」
「帰ってよ!」
柚木さんの怒声が部室に響いた。
「投票してなんて、言ってないでしょ。いいからもう帰ってよっ!」
やってしまった。こうなることだけは避けたかったのに。
でも、柚木さんが怒るのは当たり前だ。
村田くんは、涼しい顔で立ち尽くしていた。
ふっと鼻で笑って、投票用紙をびりびりと破いた。
「あっそ。じゃ、お前らなんかに投票してやんねえ。せっかく来てやったのによ。気分悪いぜ」
投票用紙をくしゃくしゃに丸めて、床に投げ捨てる。
ポケットに両手を入れて振り返ると、肩が俺にぶつかった。
「ってえな。どけよっ!」
悪態をついて、まっすぐに部室から出ていってしまった。
なんだったんだ、一体。
昨日と今日の二日間で、文研にたくさんの客が訪れたけど、あんなに感じの悪い客は初めてだ。
客というより、たちの悪いクレーマーそのものだな。
「もう、最悪っ!」
柚木さんが怒気をあらわに座り込む。
「ことちゃん。怒らないで」
四橋さんも、どうしたらいいのかわからずに困り果てている。
「あの子は、柚木さんの知り合いなの?」
おそるおそる訊ねてみる。しかし、
「あんなやつ、知り合いなんかじゃないですっ」
柚木さんにそっぽを向かれながら、言われてしまった。
柚木さんに男子の友達がいたなんて、衝撃だ。
村田くんとは、どのくらい仲がいいのだろうか。
さっきは、会話すら成立してない感じだったけど、いつもは仲がいいのかもしれないし。
俺は何を考えてるんだ。
柚木さんと彼が仲良くたって、別にいいじゃないか。
どきどきする気持ちを抑えながら、柚木さんを見やる。気づかれないように、細心の注意を払いながら。
柚木さんは肩を落としていた。
これまでに見たことのないような落ち込み方だけど、だ、だいじょうぶっ?
「柚木さん――」
「すみません。わたし、もう帰ってもいいですか」
「あ、うん。いいけど」
村田くんから与えられた衝撃が、そんなに大きかったのか。
だまって席を立つ彼女の背中を見送ることしかできない。
「ことちゃん。だいじょうぶ、ですかね」
四橋さんが切なくつぶやく。
「今日は、具合がよくなかったんだよ。し、仕方ない」
「そうです、けど」
「今から文研の当番を補充することはできないから、四橋さんには悪いんだけど、何かあったら手を貸してくれないかい?」
「それは、はい。だいじょうぶです。先輩たちからも、文研の人たちと、仲良くしてって、言われてますから」
きみが空気を読んでくれる人で助かったよ。
「さっきの人は、だれなんですかね」
「村田くんって言ってたね。同じクラスの男子なのかな」
「村田くんっていう名前だったんですか。同じクラスの男子にしては、その、親しげでしたけど」
そんなことはない。それは、きみの思い過ごしだ。
いや、なんでムキになってるんだ? ふたりが親しくたって、別にいいじゃないか。
「あのっ」
四橋さんが眼鏡を少しずらしながら、俺を覗き込むように見ていた。
「な、何っ?」
「携帯電話が、鳴ってるみたいですけど」
俺の携帯電話が? 言われてみれば、ズボンのポケットから振動が伝わってくる。
急いでスマートフォンを取り出す。
液晶画面には、高杉先生の名前が表示されていた。通話ボタンを押そうとしたら、切れてしまった。
「高杉先生だ。午後の部がもうじき終わるから、状況を確認したいのかな」
「折り返しの、電話をしなくてもいいんですかっ」
「緊急の用事じゃないだろうから、午後の部が終わってからでも平気だよ。緊急だったら、向こうからまた電話してくるだろうし」
「そ、そうですねっ」
部室の黒板の左に取り付けられている時計を見上げる。
二時五十六分だから、あと三十分で午後の部が終わる。
さっきのような嵐は、もう来ないだろうと信じたい。
こんなに疲れる思いをするのはこりごりだ。
柚木さんと村田くんの関係は気になるけど、もう考えないようにしよう――。
「ことちゃんと、さっきの人って、仲いいのかな」
四橋さんが余計なことを言うから、頭から離れてくれないじゃないかっ。
「仲いいって、どういうこと? 昔からの友達とか」
「その、か、彼氏、とか」
かっ、彼氏!?
いや、待て。そんなはずはない。
柚木さんに彼氏がいたなんて、そんな突拍子もない事実があるわけないじゃないかっ。
四橋さん、きみは急に何を言い出すんだ。
「そんなはずはないよ。柚木さんに彼氏がいるなんて、聞いたことないし」
「でも、ことちゃんって、可愛いですから、クラスでも、その、もてるんじゃないかなって、思うんですけど」
クラスでも、もてる方だと思うけど、そんな事実は絶対にあるわけがないんだっ。
「柚木さんに、彼氏がいるんだったら、ひなが、知ってるはずだ。でも、あいつから、そんなことを聞かされたことは、一度もない。だから、彼氏なんかじゃないさ」
「は、はい。そうですよね」
「さっきだって、あんなに喧嘩してたんだから、あれで付き合ってるように見える? 見えないよね。だから、絶対に違うって」
そうだ。柚木さんが我を忘れて怒るほど喧嘩してたんだから、ふたりが付き合ってるはずがないんだ。
俺が弁明する姿を、四橋さんは若干引きながら見ていた。




