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(1)発端の夜    

ここからは、以前書き出し祭りで書きましたイザーク視点でのお話になります。

連載前に書いた物に、加筆改稿をして番外編としました。

短いですが、イザークの本音のお話になります。

 目当ての扉に辿りつくと、俺は怒りのまま金色のドアノブを掴んだ。


「カトリーレ!」


 ばんと大きな音が、開けた優雅な室内に響く。


 敷き詰められた緋色の絨毯の中央に置かれた猫足の椅子に座り、上品な仕草で紅茶を飲んでいたストロベリーブロンドの女性は、俺の無作法な仕草に驚きもせずに振り返った。


「あら、イザーク」


 俺の怒った顔にも愛想のよい笑みを浮かべてみせる余裕のある態度は、さすが老練な国王陛下の孫だ。外孫だが、今の王太子夫妻に子供がいないせいで、幼い頃から未来の女王候補としての教育を受けてきたお蔭で、本心は悟らせない。


 だから俺はぎりっと一度拳を握りしめると、大股でお茶を飲んでいるカトリーレへと近づいた。


「どうしてリーゼを投獄した!?」


「ああ、そのこと」


 しかし、かぶさるように尋ねた俺の怒りも、カトリーレにはそよ風程度らしい。


「王族の君を暗殺しようとした罪だと聞いたぞ!? あの気弱で優しいリーゼに、そんなことができるはずがない!」


 黒髪を揺らして詰問しながら、俺は脳裏に幼い頃からの婚約者を思い出した。風に揺れる長いクリーム色の髪の中で、リーゼはいつも控えめに微笑んでいるような少女だった。成長しても、領民のことになればすぐに、貴族の娘とは思えないほどの行動力を発揮して、貧民のいる下町にでも飛び出していってしまうのに、俺が笑いかければそれだけで真っ赤になって口ごもってしまうような――。


 年頃の男としては、そんな婚約者の反応に本当に男として愛されているのか不安になったこともあった。だから、初めてのキスを拒まれたあと、つい誘われるがままにカトリーレの華やかなサロンに出入りもしたが、一度としてリーゼとの婚約を破棄だなんて考えたことはない!


 けれど、俺の張り上げた声が不快だったのか。すっとカトリーレの緑色の瞳が据わった。


「あら? では、この腕の傷はなんて言い訳されるつもりなのかしら?」


「それは……」


 さらりと袖をめくられて息をのむ。みれば、カトリーレの左腕には今も痛々しいような白い包帯が巻かれているではないか。真新しいそれに、わずかに浮かぶ血が滲んでいるような色にぐっと瞳をよせる。


――だがそんなはずはない。


「これは、なにかの間違いだ!」


「間違い? この傷が?」


 くすくすと面白そうにカトリーレは笑っている。


 確かに白い包帯にはうっすらと血が滲み、ところどころピンク色にすけている。だが、あのリーゼがそんなことをするはずがない!


「きっとなにかの間違いだ! 聞けば、事件のきちんとした調査だってしていないそうじゃないか!  だからもう一度よくリーゼに訊いて――」


 けれど、途中まで言いかけた途端、遮るようにカップが皿の上にがしゃんと置かれた。白い磁気の中で、赤いお茶がまるでカトリーレの髪の色を映したようにゆらゆらと怒りに揺れている。

 

「――だって、あの娘、いつもイザークを一人占めしているのですもの」


 だから、ついでもらされたカトリーレの言葉に俺は眉をひそめた。


「なに……?」


 言われた二つの繋がりがわからない。けれどカトリーレはまるでなにかを思い出すように、じっと虚空を見つめ続けている。


「私、親切にご注意申し上げましたのよ? 公爵家の生まれで、私の遠縁にもあたるイザークは、未来の女王たる私の伴侶にぴったりだって。それにイザークも、私を気に入ってくださったからこそ、サロンにもよくいらしてくださっていたのでしょう? だから、優しいイザークが言い出せないのを良いことに、たかが子爵令嬢にすぎない身分で婚約者の位置に居座ったりせず、さっさと婚約破棄をお願いしなさいと」


「なっ……!」


 思わず、言葉が続かなかった。


 こいつ! 俺の知らないところで、なにを勝手なことを!


「それなのに、あのリーゼときたら頑なに頷かなくて……この私をいらいらとさせたのですもの。三日後の死罪は当然でしょう?」


「死罪!?」


 何を言っているんだ、こいつ!


 けれど、カトリーレは豪華な部屋の中央で酷薄な笑みを浮かべている。


「当たり前でしょう? 王族である私の言葉に逆らったのなら、反逆罪も同然です。それとも、まさかあのリーゼの命乞いをなさるの?」


 喉まで出かかった怒鳴り声を必死に飲み込んだ。そうだ。絶対王政のガルダリア王国では、王族に逆らうことは死を意味する。


 俺はどうなってもいい。だけど、今牢に入れられているリーゼの命だけは…………。


「頼む……。幼馴染みなんだ……」


 リーゼの死に顔など、なにがあっても見たくはない。


 だから、こみあげて来る怒りをのみ込んで、カトリーレの前に膝をついた。これで足りないのなら、土下座でもなんでもしてやる!


「だから、頼む。リーゼを助けてくれ……!」


「ふうん」


 けれど、カトリーレは冷酷な笑みを浮かべる。


「いいわ。イザークがあの娘との婚約を破棄して、あの娘が私への無礼を認めて謝罪をするというのなら助けて差し上げます」


 弾かれるように、俺はカトリーレを見つめた。


「婚約を破棄される?」


 ぐっと拳を握り締める。


 婚約など――何度だってできる。俺の妻になるのは、リーゼしかいない。


 だけど、今、リーゼの命を助けるためなら。


「わかった。婚約を破棄しよう……。そして、必ずリーゼに謝罪をさせる」


「けっこうですわ! そのお言葉をお待ちしてました!」


 高らかに響くカトリーレの笑い声を聞きながら、俺の心は課せられた婚約破棄の言葉に打ちのめされた。


 けれど、これぐらいリーゼが死んでしまうのに比べればなんでもないはずだ。


「頼む……リーゼに会わせてくれ……。約束は……きちんと守るから」


「いいですわ。だけど、今の私との約束は一言も伝えないこと。これを破れば、あの娘の処刑は今すぐにおじいさまに上奏いたしますから」


「わかった……」


 ほかになんと答えることができただろう。


 ――リーゼを牢から出すことさえできれば。


 また婚約は結び直せる。だから――――と、脳裏で優しく微笑むリーゼに謝りながら、ただ部屋に響くカトリーレの笑い声を聞き続けた。



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