439 龍の国滞在記 11
人族の平均を遥かに上回るスピードでクロが迫る。それほど差の無い体格とマリコ自身の力を勘案すれば、正面から受け止める事も不可能ではない。しかし、マリコはそうしようとは思わなかった。中間形態の龍、即ち、翼を持つ者との手合せは、まだシウンとのものしか経験が無いのだ。
(見せてもらいましょうか。龍の戦い方とやらを)
クロの拳が身体に届かんとする直前、マリコは突き出された右腕の外側へと踏み出して、それをわずかにかわした。すれ違い様、手の平でクロの腕の側面を擦るように叩いて向こう側へと押しやる。擦過音を発して一瞬交錯した両者の距離は再び開いていった。
籠手のように拳から肘までを覆った龍の鱗は硬く、その端は鋭い。それは小さな刃物が並んでいるのと変わらず、そんな物を勢い良く撫でれば普通なら手の平がズタズタになりかねないところだ。そうならないのは、各種スキルの積み上げによって高められた防御力のおかげである。
体勢を崩されかけたクロは身体を起こして翼を羽ばたかせ、突進の勢いを殺した。同時にしっぽをくねらせてその場で身体の向きを変える。その様子を見たマリコは内心でふむと頷くと、クロ目掛けて地を蹴った。先ほどとは逆に飛び掛られることになったクロはギョッした表情を浮かべて翼を一打ち、距離を取ろうとする。
しかし、マリコはクロの想定以上の突進力を以って眼前に迫っていた。身体を沈み込ませたマリコが、低い位置から見上げるような視線を向けてくる。その拳が既に胸の脇で固められているのを見て取ったクロは、辛うじて身体の前に前腕を構えて盾とする。そこへガンと衝撃が来た。突き上げ気味のパンチに身体が浮き上がり、足が地面から離れそうになる。
踏ん張って堪えるのは無理だと悟ったクロは、後ろに傾きかけた姿勢から強引に羽ばたいた。同時にしっぽで地面を叩き、その力も加えて後方斜め上へと飛び上がる。バク転して、マリコから距離を取りつつ、構え直す算段だ。だが、マリコの拳の勢いが強かったのか、飛び上がった角度が浅すぎた。高さが足りず、回りきれなかったクロは手足を同時に地面に着けることで辛うじて転ぶのを防いだ。
「ぐっ!」
クロの口から呻き声が漏れる。マリコの拳を受け止めた左腕が痺れていた。折れてはいないが、鱗は無事では済まなかったようだ。拳の当たった所は、割れるか砕けるかした感覚がある。しかし、悠長に確かめている暇は無い。まだ互いに一当てしただけなのだ。マリコの追撃に備えるべく、クロは顔を上げた。
「え?」
だが、マリコは近づいてきていなかった。パンチを繰り出した位置で止まり、半身に構えて値踏みするようにクロを見下ろしている。これが殺し合いではなく、互いの力を確かめる手合せだからだろう。ならば、まだ参ったとも言っていない以上、このまま続けても構うまい。クロは手を突いたまま、翼を羽ばたかせて地面を蹴った。
痺れて動きの悪い左腕は使わず、貫手にした右腕で突きかかる。さっきのようにかわされるなら、今度は身体を捻ってしっぽの薙ぎ払いをお見舞いするつもりだった。案の定、マリコは横にずれる動きを見せる。しかしそれはさっきとは逆方向だった。腕の内側に入り込んだマリコはクロの貫手を避けるのではなく、その手首をつかんだ。そのまま外向きに捻り上げる。
「ふんっ!」
「わわっ!?」
極められた手首を反されるとどうなるか。腕ごと身体ごと、手首の回転について行かねばならない。そうしなければ腕をねじ折られることになる。マリコは手首を取られて横倒しになりかかったクロの身体をハンマー投げのようにその場で一回り振り回すと、えいっと手を離した。
「ひゃあ!」
横倒しの姿勢で後ろ向きに投げ飛ばされることになったクロは、翼を使ってのリカバリーを即座に諦めた。今翼を広げると、その瞬間に地面を擦って車輪のように転がることになる。翼を傷めないだけ、普通に受け身を取る方がマシだ。手足としっぽを使って、それでもゴロゴロと転がった後、クロは止まった。半分目を回しながら顔を上げると、首下にマリコの手刀が突きつけられていた。
「ま、参りました」
クロが両手を上げて降参を宣言すると、ギャラリーから感心と驚嘆の声が上がる。マリコはその手を取ってクロを立ち上がらせた。身体の各所を覆う黒い鱗が、土や砂に塗れて全体的に白っぽくなっており、所々割れたり欠けたりしている。血が滲んでいるところもあり、一番ひどいのはもちろん左腕だ。
「なにかどろどろにしてしまって、すみません」
「いえ、大丈夫です、マリコ様。このくらいなら大した事はありません。ポーションもありますし」
「それなんですが、ちょっとそのままじっとしててくださいね」
「え、はい……」
「浄化! 続いて、治癒!」
全身の砂埃が一瞬で取り除かれ、打撲も擦り傷もあっという間に治っていく。
「おお、これが治癒! 直接見るのは初めてです!」
見た目の効果自体はポーションと変わらないだろうが、クロは無事に治った左腕をひっくり返しては確かめている。傷そのものは浅めだったからか、特に体力が減ったようにも見えない。マリコはそっと安堵の息を吐いた。
(さて、これを後、十人くらい?)
クロが治ったからか、次の挑戦者が進み出てきている。クロに「また後で」と声を掛けたマリコは、そちらに向かった。
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