228 神々の研究 2
2017/03/16 サブタイトルを変更しました。内容は変わっておりません。
「ああ、こんな所にいましたか」
マリコが額に冷や汗を滲ませていると、聞き覚えのある落ち着いたバリトンが響いた。それを聞いたブランディーヌがビクリと背筋を伸ばす。マリコが声の方へ顔を向けると、ちょうど階段を降り切ったエイブラムがカウンターへ近付いてくるところだった。マリコの前まで来ると軽く頭を下げる。
「マリコ様、お話中のところ失礼いたします」
「い、いえ、大丈夫です」
むしろ助かったと思ったもののそう口に出すのもためらわれ、マリコは曖昧に頷いた。エイブラムは頭を上げるとブランディーヌに非難めいた目を向ける。
「いつまでもほっつき歩いていられては困るよ、ブランディーヌ君」
「いえあの、ちょっと取材を……」
「取材より先にやることがあるでしょう」
ブランディーヌに最後まで言わせず、エイブラムはピシャリと言い放つ。うっと呻いたブランディーヌが助けて欲しそうな視線を向けてくるが、状況が分からないのでマリコとしても何と言っていいか分からない。どちらかというと、ブランディーヌから助けてくれたエイブラムに味方したい気分である。
「タリア様と支部の設置場所の協議。それが決まったらそこの補償条件や建物の規模の検討と必要な物の洗い出しに手配。やることは一杯あるんですから、助手役の君がいないと話にならないでしょう? その辺は任せてくれと言うから君を連れて来たんですよ?」
「うう、分かってますよう」
「分かってるんならさっさと来なさい、二人しかいないんだから。ほら、タリア様がお待ちだ」
「こんなに多いなんて」というボヤキに「それならそれで必要人員の計上と申請を」と応じるエイブラムに追いたてられるようにブランディーヌは廊下の方へと重そうな足取りで歩いていく。黙って見送ろうとしていたマリコに、ふとエイブラムが振り返った。
「こんな調子ですので数日はドタバタすると思いますが、少し落ち着きましたらお話を聞かせていただきに参ります」
「は、はい」
頷くマリコに一礼してエイブラムはブランディーヌに続いて廊下の奥へと消えていった。それを見届けてマリコはふうと息を吐く。とりあえず当面の間、ブランディーヌの事情聴取からは逃れられそうである。だがブランディーヌはともかく、エイブラムの聞きたい話は主に魔法のことだろう。
こちらは逃げてしまっていいものでもない。ただ、マリコとて何でも知っているわけではないし、そもそもマリコの魔法に関する知識は基本的にゲームの時のものである。それがどこまでこの世界で通用し、またどこまで話してしまっていいものか。猫耳女神様に聞いておく必要がありそうだとマリコは思った。
「ふむ。支部一つ作るとなると大変なものだな」
今まで黙って見ていたミランダが、マリコと一緒に二人を見送った後、ピョコンと耳を一振りして言った。
「そうですねえ」
普通の家を一軒建てるだけでも実際には結構大事なのだ。それが今回は神格研究会の支部である。マリコの感覚で言うと役所の出張所か大企業の支社かというイメージだった。やっていることの幅も広い上に、メンバーが常駐するのなら居住部分も必要になる。それなりの規模の建物でなければ困るだろう。
昨夜マリコがタリアに聞いた話によると、支部は服屋などの商店がある辺りの畑をいくらか潰して建てられることになるらしい。里の周りを囲む壁の内側にもまだ使われていない、つまり林や草地のままのところもあるので、潰される分の畑はそこを一部開墾して補填するのだそうだ。エイブラムが言っていた補償云々という話はこの辺りに関係する。
畑を取られる形になる人から文句が出ないのかと思ったマリコだったが、そうした事は皆始めから納得づくなのだと言われた。里や村の規模が大きくなってくると、当然それに応じた住宅地や商用地が必要になる。利便性や効率を考えるとそれらは当然宿や転移門に近い方がいいので、宿の周囲は畑のままというわけにはいかなくなってくる。
特に最前線の場合、転移門を擁する以上時間の差はあっても必ず里は大きくなる。先にそれが分かっているので、ひどく揉めることはまずないのだそうだ。幸い麦刈りが終わったところでその辺りの畑はほぼ空になっている。タイミング的にも絶妙な時期に来たもんだとタリアは苦笑気味に言っていた。
そんなことを考えていたマリコはふと思いついてミランダに聞いた。
「アニマの国にもあるんですよね、神格研究会って。どんな風なんですか?」
「ん? ああ、もちろんある。この宿より大きい建物がいくつも並んでいた。何やら作っているところやら売っているところやらいろいろあってな。何百人だかが働いているのだと聞いた覚えがある」
「すごいですね」
何百人となるとそれだけでこの里の人口を遥かに上回る。さすがは百万都市だという中央四国だけのことはあるなあとマリコは感心した。同時に、引越しはともかくそのうちアニマの国には行ってみたいような気がしてくる。
(何せ猫耳の国ですからね。うむ、猫耳に出会う旅、いいですね)
ミランダは自分の顔――正確には耳だが――を見てにんまり笑うマリコに、今の話に笑うところがあっただろうかと首を傾げた。
◇
(旅ですか……)
夕方、仕込みが一段落して休憩に入ったマリコは、廊下に出たところでふと今朝旅立った者たちのことを思い出した。
(バ……いやカリーネさんやアドレーさんたちも今頃は夕食の準備をしてるんでしょうか)
大分傾いた陽の光の赤さになんとなく心配になってくる。何を今さらと思ったものの、考えてみれば彼らがマリコとある程度親しくなってから後、まともに探検に出掛けていったのは初めてのことなのだった。大丈夫だろうとは思うものの、気になり始めるとどうにも落ち着かない。血塗れのバルト組の面々に回復系魔法を掛けまくったのはつい先日のことなのである。
(ここで唸っててもどうにもならないんですけど……あ! あそこへ行けば)
マリコは思い付きを即座に行動に移した。
「おやマリコ、何か用かい?」
執務室に入ったマリコに、書類に埋もれていたタリアが顔を上げた。さすがにもうエイブラムたちはおらず、脇の机ではサニアが何かの書類と格闘している。
「いえ、ちょっと隣の確認に」
「そうかい? なら頼んだよ」
タリアに断りを入れたマリコは奥の部屋へと進んだ。引き戸を開けた瞬間に、突き当たりにある棚に目を走らせる。一見した限り、変わったところは見えなかった。
(ふう、大丈夫でしたか)
いつの間にか止めていた息を吐き出しながら、足早に棚へと歩み寄る。そこには台座の付いた白い木の板、探検者の証が並んでいた。マリコの物も今はタリアのそれの隣に置かれている。
改めて見回したが割れている物はない。バルトやアドレーたちの物の下には帰還予定日が書かれた紙が敷かれている。何となくそれを眺めた後、台座にはめ込まれた魔晶が曇っている――魔力の尽きかけている――物がないか一通り確認して、マリコは部屋を出た。
「マリコも段々とここの者になってきたねえ。そう思わないかい、サニア?」
「そうねえ、母さん」
執務室に戻ったマリコを待っていたのは、タリア母子のによによした視線だった。
「な、なんですかいきなり」
「何ね、よくあることなのさね。探検に出た誰かが心配でここへ無事を確かめに来るっていうのは。特に初めて出掛けていった時とかはね」
「探検者と恋仲になった娘なんかもね」
「誰も心配なんかしてません!」
行動の半ばを言い当てられたマリコは反射的に言い返した。
「そうかい?」
「本当に?」
二人の目が細まり、によによが深くなる。
(この二人が相手では分が悪すぎます)
うっかり挑発に乗ると何を口走ることになるか分かったものではない。マリコは即座に執務室から撤退した。
誤字脱字などありましたら、ご指摘くださると幸いです。




