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錬金術基礎の教室は、半円形の階段教室だった。
私とセレスティンが入ると、すでに多くの生徒が着席している。
教壇には、私の推し――ネクロセフ教授がいた。
「開始五分前だ。空席に着きなさい」
深みのある低音の声を録音できないのが残念だ。
漆黒の髪をオールバックにして、スリーピーススーツ風の教授服を隙なく着こなした姿は格好いい。
切れ長の黒曜石の瞳が、静かに教室を見渡す。
その冷ややかな視線に、生徒たちは一斉に背筋を伸ばした。
……生で見る推し、やっぱり格好よすぎる!
推しの講義を受けられるだけで、この人生に悔いなしだ。
「パメラ、あそこ空いてるよ」
後方の席が空いていたので、私はセレスティンの左隣に座った。
直後、私の左側の席に誰かが座った。
「失礼」
爽やかな声に顔を上げると、アトレイン殿下がいた。
周囲を確認すると、レイオンとコレットの姿もある。
えっ、嘘……全員、同じ講義!?
私の左側の空席に、アトレイン殿下。
前の座席にレイオンが座り、レイオンの隣にコレットが座った。
「アトレイン殿下、後でノート見せてくださいね」
「コレット嬢、自分の手で取ることをお勧めするよ」
着実に距離が縮まっている気がする。
仲よくなるのはいいんだけど、できれば遠くで交際してほしい。
「……では、講義を始める」
はっ……推しの講義!
私は瞬時に推し活モードへ切り替わった。
「魔力を用いて物質の本質を理解し、新たな物質を創り出す――それが錬金術だ」
見惚れてしまいそうになるけど、ノートも書かなくては。
教授の言葉、仕草、指先の動き、全部を書き留めたい!
隣では、アトレイン殿下もサラサラとノートにペンを走らせている。
チラッと見ると、『ネクロセフ教授の手から』という文字が見えた。
ん?
なんですか、その文?
すごく気になる。
何を書いているのか見ようとしたら、気配に気づいた殿下は明らかに気まずそうな顔をして、サッとページをめくってしまった。
見ないでほしいオーラがひしひしと伝わってくる。
……あまり気にしない方がよさそうな気配かな?
「錬金術の起源は古代魔法文明に遡る。当時の術者は、物質を四大元素……火、水、土、風に分解し、再構成した」
教授が短杖を掲げ、水晶を指先で軽く叩く。
すると、水晶が淡く輝き始め、魔力の流れが視覚的に浮かび上がった。
綺麗でわかりやすい。
推しの魔法をリアルタイムで鑑賞できるなんて、最高……!
「これが、魔力注入の基本動作だ。魔力を流し、制御し、形を与える」
私は羽ペンを走らせながら、教授の手元を凝視する。
黒い手袋がよく似合っていて、指が長くて美しい。
「この鉱石を識別できる者は?」
教授が虹色に光る魔法鉱石を掲げる。
私は真っ先に手を挙げた。すぐ後に、コレットも。
「ミス・タロットハート」
な、名前を呼ばれた――!
幸運の鐘が頭の中で鳴り響く。
私は立ち上がって答えた。
「蓄魔石です。魔力を貯蔵し、必要に応じて引き出す鉱石です。教授がお持ちなのは、高純度のものかと」
「正答だ」
教授が顎を引く。
その一瞬の表情が、私にはどんな宝石より尊く見えた。
「優秀な回答者に、これを授けよう」
教授が私に歩み寄り、蓄魔石を手渡す。
トゥンク。指先が……かすかに触れた……!
「顔が赤いが……体調はどうだ?」
「えっ、あ、はい! 健康です!」
「入試のときも倒れかけていたな。無理はするな」
えっ。覚えていてくださってたの?
「は、は、はいっ……!」
教授は何事もなかったように講義を続けた。
でも私の心臓は、もう制御不能だ。
なんて幸せな講義なの……!
「ふふ……」
「パメラ、よかったね」
セレスティンが小声で囁いてくる。
「うん、うん!」
「ネクロセフ教授、噂よりずっと良い先生だね」
「でしょう? 教授は素晴らしいの!」
私が夢見心地で頷いていると、横からそっと袖を引かれる。
びくりとして視線を向けると、アトレイン殿下がノートの上に苺キャンディとメッセージカードを置いた。
『ネクロセフ教授は私語に厳しい。婚約者がいるのに他の男子と親しくすれば誤解を招く。気を付けるように――あなたの婚約者より』
……セレスティンは女子だけど?
教えてあげるべきか迷っているうちに講義は続き、あっという間に終わる時間になった。
「――以上だ。次回は実技を行う。各自、短杖と保護手袋を用意しておくように」
教授が教壇から降りる。
私は教授の後ろを追って声をかけた。
「ネ、ネ、ネクロセフ教授! すみません!」
「講義内容の質問か?」
冷静な声音と視線が返ってきて、心臓がひっくり返りそうになる。
私は勇気を出して思いを口にした。
「この学園は、優秀な生徒が教授の研究を手伝うと聞いています。私、教授の研究助手になりたいんです」
そして、研究を禁忌の魔法なしで安全に成功させて、あなたに幸せになってほしいんです!
……熱いまなざしを注ぐと、教授は軽く顎を上げて目を眇めた。
わぁあっ、この上から見下されるような表情、堪らない。写真を撮りたい……。
「本気か?」
「はい」
教授がしばし沈黙し、黒曜石の瞳で私を見据える。
「……いいだろう。次の試験で学年トップ10に入れ。話はそれからだ」
「本当ですか!?」
「失敗したら二度目のチャンスはない。心して励むように」
それだけ告げると、踵を返して去っていく。歩く姿勢が芸術的に美しい。
はぁ……尊い……。
余韻に浸っていると、背後から声がした。
「パメラは教授……いや、錬金術に熱心なんだな」
アトレイン殿下だ。
「嫉妬しているわけではないんだ。それと、伝えたいことが」
「殿下。先ほどは、キャンディありがとうございました」
いけない、言葉をかぶせたみたいになっちゃった。
おかげで後半が聞き取れてない。
「殿下、失礼しました。かぶってしまいました」
「いや……ところで、今日は昼食を一緒に摂らないか」
「は……い?」
殿下が、私と?
形だけでも、婚約者としての体裁を整えたいのかな?
でも、殿下といると破滅フラグを踏んでしまいそうで怖いんだよね。
「では、昼休みに。俺が迎えに行く」
私が目を丸くしていると、殿下はさっさと教室を出て行った。
取り巻きがその後に続く。
レイオンが殿下に話しかける声が聞こえた。
「努力は感じましたが、まあ、見てられませんでしたね」
「うるさいなレイオン」
……あまり好きではない私を無理して誘った、ということ?
無理しなくていいのに。
今からでも追いかけて断ってあげようかな?
私が迷っていると、コレットが目の前に来た。
ぱちりと目が合う。
その葡萄みたいな紫の目は、ぎらぎらしていた。
コレットは周囲の視線が自分に注がれていないのを確認してから、短杖をサッと振った。
え?
驚いて目を見開くと同時に、耳に異変を感じる。
気圧の変化で耳が詰まったみたいな感じだ。
違和感に耳を押さえると、他の音は遠いのに、コレットの声だけが妙に大きく聞こえた。
「パメラさん。さっきの問題、あたしも答えわかってたよ。パメラさんは落ちこぼれって聞いてたけど、意外とお勉強ができるのね。ねえ、あたし、お昼にアトレイン殿下のグループに混ざってもいい?」
軽やかな声は、つむじ風みたいに早口だ。
昼食を一緒にしたい?
ここで断っても一般良識上は私には非がないけど、絶対コレットとの関係は悪くなるよね。
「……どうぞ」
「ありがとう、あたし、平民だからって舐められやすいから、一番権力があるアトレイン殿下のグループに入りたいの。パメラさんとは仲良くなれそうで嬉しい!」
直後、耳の違和感もなくなって、音が普通に聞こえるようになる。
今の……まさか、『秘話の魔法』?
秘話の魔法は宮廷魔法師クラスが使う上級魔法だ。
それを使って、私にだけ聞こえるように言葉を届けてきた?
小説の中のコレットは、平民の出で、努力家で、誰よりも負けず嫌いなキャラだ。
上を目指すことに貪欲で、栄光には躊躇なく手を伸ばす。
やられたら倍返しするしたたかさがあって、私が意地悪してやり返されるのを読者が喜んでいた。
でも、私は今回、意地悪してないよね?
まさか、講義で同時に挙手しただけで敵意を向けられた、とか?
もしそうなら、先が思いやられる……。
「パメラ、耳を押さえてどうしたの?」
「あ……セレスティン。ううん、なんでもないの」
私は首を傾げつつ教室を出た。次は魔法生物学の講義だ。
私の目標は、ネクロセフ教授と私自身の破滅回避だ。
コレットに目を付けられないよう、気を付けよう。
今朝の様子からしてもコレットはアトレイン殿下が好きだと思う。
となれば、「私はライバルじゃありません」と全力で距離を取っていくべきじゃないかな?
まずは、アトレイン殿下との昼休みの約束をお断りしよう。
それから実家に手紙を書いて、婚約解消を進めてもらう。
「あの、すみません」
私は廊下を歩いていたシルバーウルフ寮の上級生に声をかけた。
「シルバーウルフ寮の方ですよね? アトレイン殿下に伝言をお願いできますか?」
「え? ああ、構わないが……」
「今日の昼休みの約束、なしにしてくださいと。急用ができたので、と」
上級生は怪訝そうな顔をしたが、頷いてくれた。
「わかった。伝えておく」
「ありがとうございます」
私は丁寧にお辞儀をして、セレスティンと一緒に次の教室へ向かった。
これで面倒事から一歩離れられる。
あとで実家にも手紙を書こう。『婚約解消の件、私自身も望んでおります。どうか円満な形で進めてくださいませ』――と。
私はコレットと争わない。
アトレイン殿下への未練もない。
私には、推しと友達がいる。
それだけで十分だ。殿下もコレットもいらない!




