エピローグ
聖女の話は後日、王室から正式に発表される予定となった。
今後についてどうしたいか意向を聞かれたので、私は「できるだけ今まで通りの生活を送りたい」と答えておいた。
最大限こちらの希望通りにしてくれると言われたので、たぶん大丈夫だろう。
遠くから鐘の音が微かに聞こえる、休日の朝。
アトレイン様と一緒に乗った馬車は、丘の広がる景色の中を、優しい風に吹かれながら進んでいった。
着いた先は、私の実家。
タロットハート伯爵家だ。
馬車が止まると、玄関前で待っていたハウスメイドたちが一斉に頭を下げる。
両親は王太子に最大限の敬意を示し、丁寧に出迎えてくれた。
応接間では香茶の香りが満ち、銀器が静かに輝いている。
私は一度客間に案内され、メイドに着替えを手伝ってもらった。
袖口に白いレースがあしらわれた淡いミントグリーンのドレスで、最新のデザインだ。
胸元には小さな真珠飾りが光る。
鏡に映る自分を見て、少しだけ背筋が伸びる。爽やかで、清楚なお嬢様って感じ。
応接間に戻ると、アトレイン様が一瞬、動きを止めた。
瞠目したまま数秒――沈黙。
そして、ゆっくり微笑んだ。
「……可愛すぎて、言葉を失ってた」
「えっ……」
「見惚れてたんだ。君に」
その一言に、耳たぶが熱くなった。
「ありがとうございます」
「今すぐ俺の部屋に攫って二度と外に出れないよう閉じ込めてしまいたい」
「今なんて?」
「なんでもない」
今、結構危うい発言してた気がする。小声だったけど。
空耳?
私が耳を疑っていると、メイドがそっと扉を開け、銀のティーワゴンを押して入ってきた。
「失礼いたします」
白磁のティーセットの蓋を開けると、紅茶の香りがふわりと広がる。
スコーンやサンドイッチ、ベリーのタルトがきれいに並べられ、まるで絵画のようだ。
香ばしい匂いに思わず息を吸い込むと、向かいのアトレイン様が穏やかに微笑んでいた。
メイドが丁寧にティーカップを並べ、静かに一礼して退室する。
お母様は、私たちを見て嬉しそうに両手を合わせた。
「まあ……なんて素敵なの! こうして見ると、本当に絵になるわねぇ。お似合いですわ」
その隣で、お父様は複雑そうに眼を瞬かせ。
小さく頷いてから、少し緊張した面持ちでアトレイン様に深く頭を下げた。
「殿下。このたびは、娘の冤罪を晴らしてくださり、心より感謝申し上げます。娘を信じ切れなかったこと、父として恥じております」
続いてお母様も頭を下げる。
「殿下、本当にありがとうございました。娘をどうか、今後ともよろしくお願いいたします」
アトレイン様は穏やかに頷き、まっすぐに答えた。
「パメラ嬢は、誰よりも誠実で勇敢な方です。私の方こそ、彼女に助けられてばかりです。どうか、安心なさってください」
両親の瞳が潤む。
私は胸がいっぱいで、何も言えなかった。
お母様が立ち上がって私を抱きしめる。
「これからは、ちゃんと信じるわ。お休みの日には、家に帰って来て顔を見せてちょうだいね……ああ、あなたが聖女様だなんて、本当にびっくり」
「うん……必ず帰ってくる」
その温もりに、ようやく私は家族の絆を感じた。
少し泣きそうだった。
――そして、帰り道。
馬車の中で、アトレイン様がふと笑う。
「せっかくだから、このままデートにしようか」
「で、デート!?」
「あなたとゆっくり過ごしたい。それに……あなたに似合う服を探すのも楽しそうだ」
街の中心部に寄り、私たちはブティックや宝飾店を巡った。
シルクのリボンに、ガラス細工のイヤリング。
そして、お揃いのデザインのパーティ衣装をオーダーメイドで注文することになった。
「あなたが着ると、どんな服も輝いて見えるね」
「アトレイン様こそ、どんな服でも似合います」
「じゃあ、お揃いで並んだとき、誰よりも似合う二人になろう」
彼はそう言って微笑んだ。こういう物言いを「彼らしい」と思って慣れてきた自分に気付いて、クスッとする。
窓の外では、午後の光が石畳を照らしていた。
楽しい時間が、ゆっくりと流れていく。
馬車に戻る頃には、私の手には小さな宝石箱があった。
中には、可愛らしいシルバーのリボンリングが入っている。
――彼が選んでくれたペアリングだ。
それに、手芸店でぬいぐるみの材料も買い揃えた。
「アトレイン様、今度、あなたのぬいぐるみを贈りますね」
「パメラのぬいぐるみがいいな」
「じゃあ、両方セットで」
「セットだと俺は俺のぬいぐるみに嫉妬してしまうかもしれない」
「それ、どういう心理……?」
ぬいぐるみを並べて愛でているアトレイン様を想像すると、なんだか可愛い。
窓の外で風が踊る。
学園へ戻る道は、金色の夕陽に包まれていた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
数日後。
試験結果の張り出し日。
中庭に設けられた掲示板の前は、朝から学生たちで賑わっていた。
「きゃーっ、見て! 順位出てる!」
歓声とどよめき。私も胸をどきどきさせながら近づく。
掲示板には、順位が貼り出されていた。
『一位 アトレイン・セプタルシア
二位 パメラ・タロットハート
三位 コレット・グリーニア……』
「わぁっ……二位……!」
思わず声が漏れた。
私の名前の隣には、堂々とした文字で数字が刻まれている。
「おお、殿下。首位を守れて格好が付きましたね。婚約者令嬢に負けて体面を気になさる殿下も見たかったのでオレは残念です」
「レイオン、後半は言わなくてもいいんだ。胸にしまっておけ。というか、お前の順位は?」
「おお、殿下。オレのことはどうぞ気にせずに……」
「お前、最下位じゃないか!」
アトレイン様とレイオンが話す声を聞きながら、私はセレスティンの名前を探した。
隣で掲示板を見ていたセレスティンが袖を引いて教えてくれる。
「あ、あった。ボク25位だよ。パメラほどじゃないけど入学試験から200位以上も上がったよ。がんばったよね!」
「うん、うん! すごい! よかった!」
セレスティンと二人で喜んでいると、マルクも会話にまざってきた。
「僕も順位が上がりましたよ。下から4番目になりましたよ!」
「マルクもおめでとう……」
みんなで喜んでいると、コレットの悔しがる声が聞こえた。
「くぅ~っ、あとちょっとだったのに!」
コレットが悔しそうに拳を握りしめている。
でも、その顔にはどこか清々しさもあった。
「見くびってたわ、パメラ。見直してあげるわよ。でも、次の試験はあたしが一位を取るからね!」
宣言するその声は、不思議と嫌な感じがしない。
私に啖呵を切った後は、レイオンに向かっていく。
「レイオン様ってお勉強が苦手なの? 可愛い。あたし、教えますよ!」
「いや、オレは殿下に教えてもらうんで」
「レイオン? なぜ俺が?」
「え? お優しい殿下が忠実な臣下を救ってくださらないとおっしゃるんですか?」
なんか、日常って感じで平和だな。
少し離れた場所では、ネクロセフ教授が腕を組んで立っていた。
私と目が合うと、彼はほんのわずかに口元を緩めた。
ふわりと暖かい風が耳元を撫でていき、教授の声が柔らかに耳朶をくすぐる。
『秘話の魔法』?
「……よくやった」
「……!」
ひ、秘密の労い……!
すごいご褒美をもらっちゃった。
短い言葉なのに、胸がいっぱいになる。
私……頑張ったんだな。
隣では、アトレイン様が誇らしげに微笑んでいる。
「あなたが努力したから、こうなったんだ」
「アトレイン様のおかげです」
「違う。君自身の力だよ」
そのやりとりの後、彼は少し照れくさそうに頭をかいた。
「でも……二位の君に負けないように、俺もこれからもっと努力しないと」
「ふふ、それはこっちの台詞ですよ」
二人で笑い合う。
秋の風が吹き抜け、掲示板の紙がぱらりと揺れた。
この学園での生活は、まだまだ続く。
勉強も、友情も、恋も。
きっとまだ、数えきれないほどの魔法が待っている。
「さあ、行こうか」
アトレイン様が手を差し出してくれる。
私はその手を取って、小さく頷いた。
この手に掴んだものを胸に、私は自分の物語を歩いていく。
……と、その前に。
「アトレイン様、少々よろしいでしょうか?」
「うん?」
断りを入れてから、銅像のそばに立っていたレイオンに歩み寄る。
夕陽色の髪が微風に煽られ、青空と美しいコントラストを見せている。
そんな彼を見上げて、私は丁寧に淑女の礼をした。
「どうしました? オレにそんな立派な礼をしなくても結構ですよ、恐れ多いです、パメラ嬢。それに、殿下の視線が痛いのなんのって」
陽気に笑う彼に小さな声で感謝を告げる。
「ありがとうございます、賢者様」
賢者アルカディウスは、いたずらっぽく微笑んで人差し指を唇に当て、ウインクをしてくれた。
「オレの愛する王族を救ってくれてありがとうございます、聖女様」
囁き声は、とっておきの秘密と感謝の響きに満ちていた。
「私、あなたのことも、これからもっと知りたいな。前世の記憶があるとか、そういうのなんですか?」
「おおっと、殿下が嫉妬して闇墜ちしては大変です。ご容赦ください、聖女様」
肩を竦めた彼は、何かを思いついた顔になって私の肩に手を置き、身をかがめた。
手に何かが持たされる。
視線を落とすと、オレンジ色の鳥の羽だ。
「困った時にそれに向かって呼んでくれれば、賢者が助けに行きますよ、聖女様。フフフ」
耳元で囁かれて、いたずらを仕掛けるように頬に軽いキスが落とされる。
それを見て、アトレイン様が慌てて私に駆け寄ってきた。
「レイオン! 何をしてるんだ!」
「あっはは、殿下があまりにも蕩け切ったお顔なので、気を引き締めて差し上げようかと思いまして!」
「二度とするな……!」
「怖い、怖い」
大切な彼の胸に抱かれながら、私は秘密を自分だけの心の奥へとしまい込んだ。
今日も、世界には未知と不可解が溢れている。
――了。
Happy End!
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最後まで読んでくださってありがとうございました!




