4、王太子のパートナー
数日後の夕方。
ナイトラビット寮の自習室は、いつもより騒がしかった。
「おい、見ろよこれ!」
ジェラルドが大きな新聞をいっぱい抱えてきて、テーブルの上に広げる。
その周りに、寮生たちがわらわらと集まってきた。
「何が書いてあるんだ?」
「すげえぞ! ネクロセフ教授が絶賛されてる!」
私も興味を惹かれて近づいてみる。
新聞の一面には、大きく見出しが躍っていた。
『魔力欠乏症の治療薬、ついに完成! 学園教授シグフィード・ネクロセフ氏の快挙』
わあっ、ネクロセフ教授のお名前がこんなに大きく……!
か、顔写真まで!
「こ、これ、三部ください。ぜひ私に三部。スクラップ用と保存用と愛読用で」
他の寮生たちの手がどんどん新聞を取っていく。
なくなっちゃう! 私は慌てて新聞を確保した。
「パ、パメラ。ボクの分、あげるよ」
セレスティンが笑いながら一部譲ってくれる。
「どうぞ、パメラさん。一部もらってきましたので」
「マルクもありがとう……!」
うふふ、大満足。
新聞に頬擦りしている私の耳には、生徒たちが教授の噂話をする声が聞こえてくる。
「ネクロセフ教授ってナイトラビット寮出身だって書いてるぞ!」
「すげー!」
この世界に動画撮影道具がないのが惜しまれる。
みんなが推しの話をしている自習室、幸せ空間すぎる。
私は蕩けそうな笑顔でソファにふんぞり返った。
あ~、推しを褒め称える会話を聞きながら飲む紅茶、美味しいわ~!
「えっと……『教授は学生時代、ナイトラビット寮に所属していた。当時から研究熱心で知られ、深夜まで図書館に籠もることも多かったという』……だって」
「すげえな、オレたちの先輩じゃねえか!」
読み上げた生徒の声に、みんなが歓声を上げる。
その中の数人は「あの噂、本当だったんだ」と顔を見合わせている。
「国家転覆を企む最低最悪の教授がこの寮の出身らしいって囁かれてたよな」
「ああ、あの噂か」
その噂、私も聞いてたな。ジェラルドが言ってきたやつだ。
ジェラルドを見ると、全く気にしている様子はなかった。
「こ、この部分も読んでください」
マルクが眼鏡の縁を押し上げながら、記事の別の箇所を指差した。
「教授は長年、研究内容を公表せずにいたため、一部では何かよからぬことを企んでいるのではないかという憶測も流れていた。しかし今回の治療薬開発により、それらは全て誤解であったことが判明。教授の研究は、婚約者である王女殿下の病を治すためのものであったと明らかになった……!」
二年や三年の先輩たちが気まずそうな顔で視線を逸らす中、ジェラルドは誇らしげに笑っている。
「大陸的に、歴史に残る素晴らしい功績だ! さすがオレたちの教授!」
あなた、「邪悪な教授に負けるな!」とか言ってなかった?
噂に心当たりがある先輩たちがみんなして「よくそんなこと言えるな」って顔してるよ。
その騒ぎの中、マルクは自習室の端の席に移動して、分厚い本を開いていた。
「僕も将来、宰相になるぞー」
小さく呟きながら、必死にノートを取っている。
がんばれ、マルク。
私も勉強がんばろう。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
試験まで、あと一週間。
私とセレスティンはシルバーウルフ寮でアトレイン様との勉強会にお邪魔した。
シルバーウルフ寮は優等生が多いからか、設備がナイトラビット寮より整っている。
自習室が何個もあって、グループごとに貸し切りできるのが便利だ。
あと、大きな白銀の狼がいる。もふもふで、優しい目をしている。
学園長の使い魔にして、シルバーウルフ寮の管理人シルヴァルス寮長だ。
「ナイトラビット寮の生徒がシルバーウルフ寮の生徒と親しくするなど、何十年ぶりでしょうか。ルナルは元気にしていますか?」
ふさふさの尻尾を振っていて、可愛い。
「はい。ルナル寮長にはいつもお世話になってます」
「寮に帰ったら、ルナルによろしく伝えてくださいね」
シルヴァリス寮長はぺこりと頭を下げた。
寮長同士って、あんまり会うことがないんだな。
アトレイン様と待ち合わせしている自習室に向かうと、自習室の前の廊下で、シルバーウルフ寮の生徒が輪を作っていた。
中央にいるのはコレットだ。
眉を吊り上げていて、勝気な感じ。
「貴族様は本当にめんどくさいわね。ルールなんて知らないわよ!」
コレットが言い放つと、他の生徒が言い返した。
「お前、何かあるたび『貴族様』って。こっちは学園ルールを守って差別的な言い方しないようにしてるのに立場を武器にしててズルいぞ」
「自習室は二人以上じゃないと貸し切りできないんだよ。平民だからじゃなくて誰でも平等にルールはルールなの」
「友達を1人でも連れてくればいいだけよ。まあ、コレットには友達がいないかもしれないけどね」
乾いた笑い声が廊下に響いた。
コレットは口を開きかけたが、すぐ唇を噛んだ。
悔しさと、何か言っても無駄だという諦めが入り混じったような表情。
「……ひとりで勉強したっていいじゃない」
「だったら自分の部屋でやれば? ここは協調性のある生徒のための場所だよ」
その言葉に、周囲の貴族たちがくすくす笑う。
私は、その空気がどうも嫌に思えて黙っていられなかった。
「コレットさん。お待たせ。待たせてしまってごめんなさい」
「え?」
「ん?」
笑顔で近づいて声をかけると、コレットは目を丸くした。
「え?」はコレットで、「ん?」は私の後ろにいるセレスティンだ。
コレットはともかく、セレスティンにアイコンタクトを送ると私のやりたいことが伝わったようで、彼女は片眉を上げて顎を引いた。OKのサインだ。
貴族生徒たちは明らかに焦ったように顔を見合わせた。
「パメラ様……? でも、その人は——」
「コレットさんは私たちと一緒にお勉強する予定だったんです。彼女が何か?」
努めて穏やかに言いながら、コレットの手を取る。
少し震えている指先は、私を拒まなかった。
「し、失礼しました、パメラ様。ちょっと勘違いしてしまって……」
負け惜しみのような言葉を残して、生徒たちは去っていく。
静けさが戻った廊下で、私は小さく息をついた。
さっきまで胸の奥で燻っていた苛立ちが、少しずつ落ち着いていく。
コレットは俯いている。
肩にかかった髪が揺れて、表情は見えない。けれど、唇の端がかすかに震えているのがわかった。
「……どうして、あたしを助けたの?」
低く、かすれた声。
何か欲しい返事があって、それをくれるんじゃないかと渇望している気配。
なぜだか、その姿が過去の自分と重なった。
誰も味方になってくれなくて、項垂れていた私。
思いがけず助けてもらえて、味方してもらえた私。
「見知らぬ仲でもないし、放っておくのが嫌だったのよ」
努めて軽く言うと、コレットは顔を上げた。
熟れた果実みたいな紫の瞳には、警戒と戸惑いと、ほんの少しの驚きが滲んで揺れていた。
「パメラさんって、なんでいつも優しいの。変だわ」
後ろでセレスティンが「わかる」と呟いている。そんなに変?
「……私もひとりだったし。コレットを見たり話したりする機会が多いから、勝手に仲間意識とか親近感を持ってるのかもしれないわ」
苦しいときにコレットの人生を小説で読んで、励まされていたんだ。
そんなことを目の前のコレットに言うわけにもいかないので濁して言うと、コレットは一瞬泣きそうな顔をした。
「……ありがと」
「たまに『そんなことしちゃうの?』ってドン引きすることもあるけどね」
「わ、悪かったわね」
コレットは小さく呟いて、そっぽを向いた。
頬がほんのり赤い。
可愛いんだ、コレットは。
「コレットさんは、可愛いと思う」
「ふぇっ!? な、な、なに言ってんのよ!」
思ったままの言葉を口にすると、コレットは林檎みたいに真っ赤になった。
うん、可愛い。
コレットが誰かに助けられたときに自分のことのように嬉しくなっていた読者時代の記憶がよみがえり、思わず口元が緩む。
「ふふっ……、じゃあ、行きましょう。アトレイン様が待っているから」
促すと、コレットは短く息を吐いて頷いた。
嬉しそうにはにかむ顔は、やっぱり、いつかの自分と重なる気がした。
思えば、他人の心は見えなくて、得体のしれない存在だ。
自分中心に考えて、他人に事情や感情があることを忘れてしまいそうになる時がたくさんある。
でも、小説は他人の心や人生を見せてくれる。
だから読者は、小説を読むことで「普段、自分が関わる他人も、こんな風に心があって、それぞれの事情があるんだ」と想像するきっかけをもらえるんだ。
「コレットさん、ありがとう」
「なんであたしに感謝するのよ? 意味わかんないわ」
「私もそう思う!」
繋いだ手を元気よく揺らすと、セレスティンが「なんか嫉妬しちゃうな」と笑ってドアを開けてくれる。
――楽しい勉強会の始まりだ。




