2-6
魔法生物学の講義をしていた実習室は、あっという間に断罪イベントの場になった。
エドナミイル教授が先に書状を確認して頷き、後ろに下がると、「これは学園公認の裁きだ」という印象がグッと強くなる。
緊張感の糸がぴんと張り詰める中、アトレイン殿下は堂々と声を響かせた。
「この件は関係者の親族にも知らせてあり、王室が主導してこの件を広く発表し、被害者令嬢の名誉を回復する所存である。犯人グループの処罰についてはレイオンが発表する」
レイオンがその声に一礼して、快活な声で書状を読み上げる。
「決定事項を通達する」
読み上げられた内容は、以下の通りだった。
『3ヶ月間の停学を命じる。
学園復帰には、被害者令嬢への正式な謝罪状と、親族の監督下での反省文提出を条件とする。
停学期間中、王室直轄の慈善施設にて、1日4時間の奉仕活動に従事すること。
停学中は魔力使用を禁じる。
加えて、加害者から被害者令嬢への名誉毀損賠償金を支払うこと。
今後の素行は王室監査官の調査対象となる。
悪質な振る舞いが認められた場合、王族勅命により爵位家への指導が行われる……』
厳しい内容に、令嬢たちが悲鳴を上げた。
「で、殿下。お許しを!」
「わ、私たち、悪意はなくて……」
彼女たちへの返答は、冷え冷えとしていた。
「加害者グループの悪意は花蜜スライムが証明したばかり。さあ、停学はたった今からだ。出ていきなさい」
促されて、令嬢たちは顔を見合わせ、周囲を見た。
王族の権力は絶大だ。アトレイン殿下は人気もある優秀な方なので、彼の断罪に異を唱える声はない。
証人や証拠も揃っていて、正式な書状があり、直前には魔法生物を暴走させてしまっている……説得力は抜群だ。
「……申し訳ございませんでした」
「わ、わたしも。もうしません、ごめんなさい!」
針の筵のような状況に蒼褪め、彼女たちは口々に謝罪して部屋を出ていった。
それを見送り、実習室は囁き声で溢れた。
「殿下が婚約者を守られたぞ」
「聞いていた話と違うわね」
「それに、パメラ様もよ。自分を貶めていた相手を守るなんて」
そんな中、アトレイン殿下が私を見て手を差し出してくる。
「パメラ」
「はい、……っ?」
差し出された手に視線を落とした瞬間、殿下は私を抱き寄せた。
――ええぇっ?
耳元で温かに囁かれて、どきりとする。
「自業自得の加害者を花蜜スライムの暴走から守ろうとしたり……あなたは本当に優しいんだな」
「……!」
そっと手のひらに何かが押し込まれる。
真珠の耳飾りだ。
「あなたを想って選んだ。つけてくれると嬉しい」
殿下の声には紛れもない好意が感じられた。
「それと……今度、手紙を書こうと思っている。まだ書けていないが、書けたら送るから……読んでほしい」
切実な熱が籠った瞳で見つめられて、私は思わず頷いた。
殿下はそれを確認してから周囲を見渡し、朗らかに声を上げた。
「みんな、騒がせてすまない。見ての通り、彼女は俺の大事な婚約者だ。見ればわかると思うが、可憐で尊い」
んっ?
なんだか場違いな薔薇色の甘々ボイスで褒め言葉が?
「不遇でも文句ひとつ言わず前向きに勉学に励んでいる。友人想いで、協調性が高い。自分には厳しく、他人には寛容だ。そんな彼女への中傷に対しては、今後は俺が率先して対応するので、よろしく頼む」
なんだか過剰なくらい持ち上げられた気がする!?
しかもアトレイン殿下の美しい笑顔は、目が笑っていなくてちょっと怖い。
柔和な物言いだけど、「二度とこのようなことがないように」という威圧だ。
物腰柔らかなのに怖いってどういうこと。器用すぎる。
でも、アトレイン殿下がこんな風に後ろ盾についてくれるなんて。
……頼もしすぎる。
「……ありがとうございます、殿下」
私が感謝の気持ちでいっぱいになって微笑むと、殿下は目を見開いて、視線を逸らした。
「その上目遣いは反則じゃないか?」
「えっ、反則?」
上目遣い禁止なんて校則ないですが?
――ぽよんっ。
……ん?
足元に何かがポヨンっとぶつかったような。
足元を見ると、赤、オレンジ、イエロー、グリーン、ブルー、5色の花蜜スライムたちが、ぽよぽよと殿下に懐いている。
さてはさっきの拍手は殿下のテイム?
私の推理を裏付けるように、周囲の囁き声が耳に届く。
「殿下は全属性をテイムコンプリートなさったらしいわよ」
「さすが主席入学の殿下ですわね」
テ、テイムコンプリート?
さすが完璧王子様……。
私が感心していると、実習室の扉がガタリと開く。
「生徒を危険に晒すなど、安全配慮が欠如しているな」
聞き覚えのある低音――こ、この声は!
振り返ると、ネクロセフ教授が教室に入ってきていた。
「シグフィード・ネクロセフ教授! 他人の講義に介入しないでいただきましょうか!」
エドナミイル教授が苛立った声を上げる。
「ペイトリオン・エドナミイル。その態度はなんだ? 貴様は自分の重大な過失を理解しているのか?」
「もちろんですが、講義が終わっていないのに入ってきて邪魔をするのはやめていただけますか?」
「貴様、これほどの事案が起きたのに講義を続行するつもりなのか?」
二人の教授が睨み合っているのを生徒たちは「不仲だ」「犬猿の仲なんだよ」と遠巻きに見て、ちょっと面白がっている。
「王女様を巡っての恋のライバルでもあるんだってさ」
「もう決着付いてるじゃん。ネクロセフ教授が婚約したんだから」
「うわぁ」
恋愛絡みの話ではしゃいでいる生徒たちに気付いて、二人の教授は同時に杖を振った。
「んぐっ」
「むぐぐ」
途端に噂話をしていた生徒たちが口を押さえ、目を白黒させる。
怖っ。魔法で言葉を封じられたんだ。
二人の教授は何もなかったように再び睨み合った。
「来週の魔法植物の採取実習には、私も付き添う必要がありそうだな」
ネクロセフ教授が冷たく言い放つ。
「一人で十分です!」
エドナミイル教授が反発する。
え? 魔法植物の採取実習にネクロセフ教授も来てくれるの?
心臓が高鳴る。いついかなる時も、推しの存在は嬉しいものだ。
そして、魔法植物の採取実習といえば魔力欠乏症の薬草を入手する予定である。
入手方法を頭の中でシミュレーションして、私はアトレイン殿下に声をかけた。
「あの、殿下。お願いしたいことがあ」
「何だ? 俺は何でも叶える」
「……るのですが、いいですか?」
なんか、食い気味だ。
おかしい、殿下にワンコの尻尾が見える。幻だ。すごい勢いで尻尾を振ってるように見える。
「この蓄魔石に、5色のスライムたちの魔力を貯めていただけませんか?」
私は以前、教授から賜った蓄魔石を差し出した。
「……これを?」
「はい。お願いします」
殿下は不思議そうな顔をしたが、頷いてくれた。
「わかった」
殿下が短杖を振ると、5色のスライムたちの魔力が蓄魔石に流れ込んでいく。
石が虹色に輝き、蓄魔完了だ。
「ありがとうございます、殿下! すごく助かります!」
「……役に立てて嬉しいよ」
私は改めて挨拶をした。
「……パメラの挨拶は、いつも美しいな。映像記録魔法で毎日朝昼晩に鑑賞して愛でたい」
「殿下は褒め方がどんどん大げさになってきてません?」
「鍛えてるからね」
「褒め方を……?」
幼い頃から練習した成果を褒められて嬉しいけど、殿下がおかしい気がする。気のせいだろうか。
この魔力があれば、洞窟の結界を破れる。
そして、薬草を手に入れられる。
教授を救うための重要な一歩だ。
「……ん?」
足元に、ノートが落ちている。
誰かの忘れ物かな?
「……待て、それには触れないでくれ!」
彼の声が裏返る。
普段の落ち着いた口調からは想像もできないほど、切羽詰まった響きだった。
「え?」
殿下の顔が、真っ赤。
「あ……すまない」
我に返ったように、殿下が謝罪する。
そして――逃げるように教室を出て行った。
何だったんだろう、あのノート?
呆然としていると、夕陽色の髪のレイオンが近づいてきた。
「すみませんパメラ嬢」
肩が震えている。
笑っている?
「殿下にもお見せできない繊細で恥ずかしいお心がありまして」
「繊細で恥ずかしいお心?」
「たぶん見られちゃうと気持ち悪いと思われてしまう恐れがありまして。どうか詮索しないであげてください」
私が殿下を気持ち悪いと思う恐れがある?
「殿下は恋愛ごとに不器用な方なのですが、愛は本物ですので」
「レイオン!」
「鍛えてるんですよねあの方。ポエムっつーか、夢なんとかを。毎晩せっせと」
「黙れ……!」
廊下から殿下の声が響き、呼ばれたレイオンは私にウインクした。
「パメラ嬢。殿下はね、完璧と言われていますしご本人も期待に応えようと努力なさっている真面目な方なのですが、結構可愛いところもあるんですよ。では、失礼します」
レイオンは優雅に一礼して教室を出て行った。
「?????」
え、あの殿下が毎晩せっせと……何……?
えっちな話をされた? まさかね?
なんかあの清廉潔白な殿下だと、そっち系の想像はするだけでも躊躇われる。しちゃうけど。
まあ、変な想像は置いておこう。
私にはもっと大事なことがある。想像しちゃうけど。
魔法植物の採取をする実習現場の山の中には、洞窟がある。
そこには魔力喪失症の治療薬の材料である薬草があって、教授とグレイシア姫殿下を救うことができるんだ。
「よーし……」
推しのハッピーエンドは、私が導く!
意気込みながらナイトラビット寮に戻ると、部屋の前に封蝋の施された封筒が二通、そっと置かれていた。
見慣れたタロットハート家の紋章。
――お父様とお母様の字だ。
手紙を手に取るだけで、胸の奥がじんと熱くなる。
寮の自室に入ってドアを閉めると、カーテンの隙間から射し込む夕陽の名残が、机の上で揺れていた。
椅子に腰を下ろし、まずお母様の封を開ける。
便箋には、丁寧で、でも少し滲んだ文字が並んでいた。
手紙には、深い後悔がにじんでいた。
『あなたが嘘をつく子ではないと、わかっていたはずなのに。あの時、信じてあげられなくてごめんなさい。お父様と一緒に、あなたの名誉を取り戻すために動いています。どうか、無理をしないでね』
読み進めるうちに、涙がこぼれそうになった。
震える指先で、もう一通――お父様の手紙を開く。
『パメラ。すまなかった。父として恥ずかしい。お前の言葉を信じられなかった。だが、もう二度とお前を一人にはしない。我が家はお前の味方だ。婚約については王室からも継続希望の書簡が届いている。お前が望むなら、このまま殿下との婚約を続けよう』
手紙を読み終えたあと、机に肘をついて目を閉じる。
胸の奥で、何かがほどけていくのを感じた。
……わかってもらえたんだ。
机の上に置いた真珠の耳飾りが夕暮れの光に煌めいている。
小さな耳飾りは、なんだかとてもピュアな輝きを放っていた。
婚約、か……。
嫌ではない。アトレイン殿下は憧れの王子様だ。
実際に接してみても、彼は遠くで見ていた時と印象がそう変わらない、優しくて善良な人だ。
思っていたのと違って、私の噂を嘘だと見抜いてくれていて、大勢の前で味方してくれて、私の立場を改善してくれた……。
でも、婚約者のままでいて、いいのかな?
コレットは……?
少しだけ開けている窓から、ふわりと風が吹き込んで、手紙の端をかすかに揺らした。
「……婚約については、『迷ってます』ってお返事を書こうかな」
私はそう決意して、手紙を書いた。
ついでに、手紙を書いたあとでアトレイン殿下とレイオンの妄想をノートにこっそり書いてみた。
原作読者の中には、この二人のカップリングを推している派閥もいたなぁ――なんて、懐かしく思い出しながら。
『ハハッ、オレの筋肉に勝てると思ったんですか? 殿下。悔しそうですねえ!』
『ば、馬鹿にするなレイオン! 不敬だぞ……っ!』
『いや~、その屈辱に震える涙目、たまりませんね殿下……! アンタはオレの嗜虐心を煽るのがホントにうまい!』
二人で腕立て伏せ対決してるシーンだよ。
たぶん毎晩こんな感じでせっせと二人で主従愛を育んでるんだ。
仲良きことは尊きことかな。




