7 兵士の朝は早い
薄い日の光がまぶた越しに目を差した。眠りが浅い故に、それだけでも目が覚めてしまう。
時刻は午前の六時くらい。この世界では火の刻の初めとも呼ばれる時間帯だ。一日の二十四時間を四分割し、0時からを風の刻、六時の日の出ごろからを火の刻、正午からを土の刻、日の入り頃の六時からを水の刻とする。この世界において最も普及している四元素魔術から付けられたのだろう。
そうして、今だに可愛らしい寝息を立てているネムの肩を揺すり起こす。今はまだ試用期間だから、まだ起こし方も優しくなっている。後一週間後であれば、ケツを蹴り上げているところだ。
「むぅ…」
「ネム二等騎士、今日は火の刻に基礎能力訓練。そして、土の刻からは適性検査試験を行う。ついてこい」
「はぃ」
「上官に対する返事は「了解」だ。それ以外だと軍では不敬罪で即刻処刑になる」
「了解!」
「それでいい」
脅しみたいになってしまったが、気にしすぎるくらいが丁度いい。新兵の死因第三位は上官への不敬罪だしな。ちなみに、第一位は戦死で第二位は病死、第四位は栄養失調で第五位は凍死だ。女子供だろうと、兵士である以上そこに恩赦の垣根は存在しない。だから、気にしすぎるくらいが丁度いいというわけだ。
さて、少し脱線したが、改めて新兵訓練場への道を進む。ネムはきちんとついてきている。
そうして、俺とネムが初めに見た光景はキャンプで行われる新兵が叩き上げられる様子だった。出入り口以外を高い塀で囲まれているブートキャンプは、数少ない逃げ道を熟練の兵士たちが固めており、中心のトラックでは新兵たちが走らされていた。そして、その背後にピッタリと付いている前期の兵士たちがその尻を蹴り飛ばしている。
痙攣して脱落した者はトラックの内側に蹴り飛ばされ、そこで衛生兵に処置をされていた。
随分と野蛮に見えるが、これが一番新兵を鍛えるのには効果的だ。特に、この魔力という能力がある世界では。基礎的な身体強化魔術。全身の魔力を循環させるだけで行使できるソレは、命の危機や過度な訓練でこそ成長が著しい。
だからこそ、目の前の光景が戦場における最適解になるわけだ。新兵は安全なブートキャンプで先輩の手厚い指導を受け、身体強化を体得した者から戦場で命を使い潰していく。十人に1人が一端の兵士になり、千人に1人が隊長格になれる。
そして、その隊長格の内で更に名を上げた者は”二つ名持ち”になるというわけだ。
今日からは、ここでネムも訓練を行うことになるだろう。取り敢えず、一ヶ月くらいは俺もつきっきりで訓練を施さなければなるまい。俺の訓練は止まってしまうが、こんな人目のあるところで大っぴらにやるものではない。間違っても。
「よし、いまからトラックを走る。へばったらあそこら辺のアホと同じ結末を辿るぞ。ケツを四つに割りたくなければ、死ぬ気で走れ」
意を決して、ネムはトラックに押し入った。しかし、やはり子供の足の短さゆえにペースはそこまで早くない。俺のことを知っている兵士たちは、俺らを少し遠巻きにランニングを継続している。
そうして、13周と半分ほどでネムはダウンした。ま、子供にしては結構なペースで走っていたし、体の出来に比べてかなり頑張ったと言えるだろう。
「よし、上々だ。で、次は魔力放出だ」
その一言にネムはキョトンとした顔を返すが、俺はその反応に貫手を返した。
本来の新兵は一週間ほどを寝ずのランニングをして過ごし、死に瀕してやっと魔力を感じる。だが、その指導要綱が10才にも満たない幼子に適用できるかと問われれば、俺はそれに否と返さざるを得ない。
なので、これは特例措置だ。
ビオス伯爵家は生命魔術の大家であり、他貴族家の子女が早い段階で魔力を覚醒するための施術を担当することも多かったらしい。そして、俺はそれらの魔術自体は受け継いでいる。本来であれば高額な費用を貰って請け負う仕事なのだが、今回はそれらをネムに施すことにしていた。
「力を抜け、そして感じろ」
魔術を行使するのに必要な魔力は、肉体のいたるところに蓄えられている。しかし、それらを扱うには蓄えられたエネルギーを運ぶ回路が必要となる。魔術学会ではこれを魔力回路と呼ぶのだが、ここではもっと簡単に魔力ホースと呼ぼう。
魔力に覚醒していない人の魔力ホースというのは、基本的に詰まっている状態だ。新兵たちの訓練というのは、その訓練で命の危機を感じたことによる火事場の馬鹿魔力で、その詰まりを押し流すという脳筋的手法である。
対して、ネムに施しているのは高度な魔力操作と生命魔術によるリカバリーが可能な俺だからこそ行える、魔力ホースの洗浄と言って良いだろう。魔力を全身の魔力回路に浸透させていき、枝分かれしている毛細回路は壊れやすいので慎重に。
こいつ... 結構魔力が多いな。遺伝... ではないか。平民だし。でも、この年でかなりの魔力容量をしているな。魔術師もイけるか?
そうして魔力が肉体を循環するようになり、身体強化が常時発動する状態になる。
「どうだ?」
「すご... い」
脳含めて全身を強化している都合上、身体強化は大幅な多幸感をもたらしてくれる。それらは戦場での意味不明な高揚感とミックスされ、新兵を死をも恐れぬ狂戦士へと変えることもある。しかし、それらは制御してこそ本来の力を発揮できるものだ。
「次だ。その流れを弱めてみろ」
「.....んぅ?」
これがかなり難しい。例えるなら、いきなり生えた翼で滑空しろと言っているようなものだ。いや... むしろ、翼は肉体の延長線上であることから、魔力の操作はそれ以上に難しいかもしれない。
しかし、出来なければならない。できなければ、魔術師どころか兵士にすらなれないのだから。
そうして自身の魔力と格闘していたネムは、30分ほどで魔力が枯渇し倒れ伏した。
「ま、上々かな。魔力放出を全開で30分持つなら伸びしろもかなりあるだろうし」
そう独り言ちつつ、その小さな体を背負って、俺はブートキャンプを後にした。




