2 戦いは唐突に
カンカンカンカンカンッ!!!!
最前線での朝の目覚ましは、二分の一でこんな音だ。
どうせ服は破れるので、着るのは最低限の腰回りのみで良い。そうして着の身着のままで物見やぐらを駆け上がると、大森林から黒光りする立派な角を持った二足歩行の魔物が徒党を組んで飛び出していた。
魔力線を引いて、魔法陣を構築。そして完成した魔法陣に魔力を流すと、声の音量がぐんと上がる。
『第二エリアッ! 牛鬼系の魔物が十以上!』
初級の生命魔術である【響く声帯】
生命系統の魔術の中で、指揮官として前線で指揮を執るのにこれ以上に便利な魔術はない。戦場全体に一瞬で指示を飛ばせるため、思考能力の低い魔物相手ならばデメリットもなく使いたい放題だ。
そうして、パラパラと兵舎から湧いてきた兵士と傭兵と冒険者の混成軍は、こちら援護するまでもなく牛頭達を一瞬にして狩り尽くしていく。
「何時にも増して気合い入ってんなぁ」
眼前に広がるのは、威勢良く飛び出してきた牛頭共が可哀想に見えるほどの一方的な狩りだった。数百もの人の群れが奪い合う様に牛を覆い尽くしているその光景は、いっそ人間の方がモンスターなのではないかと思わせる。
うん、まあ理由は分からんでもない。
実はあの牛の肉はとてもおいしいのだ。魔力の影響もあって、その美味さは霜降りA5ランク特上並みだろう。いつもは朝が弱い傭兵団も、この時ばかりは血眼で奴らの腰の後ろを抉り盗っている。
そうして、ものの五分で牛は狩尽くされた。
『殲滅を確認! 各自持ち場に戻れ!』
その場で手際よく血抜きと解体を済ませた食欲の奴隷達は、赤々とした肉をまるでトロフィーの様に掲げて兵舎に凱旋しており、その中にはベルフの一団も含まれていた。
よし、今日の昼飯はビーフシチューだな。たかりに行こう。
そんな決意を胸に物見やぐらを降りていくと、下方から随分と剣呑な気配を感じる。なので、簡素な作りのはしごから飛びのいてドスンと着地すると、目の前にはその物騒な気配を垂れ流す女がいた。
第三騎士団の団長か。一応... 昨日の軍議にも参上していた面子だが、一言も発していなかったな。
ここまでを聞いた現代人の漢ならば、女騎士? くっ殺ッ! というお決まりのセリフが頭をよぎるだろう。しかし、こいつは違う。
真窓の令嬢という言葉が降って湧いてくるほどに研ぎ澄まされた美貌を持つ公爵家の令嬢でありながら、その深紅の髪色と性格にだけピッタリな”鮮血姫”という悪名を持ち、この北部戦線ではアマゾネスなどとも揶揄されている。
また、女性蔑視の風潮が強い異世界において、いち騎士団の団長まで上り詰めている事も、この女が武力と権力に秀でている事を物語っている。
うん、ぶっちゃけ近づきたくない。
普段はその整った顔立ちを能面のように動かさず、言葉すらも最低限。しかし王家への侮辱や、親族を辱められた時には般若のように猛り狂うのだとか。かつての酒の席で、王家批判を冗談で口走った子爵家の婚約者候補を、今も腰に帯剣している両手剣で問答無用にかち割ったのは有名な話だ。
しかも、彼女自身の家柄が親王家の派閥であり、一族郎党がこの国の天皇主権と王権神授説を足して二で割ったような建国神話と政治体制にどっぷりと染まっているのもタチが悪い。例のド玉かち割り事件について抗議した子爵家は、公爵家の権力によって捻り潰されたと聞く。
どんな好色家の放蕩貴族でも手を出そうとしない嫁ぎ遅れ... それがこの女である。間違っても目を付けられたくないのは、この戦場に居る全ての者の共通認識だろう。
かく言う俺もこの女の凶暴性を垣間見たことがある。
それは一月ほど前、この女がこの北部前線に派遣されてきたその日のこと... 開戦の口上で互いにいがみ合うのは戦場の花だが、この女はあろうことか口上の中で「愚昧なる王」と言い放った敵の軍師を、槍の投擲によって穿ち殺したのだ。
明らかな先制攻撃であり、大陸間で取り決められた国際法に真正面から喧嘩を売っている。ぶっちゃけ戦争犯罪だ。
局地的な戦闘停止である”停戦”の期限が切れたならば、開戦の合図としての王命を戦場で読み上げ、その後に開戦するという流れが道理だ。互いに王命を読み上げている最中に攻撃するという行為がどれだけバカなことなのかは、そこらの学のない平民でも理解できるだろう。しかしあの女はやった。
もしもこのことが外部に漏れれば、それを理由に他国が我が国を攻める口実を与えることになる。
結果... その収拾のために、生命体の感知を可能とする俺を現場指揮官とし、足の速い傭兵と騎士を総動員して魔国側の兵士を一人残らず殲滅する羽目になってしまった。
.....そんな問題児が、俺の目の前で口を開く。
「伯爵。今期徴兵軍の第二陣が明朝に到着するため、至急準備されたし... との伝令だ。確かに伝えたぞ」
「....はい」
「ではな」
その一言を残して、騎士団長は背を向けて立ち去ろうとする。
.........セェェェェエフッ!!!
あぶねぇ、寿命が縮む。
メスゴリラめ、威圧するなら敵にやってくれ。まぁ、ただの報告を無駄に警戒しているのは俺なんだが、普通に怖いわ。
あー... 天災にでもあった気分だ。朝飯食お...
「.....ァ?」
首筋に冷たい刃が当てられるような... 猛烈な死の予感がした。
それは生家であるビオス伯爵家に代々伝わる、自身の生命の終わりを知覚する魔術。特に俺の場合は、前世で一度死んだことに加えて戦場で多くの死に触れて来た結果、更に明確な死のビジョンを感じ取ることが出来るようになっていた。
何かが来る。
魔法陣を描く時間はない。背中に刻まれた刺青型魔法陣に魔力を注ぎ、首筋を全力で強化する。そうして.... 首に冷たい刃が食い込んだ。
首の横に両刃の剣が当てられており、薄皮一枚が切れた箇所から数滴の血がしたたり落ちる。
「この行動、どういう意図で?」
先ほどまで背中を見せていたメスゴリラが、刹那に背後に移動して首に刃を突き立てていた。あっぶねぇなクソッ!
そんな風に心の中ではメスゴリラを罵るが、口では冷静に対話を試みる。万が一にでもこいつに手を出せば、バックのクシフォス公爵家が出張ってくる。だから今は我慢だ。この猛獣を手なずけるんだ。
「...」
メスゴリラは何も答えずに、ただ剣を腰に戻した。そうしてまた背を向けて立ち去っていく。今度こそ俺は彼女の間合いから俺の位置が外れるまで、その背中を目で追った。
「....なんだってんだよ」
◇ Side メスゴリラ?
眼前に対峙している彼は、そこらの路傍の石とは比べものにならない位に凛々しく見えた。
「ふっ...」
我ながら、随分とほだされてしまったものだと思う。初めはいち辺境伯程度にしか考えていなかった年端も行かない男児に対して、まるで貴族院の蝶よ花よと育てられた乙女のような感情を抱くとは... だが、後悔はない。
この身は陛下より騎士団長の末席に加わる栄誉を賜ったほどに武芸を修めているが、その技をもってしても彼の武威には届かないだろう。あの常在戦場を体現する所作は、私に平時であっても小さな隙すら捉えさせないのだから。
そして、ビオス家は生命魔術の大家。拳のみで私を凌ぐ彼に魔術が加われば... 果たしてその力は何処まで届くのか。まったく、興味の尽きない男だ。
あぁ.... どうすれば彼の愛欲を一身に受けることが出来るのだろうか?
事務的な会話ですらも愛おしい。そして彼に背を向けて歩き出すと、心が張り裂けそうになる。そうして気づいた時には、彼の背後に回って剣を首に当てていた。
「....」
流石は私の認めた男。全力で放った一撃のはずなのに、その一閃は彼の手刀によって止められている。私は剣を鞘に戻して、己の表情を隠すように彼へ背を向けた。
少しばかり緊張してしまったな、口元が緩んでしまっていなかっただろうか?
そんな心配が頭をよぎり、剣に添えていた手で顔を触ってみる。どうやら表情を崩してはいなかったようだ。
そのまま彼の視界に入らないところまで来て、私は歩みを止めた。しかし、もう寂しさは感じない。
だって、私の手には彼の髪束が握られているのだから。
それに、私の愛剣に滴った彼の血も。
ロケットペンダントに入れようか? 魔道具にするのも良いわね! だって、彼の魔力が私に力を与えてくれるの、すっごくロマンチック... というものじゃない?




