1 会議は躍る されど進まず
< 賢王歴 502年 11月 >
北部戦線、第三補給基地にて。
そこらの雑兵の屍から剥ぎ取った服を着た俺は、最前線から五キロほど離れた補給基地へと足を運んでいた。
しかし、ここは味方の陣営のはずだが、なんともまあ不快な視線が全方位から突き刺さる。肌感覚的に恐怖が八割の嫌悪が一割、そして残り一割が無関心や好意的なものだ。
俺はそんな視線を特に気にするまでもなく、中央部に敷かれた天幕へと足を運ぶ。そして、あと少しで天幕に入ろうとするところでいきなり声を掛けられた。
「お前、お貴族様だろぅ? ちいとツラ貸してもらいましょうかねぇ」
全く世も末だと、何も知らなければそう思う光景だ。だってそうだろう? 俺みたいなまだ下の毛も生えていない様なガキに、三十は歳をくったオッサンが喧嘩をふっかけているのだから。
しかし、これもまた戦場の風物詩だ。
徴兵された平民が、貴族に対して八つ当たりをする。それは街中でやれば即刻死刑になるほどの暴挙だが、俺みたいに護衛をつけていない令息は袋叩きにされ、令嬢は輪姦される。それが戦場ではよくある事だった。
平民上がりの騎士爵がよくやる典型的な失敗例で、しかし大体の場合は敵兵に拉致られたという処理だけで終わってしまう。そして高位貴族は兵士のガス抜きとしてその事件を黙認しており、兵士達もその事を理解している。所詮は騎士爵.... 半端な成り上がり者の血が間引かれるくらいは、寧ろ好都合だと思っているのかもしれない。
そして確かに今の俺の格好は、正しく金の無い底辺貴族のガキと言ったところ。そのくせ胸には貴族の証である金のブローチを堂々と付けているので、格好の的とでも思われたか。
徴兵された腹いせに痛い目に合わせてやるという思考は理解できる。なんたって、俺も同じ様な境遇なのだから。しかし、手を出す相手が悪かった。
そう心の中で手を合わせつつ、俺は魔力を励起させながら拳を握り....
目の前の暴漢は、胸に大穴を開けて吹き飛んでいった。
しかし、それは俺の手による結果では無い。その下手人の方へと顔を向けると、その人物は俺のよく知る男だった。
「いやー 旦那が殺っちゃうと死体も残らないんでね、勝手ながら無礼打ちにさせてもらいましたよ! 新入り達の人柱になってくれた名もなき兵士に敬礼! なんちゃって?」
「ベルフ、俺だって流石に死体を残してやるくらいの配慮はするさ」
「いやはや、それは差し出がましい真似をしてしまいました。まぁ、そんなことはどうでもいいとして、そろそろ軍議が始まりまっせ?」
「わかった。さっさと終わらせよう」
この軽薄そうな男の名は、ベルフ・アンドレア。傭兵王とも呼ばれるアンドレア傭兵団の団長で、かれこれ一年くらいの付き合いになる腐れ縁だ。そして、その大層な称号に見合うだけの武力を持ち合わせている、俺にとっては頼れる子分と言った立ち位置だ。
まぁ、おっさんが俺の子分っていうのはどうなの? と聞かれたら、その時は拳で黙らせるほかない。
そうして、ひと悶着はあったものの、やっとこさ北部戦線の総指揮官との御対面だ。
「ッチ... よく来たな、ビオス辺境伯代理。さっさと掛けたまえ」
おいおい、小さいとはいえ面と向かって第一声が舌打ちはないだろがい... と、そんなことを内心では思いつつも、一応は笑顔のままで応対する俺。内心ではこの豚をどうフルボッコにするかを吟味しているところだ。
「ペトラ侯爵閣下におかれましては、この戦場までご足労いただき光栄に存じます」
勿論のこと、王国流の簡易敬礼も忘れない。こういう細かい礼を欠いた瞬間に、この豚はいつも嫌味を垂れてくるのだ。マジでうざいんだなこれが。なのでこちらとしては唾でも吐いてやりたいところだが、コイツの使う魔術はこの戦線における生命線と言っても良い。
ペトラ侯爵家は代々土の元素属性を受け継ぐ名門であり、その大地を操る魔術は戦場において一線を画す力を持っている。大地を隆起させるだけで城壁を築き、時間を掛ければ砦すらも構築できるのだから、その価値は戦場において計り知れないものだ。
だからこそ、ここで帰られでもしたら一巻の終わり。最悪の場合、戦線が崩壊しかねない。
「では、軍議を始める」
遂には心の中でドナドナされた中年の雄豚を見送りつつ、俺はこの軍議に参加したメンバーを横目で確認した。
まずは傭兵集団のまとめ役であるベルフと、冒険者達の代表として来たAランクパーティー”狩人の集い”のリーダー。そして、貴族からは俺とペトラ侯爵。最後はペトラ侯爵家の親衛隊の騎士と、王国の第三騎士団の団長に、徴兵された平民集団のまとめ役であるボッフ村長。
ボッフ村長のなにやら上機嫌な様子からして、大方ブタ侯爵から賄賂でも受け取ったのだろう。あのブタは自身の仕事を最小限にして、さっさと撤収する気満々だ。このバカ村長は、それが自分の首を絞めているという事に気づいていないのか?
軽くベルフとハンドサインを交わすが、彼は村長の方を軽く見て指で丸を作った。これで買収されたのは確実か.... 終わってんだろ。
「えー まず私は今回、このフェルド大河から西に二百メートルの城壁を築き、大河から引っ張った水で堀を作ることを提案する。何か異論はあるかね?」
問題ありまくりだわボケが。
まずこの北部戦線は、国境沿いの最前線を中央として北に魔国領、南が王国領、西は魔物が跋扈する大森林で、東は大河を挟んで帝国があるという立地になっている。
自国である南は問題ないとして、一つ目の問題は東の大河だ。今は11月なのでまだなのだが、もう少し経てば川は凍結する。だから堀に水を通すなんて逆効果もいい所だ。ただでさえ大河の凍結によって帝国の動向に注意を払わなきゃならんのに、変なことをされたらたまったもんじゃない。
そして、二つ目は西の大森林。そこは魔素濃度の高さ故に野生の魔物が厄介だ。魔物は魔人族と人間であれば後者を優先して狙う生態を持っている。勿論魔人族も魔物に襲われるが、魔人と人間が目の前に居れば、魔物は人間を先に食い殺す。なので、最悪の場合は人間 VS 魔人族 + 魔物なんて構図になりかねないのだ。
今まではそれを回避するために、大森林から東に向かって建てられていた城壁を挟んで、対魔物に特化した冒険者達を大森林に配置し、魔人族は俺と傭兵達や国の騎士団で対処していた。
しかし、先日の大侵攻の際、敵の魔人族の中に腕の立つ魔術師が複数おり、遠隔からの魔術で城壁のほとんどを消し去られてしまったのだ。だからこそこのブタ侯爵に白羽の矢が立ったというのに.... なんだこいつ? 大河の土壌の方が柔らかくて扱いやすいからって怠けようとしてんじゃねえ、国からの支援金の分は働けよッ!
とまぁ、そんな内心は置いておくとして... まずは穏便な方法で解決を図ろう。
「今までの城壁に沿って、新たな城壁を築いて頂くだけで良いのですが...」
「ふむ。だがしかし、兵を分けるなど非効率ではないか? 一点に兵を集中させて、魔族共を押し返せばいいだろう。それに魔物など、追い立ててやれば魔族領を勝手に攻撃し始めるだろう?」
「いえ、魔物の性質として人間を襲いやすいというのがありまして」
「私はよく領内の山で魔物狩りをしていてな、そこでよく大物を狩るために小物をまずは追い立てて、体力を使わせるという方法があるのだよ。これが日頃の教養というものだ。また一つ賢くなったな?」
「いえ... ですから」
「まったく、これだから辺境の貴族は... 教養が足りず、理解力にも乏しいとは」
「流石は侯爵閣下、聡明でいらっしゃる」
....頭の血管が切れる音を聞いたのは初めてだ。
ブタがさえずるのはまだマシだが、ヨイショするブタの騎士がかなりうざったい。あからさまな殺気を放ちながら、こちらが少し動く度に腰の剣に手を乗せて、こちらが動きを止めると優越感に浸ったような表情でこちらを見下してきやがる。
それに、ブタは豚で脳内お花畑なんだよボケが。なんで侯爵家当主にまでなっといて逆張りするんだよッ! どうせ思い付きの作戦で、成功すれば神算鬼謀な自分の功績。失敗したら無能無知な現場の責任。そういう腹積もりだ。しかも、こういう奴に限って逃げるのだけは上手いのが腹立たしい。
そして俺がどんなに反対しようとも、このブタには自分の意見を変えるつもりが毛頭ない。貴族という生き物は、良くも悪くも自己中ばかりだ。そして、そんな自己中の手に城壁を作り上げる手段が握られているのだから、俺のような辺境貴族に成す術なんてないじゃないか。
だが、無いよりはましだ。少しは戦線の幅が狭まるので、それだけでも儲けものと考えよう。そうしないと俺の精神が持たない。
ゴリッと、そんな音を立てて歯が砕けるが、魔法で癒すことはしない。こんな所で魔法を使えば、上官への反逆罪で賠償金+爵位剥奪、そして奴隷落ちまでがセットだろう。風前の灯火なビオス伯爵家は、侯爵の権力によって灰燼に帰すことになる。なので俺は、血と唾液が混ざってぐちゃぐちゃな液体を必死に嚥下し、言葉を続けた。
「では、侯爵閣下の案を採用しましょう。御身をこのような地にとどめる訳にもいきませんので、今日中に作業を終わらせられるように護衛を編成致します」
「分かればいいのだよ、分かれば。では、よろしく頼むぞ? ビオス”辺”境”伯代理」
その問答を最後に、俺は天幕を後にした。勿論のこと、口内の割れた歯を道端に吐き捨て、すぐに新しい歯を再生させておく。
まったく、こんなクソみたいなことのために魔術を使うたびに、己の魔術の練度が上がっていくのが本当に情けない。この魔術.... 俺の生家であるビオス伯爵家に代々伝えられた生命魔術は、生命の持つ機能を操る魔術だった。肉体を鍛え、治癒力を高め、免疫力を高める。そんな、ファンタジー要素の薄っぺらいなんちゃって魔術。
そもそもが、魔術とは研究によってその魔力効率を上げ、さらに大規模な魔術を作り出すのが正道。しかしビオス伯爵家の先祖は、その賢明な選択肢を捨て去った挙句に、己が肉体の鍛錬のためにこの魔術を改造しやがった。確かに肉体鍛錬によって己の肉体を魔力と適応させて、生物としての限界を超えることも正道の一つではある。しかし、魔術まで使ってその効率を上げようと思うのは、まさに脳筋の権化としか言いようがない。
魔術による超回復で、筋力を休みなしに鍛え上げる。肉体にたまった疲労を癒す。肉体を強化し、その負荷によって更に筋肉を追い込む。そんなアホみたいなトレーニングメニューは、確かに効果的ではあった。なにせ俺のような非力な子供が、過酷な異世界の最前線で二年間も生存しているのだから。だがしかし、精神への負荷がとんでもない。
どれだけ脳筋だったんだよ、俺の先祖は。
「畜生が」
俺の先祖も、あのブタも、だれもかれもが憎たらしい。だが、俺にはまだ希望は残っていた。
「あと3年、あと3年だ」
三年後、ビオス伯爵家の後継者として王立学園の入学が許可されれば、俺はこんな地獄とはおさらばなのだ。それまで、俺は絶対に死なない。死ぬわけにはいかないんだ。
◇ 地図
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□ 川
□ □ 魔国領 川
□ 川
西の大森林 □------------最前線--------------- 川
□ -----[ 旧城壁跡 ]---- 川
□ 川 帝国領
川
〇第三補給基地 川
川
王国領 川
〇砦 川
________________________川




