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52.変事












「予知夢?」

「ええ。閣下の能力を考えれば、ありえなくはないでしょう」


 北壁に常駐している守備軍所属の魔術師であるアントンに話を聞いてもらい、言われた言葉にリシャナは瞬いた。


「今までそんなものは見たことがないんだが」

「しょせん夢ですからね。私も、可能性を提示したにすぎませんよ」


 苦笑してそういわれ、なるほど、とうなずいた。アントンはリシャナに意見を求められて、それに答えたに過ぎない。歩廊から北の方を見ていたリシャナはアントンを振り返った。


「アニーは予知夢を見たことがあるのか」


 彼は簡単な未来予知の能力を持つ魔術師だ。もしかしたら見たことがあるかもしれない、と思って尋ねてみたのだが、彼は苦笑して首を左右に振った。


「私の未来予知は、予知というよりは占いに近いのです。よく当たる占い、と言ったところでしょうか。予知夢とは性質が違うのです」


 曰く、予知夢と言うのは無意識化で見るものであって、かなり実現性が高いらしい。一定の魔力と、そして、こちらの方が重要らしいが歴史が急変するほどの事態が予知夢となる場合が多いらしい。不安しかない。

「……神の啓示のようなものか。私は見たことがないが」

「閣下が見たことがないのであれば、誰も見たことがないでしょうね」

「……」

 最近、信奉者が多くて困るような気がする。気がするだけかもしれないけど。なんとなく、背後にエリアンの気配を感じる。エリアンどころか、ヘルブラントの意向を感じる。このままでは国が真っ二つに割れるのではないかと、王位継承戦争を経験したリシャナは気が気ではないのだが、兄が健在である限りは大丈夫だろうか。というか、領内の内政をエリアンに丸投げしている状況では止められない気がした。職務分担を見直すべきだろうか。


「……胃が痛い」


 頭ではなく胃が痛い。アントンは笑って「休んだ方がよろしいのでは」と言った。リシャナは息を吐きだすと「報告を聞いてからにする」と答えた。要塞の中へ入り、ヤンから状況を聞くことにする。と言っても、ここ最近は侵略も落ち着いている。戦をするにも金がかかる。……というのもあるのだろうが、ラーズ王国はディナヴィア諸国連合の一国だ。ディナヴィア諸国連合には、レギン王国も加盟している。レギンは兄王の王妃であるアイリの出身国だ。そして、二年ほど前から王太后に接触している……。


 だめだな。エリアンに任せよう。


 と言うことをしているから、いざと言うときに動けないような気もするが、実際問題、リシャナがすべて抱え込むのは無理だ。能力が足りない。できないことはできる人に割り振っていくのがリシャナのやり方だ。


 北は問題ない。やはり、リュークのいる南西部が政情不安だ。だから、リシャナが帰領してひと月半後、バイエルスベルヘン公爵領クラウシンハが海から攻撃を受けたと聞いてもそれほど驚かなかった。

「どこが侵攻してきた」

「ブルゴーニュだな。だが、ブルゴーニュも戦力を提供したに過ぎないだろうが。ディナヴィア諸国連合は海軍が整っていない」

 凍らない港が少ないのだから、仕方がない。そのあたりの軍事知識は、リシャナにもある。たとえ彼女が海戦が得意ではなかったとしても、知識自体はある。

「なるほど」

「戦費が気になるな」

 官僚であるエリアンはそこが気になるらしい。いや、リシャナも気になるけど。

「私はお前がどうやってその情報を集めてきたのかが気になる」

 ブルゴーニュだぞ。陸でつながっているとはいえ、結構遠い。ディナヴィア諸国連合だって情報統制を敷いているはずだ。実際、ラーズ王国に情報網を持っているリシャナは耳にしてない。つまり、ラーズ王国が主になって行ったことではないのだろう、と言うところまでしかわからない。ふっとエリアンは挑発的に笑った。


「俺には俺の情報網があるということだ。わが麗しの女王陛下」

「……」


 リシャナはあきれて自分の夫を見た。こういうところは結婚しても変わらないようだ。たまに結婚する前は優しかったのに、という既婚者がいるが、エリアンの場合は加速している気がする。気のせいかもしれないが。


「……独自の情報網を持っているお前は、兄上が動くかも知っているんだろう」


 クラウシンハが襲撃された、という情報が直通で入ってきたのは数時間前だ。リシャナは王の妹、軍権を一部預かるものとして対応を迫られている。その決断を下すための情報のすり合わせをしているわけだ。なお、まだ正式にヘルブラントからの連絡はない。王都もバタついているのだろう。

「動く。さすがに、王が王都を空けるかまではわからないが……あなたも行くんだろう」

「ああ……いずれにせよ、兄上には海軍を出してもらわなければならない。私は海軍の軍権は持っていないからな」

 ついでに、アールスデルスは海に面していないので、もともと海軍はない。そして、リシャナは海戦が得意ではないので、ヘルブラントに任せた方が無難だ。できないわけではないし、少ないが、経験もないわけではない。だが、戦艦に乗るのは避けられると嬉しい。


「確かに、あなたにすべての軍事権を与えるわけにはいかないからな」


 エリアンが苦笑してそう言った。


「それに、あなたは防衛戦こそ強い印象がある」

「……間違いではないな。今回は城の攻略戦になるだろうな……」


 おそらく、リシャナやヘルブラントが救援に駆けつけるとき、すでにリュークの居城は落ちているだろう。だから、それを奪回する戦いになる。海軍の指揮権を持っていない以上、リシャナは兄の居城を攻略する方法を考えなければならない。

 そして、今回はリシャナだけが移動するのではなく、派兵になる。準備を整えて移動するのは、北壁に詰めるよりも時間がかかる。そして、北壁を空にするわけにはいかないので、リシャナの常備軍だけでは戦力が足りない。


「エリアンは兄上に問い合わせてくれ。今までの傾向から考えると、兄上は海軍を率いてきてくれるはずだ。私は陸からリューク兄上の城を攻略する」

「わかった。軍はどれだけ連れて行く? 補給は?」

「補給線はお前に頼む。後方から支援してほしい。それと、周辺の貴族に私の名前で触れを出す。兵員と兵站を供出させる」

「……あなたはたまにすごいことを言うな」


 リシャナは北壁を守っている以上、常備軍を持っているが、通常、戦になるときは兵を集めることから始める。リシャナはその原則にのっとっただけだ。自分が供出できないので、他から調達するのである。


「いや、兵を出させるのはわかる。普通は各地の領主や名士が兵を募って旗頭である陛下やあなたのもとへ集うものだからな。だが、兵站も出させるのか」


 これは持って移動するものだ。進路の途中をおさめている領主に出させるものではない。

「後で補填する。今は急ぎだからな。……ヘルブラント兄上より先に到着して、諸国連合を海に封じ込めたい」

「なるほど。了解した。ほかでもないあなたの要請だ。断られることはないだろう」

 こういう時、王の妹、と言うのは役に立つな、と思う。実はこれを考えたのはいまではなく、王位継承戦争中の話、まだリシャナが子供のころの話だ。当時は周囲に敵が多く、実行できなかったが、エリアンの言う通り今ならできるだろう。


 エリアンに檄文を書かせ、サインだけはリシャナが行う。リシャナの身分であれば、代筆は珍しくない。そして、リシャナ自身は連れて行く軍を編成していた。北壁からもいくらか引き抜いたが、リシャナに代わる指揮官として、ヤンはおいていかなければならない。リシャナは実際の軍事行動については、エリアンを信用していなかった。


「ぜひ同行したいんです……!」

「却下だ。城代にエリアンを置いていくので、何かあればそちらに相談してくれ」

「くっ……仕方がありません。我が姫の戻る場所を死守します」

「そこまで覚悟を決めろとは言っていない」


 むしろ、ヤンより進軍するリシャナの死亡率の方が高い。何しろ、防衛戦は得意でも、攻戦はそれほど得意ではないのだ。しかも、リシャナが到着するころにはクラウシンハのリュークの居城は落ちている。城攻めになるのだ。王位継承戦争で戦経験の豊富であるリシャナだが、得意不得意はある。

 そうでなくても城攻めは難しい。できればヘルブラントに投げてしまいたいが、そうすると、リシャナが海戦を行う必要がある。海戦は城攻めよりも苦手であるし、そもそも艦隊を持っていない。軍権のほとんどを持っているリシャナだが、さすがのヘルブラントも、妹にすべての軍事力を持たせるような愚行はしなかった。


「ヤン、頼りにしているので、アールスデルスを頼む」

「お任せあれ」


 先ほどまでの必死さはどこへ行ったのか、いい笑顔で返答がきた。まあ、頼まれてくれるのであれば文句はない。エリアンともめないかだけが心配であるが、いい大人同士であるし、仲が悪いわけではないから大丈夫だと思うことにする。


 進軍するにしてはかなり早く準備を整え、リシャナは出立することになった。途中で各地の領主の軍を拾いながら行くことになる。その前に、リシャナはロビンにもすねられていた。

「僕も行きたかったです。……足手まといになるのは、わかっていますけど」

「そうだな」

 にべもなく言い切ったリシャナに、ロビンは涙目になった。普通は一介の見習いと顔を合わせたりしないが、出発前にリシャナはエステルの健康診断を受けていた。きっぱりとしたリシャナの言いように、母親のエステルは苦笑したが何も言わなかった。


「戦いに行くということは、人を殺しに行くということだ。友人や家族が殺されるかもしれないということだ。もしかしたら死ぬのは、自分かもしれない」


 戦場とは死と隣り合わせだ。


「初めて戦場に出たとき、私は泣き叫んだ。十三歳の秋だった」


 リシャナの初陣は否応なしに巻き込まれた『ルナ・エリウ開城戦』であるが、実際に戦場に出て戦ったのは、その半年後のことである。野戦だった。十三歳で初めて本格的な戦場に立ったリシャナは、戦が終わった後に泣き叫んだ。


「死ぬにしても、即死ならばいい方だ。死にたくても死ねず、苦痛にゆがむ見方や敵の顔を思い出して眠れなくなったこともある。自分の体に剣が貫通したこともあるな。引き抜く時の方が痛い」

「医者に任せてくださいな」

「私もできるならそうしたいが」


 痛みに鈍い自覚のあるリシャナですらそう思う苦痛だった。


「そんな場所に、お前は飛び込めるか? 私は選択肢がなかった。だが、お前にはある。戦場に出ずとも、騎士として働ける場はある。よく考えた方がいいぞ、ロビン」


 青ざめたロビンはうつむいた。よく考えるといい。まだ時間がある。


 翌日、ヘルブラントの号令を受けたリシャナは一軍を率いて南西にあるクラウシンハへ出発した。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


リシャナがロビンを説得している言葉を書いているとき、スパ〇ファミリーでハンドラーが大学生を脅してたんですよね…お、おう、ってなりました。


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