42.押しに弱い
思わず、リシャナはリュークと顔を見合わせた。しばらく顔を見合わせた後、リシャナが言った。
「……それは、私たちに言わなければならないことですか?」
まあ、言ってくれれば、できるだけ会わないように避けまくるが。結局、もめるのなら会わない方が理にかなっている。それに、最後に会ったのはひと月ほど前、アールスデルスでのことだが、あの時は珍しく言い合いになったので、会うのが億劫ではある。まあ、リシャナは自分が悪いとかけらも思っていないが。
「お前、クールって言うかドライだよな。その母上に、このひと月ほどの間にレギン王国から接触があった。俺に黙って、だ」
「義姉上には?」
「さあな。接触があったのかもしれないし、なかったのかもしれない。少なくとも、俺は目にしていないな」
ヘルブラントは笑ったが、目は笑っていなかった。この長兄を恐ろしいともうのは、こういう時だ。陽気で気の良い印象のヘルブラントだが、その実、洞察力が鋭く思慮深い。自分はこの兄の掌の上で転がされているのではないか、と思う。
「……何が目的なのでしょう」
抑えた声でリシャナがつぶやいた。ヘルブラントが自分の兄弟だけを集めたのは、彼は自分の妻たるアイリのことすら疑っているからだ。実際、アイリは人質として嫁いできたのだ。夫婦仲は良好に見えるが、実際のところは不明だ。アーレントを見ていると、仮面夫婦にも思えないが。
「内政干渉かなぁ」
これはリュークがつぶやいた。なるほど、と思った。王の母親の親族が、外戚として権力を振るう話はよく聞く。母の母国からの干渉は、ヘルブラントと祖母のフェリシアが排除したと聞いたことがある。
「リューク、たまに本質をついてくるよな。リシェも学んでおけよ。もし、俺に何かあったら、俺はお前を摂政に指名するからな」
「そこはリューク兄上ではないのですか」
そう言いながら、ヘルブラントがそんな話を持ち出すと言うことは、リュークの言う内政干渉がかなり近いと、彼が考えていると言うことだ。そして、摂政は成年前の君主や、君主が職務の執行に不都合がある場合に、代わりに君主としての職務を執行する立場の役職であるが、通常は君主の次の継承権を持つ成年男性に任される場合が多い。この場合はリュークが対象になる。リシャナは成年であることしか条件に合致していない。
「いいね、それ。リシェがやりなよ」
リュークも自分が摂政向きではないとわかっているのか、笑ってそんなことを言った。
「僕じゃ抑止力にもならない……」
「私は抑止力になると? なんだか微妙な気持ちです」
まあ、確かに北部は押さえているから、否定できないのだけども。弟妹のやり取りを見て、ヘルブラントは目を細める。
「そんなわけだから、頼むぞ、リシェ」
「……まあ、善処はしましょう。ですが」
リシャナはわずかに顔をしかめる。
「兄上に何事もない方が嬉しいです」
もちろん、リシャナとて上に立つ立場の人間だ。最悪のケースを考えておく必要性はわかっている。特に、権力の行先というのは争いに直結するものだ。かつての王位継承戦争のように。
「お前……可愛い奴だなぁ」
いまだに軍装の正装状態のリシャナに言う言葉ではないようなことを、ヘルブラントはしみじみと言った。ついでリュークが「あっ」と声を上げる。
「王都開城戦の前にもそんなこと言ってたよね。懐かしいなぁ」
「よく性格がひん曲がらなかったよな。感心だ」
うん、とヘルブラントがうなずく。勝手に話が進んでいく。リシャナが原因ではあるのだが、彼女は遠い目をしていた。話が逸れすぎである。これすらヘルブラントの策略である可能性も捨てきれず、何とも言えない。
「まあ、そんなわけだから、よろしく。明日の朝食、共にどうだ。たまには兄妹だけで」
「わかりました」
「構いません」
「よし、決まりだ」
おそらく、この見た目によらず慎重で洞察力の鋭い兄は、実の弟妹のことしか信用していない。いや、もしかしたら、この二人すら信用していないのかもしれないとすら思う。
「そうだ、リシェ」
「はい」
さすがに外したマントを手に持って、ギャラリーを出ようとしたリシャナにヘルブラントが声をかけた。
「お前、青と緑、どちらがいい?」
何の質問だ、これは。リシャナは自分の格好を見下ろした。今日は白の軍装だ。服を着て見られないほど似合わない、と思ったことはないが……。
「青でしょうか」
「よし」
何が「よし」なんだ。疑問を覚えつつも、ここで尋ねても答えてくれないだろうと思い、受け流すことにした。
その答えは、翌日にわかることになる。
「何だこれは」
文字通り兄弟三人だけの朝食を終えて戻ってきたリシャナは、宮殿の自室に鎮座するトルソーを眺めて思わずそう口にした。青いドレスがトルソーにかけられていた。
「ドレスですわ」
「さすがにそれはわかる」
しれっとしたエステルにそう返し、一応聞いてみた。
「誰の?」
「もちろん、リシェ様ですわ」
「……」
だと思った。パッと見、平均的な体格の女性が着るには大きすぎるし、かといって長身なエステルが着るには布地が足りないだろう。主に胸元の。そして、このドレスはエステルに似合わないだろう。かといって、リシャナに似合うかと言われたらよくわからないが。
「注文した覚えはないぞ」
「ええ、そうですわね。ですが、リシェ様に今日着ていただくために作ったのですわ。リシェ様のお姉様からいただいた布地で作りましたのよ」
そういえば、しばらく前にヘルブラントがアルベルティナからだ、と布地を持ち込んでいたのを思い出す。多すぎたのでアイリやニコール、エステルたちにも布地を分けたのだが。
「好きに使えと言ったはずだ」
「ええ。ですから、好きに使ったのですわ」
と、エステルが得意げな顔になる。対して、リシャナは眉をひそめてしまった。ローシェがリシャナににじり寄る。
「とにかく、脱いでください。着てみましょう? サイズはあっているはずです」
「何故サイズが分かったんだ」
少し侍女たちから距離を取りながらリシャナが尋ねると、エステルに「服を作る際に採寸しますでしょう?」と普通に言われた。そうか。確かに普通に採寸はする。だが、それとこれとは別だ。
「それはわかったが、何故今日着るんだ。昨日と同じで軍装でよくないか? 今なら多少派手でも妥協する」
「もうドレス用の準備をしてしまいました。陛下のご了承もいただいておりますし」
「素敵な装飾品もいただいてしまいましたわ」
ほら、と笑顔のエステルに見せられたのはエメラルドのイヤリングだった。これはヘルブラントだな、とさすがのリシャナも察する。道理で最近、耳飾りの話やらエメラルドがどうの、という話をされたわけだ。
「兄上も噛んでいるのか……」
この場合の兄はヘルブラントをさすが、リュークも一枚かんでいる。この時点でリシャナは知らなかったが。
「アルベルティナ様が贈ってきてくださった布地で仕立てたものですわ。王妃陛下がせっかく良い仕立屋を紹介してくださったのです。一度くらい着てみませんか」
にっこりとローシェに言われ、リシャナは押しに負けた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
リシャナが着るなら、Aラインのドレスかなぁ。




