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31.母親と妹












「おう、リシェはどうだ?」

「発熱しているようですが……エステルに追い出されてしまいました」


 肩をすくめてヘルブラントに応じると、なるほどな、と言われた。椅子に腰かけたヘルブラントの前には縛られた男がいる。先ほど、エリアンを襲ってリシャナに叩きのめされたやつだ。

 彼はヘイス・パウエルス。マレイネン侯爵の子息であるが、八年前に廃嫡されている。なぜなら、彼がリシャナの勘気に触れてしまったからだ。そう。彼はリシャナに求婚して殴られたと言う相手だった。彼がリシャナが可愛がっていた子猫を奪い、ロビンを傷つけ、子猫を殺したのだ。リーフェ城内で見え隠れしていた不審者の正体は彼のようだ。


「つまり、彼はリシェの気を引きたいがために周囲をひっかきまわしていた、ということですか」


 エリアンがまとめると、ヘルブラントが「そんな可愛いものならいいんだけどな」と苦笑した。

「リシェに婚約者ができたから、焦って嫉妬して一周回って憎しみに変わった、って感じか?」

「っていうか、子供の癇癪みたいな? 好きなものを取り上げられて、当たり散らしてるっていうか」

 なんとなくうがったことを言ったのはリュークだった。失礼な話だが、彼にそんな情緒があることに驚いた。

「それはあるかもな。リシェ本人じゃなくて、あいつが可愛がってるものを狙ってくるあたりが子供っぽい」

 ヘルブラントも弟の意見に賛同した。ついでに、自分より弱そうな相手を狙っている。


「……昔、ヘイスがリシェに求婚したと聞きましたが」


 正直、聞くのが怖いが尋ねた。さすがに八年も前のことなのに、こじらせすぎである。

「……うん、まあ、リシェは話さないだろうな」

「たぶん、顔も覚えてなかったよ、あれ。まあ気持ちはわかるけど」

「お前もリシェも、そこがなぁ」

 ヘルブラントは苦笑してリュークにツッコミを入れた後、エリアンに座るように手で示してから口を開いた。

「ヘイスの方から懇願されたんだよ。リシェに求婚させてくれってな。戦場であれを見たらしいが……そこはお前と同じだな」

「……あれと一緒にされたくはありませんね」

 リシェに振られたからと言って、あんな凶行には走らない。と、思う。たぶん。

「まあ、身分的にも問題なかったし、俺もリシェを手元に置いておきたかったから許可したんだが……結局、リシェがキレて殴って戻ってきた」

「なんだかとてもはしょられた気がするんですが」

 経過はどうした。そこが重要だと思うのだが。

「はしょったって言うか、俺たちは見てないからな。まあ、当時のリシェの証言と、さっき聞き取ったヘイスの証言を照合すると、ヘイスは自分と結婚すればリシェが戦う必要はない。身の危険のないところで幸せに暮らせるんだ、的なことを言ったようだな」

「ああ……」

 なんとなく、納得した。八年前なら、リシェは十七歳くらいか。なら、アールスデルスに赴任した時期とほぼ同じ。なら、ヤンの話も総合すると、彼女の性格はすでに出来上がっていたはずだ。だとすれば、ヘイスの求婚の言葉は、リシェの矜持をひどく傷つけただろう。


「リシェは温厚で寛容ですが、怒ると先に手が出ますね」

「今の話を聞いてその結論に至るお前がすごいぞ」


 ヘルブラントが笑って言った。リュークもうなずく。

「たいていは、リシェは短気だ、って話になるもんね」

「本人もそう思ってるみたいだけどな」

 リシャナは、たぶん、本人が思っているよりは短気ではない。確かに怒ると口より先に手が出るし、気は長い方ではない。戦場にいるとそういう面を多く目にするだけで、普段の彼女はおおらかな主だ。

 はっきりと聞いたわけではないが、リシャナは王太后と仲が悪い。反応を見る限り、虐げられて生きてきたのだと思う。それを変えるきっかけになったのが『ルナ・エリウ開城戦』だった。戦場に出ることだった。それを否定されれば、いかに温厚なリシャナでも怒るだろう。まあ、身分の高い女性らしくないのは確かだが。

「ま、お前なら大丈夫かな。リシェも受け入れているようだし。我が最愛の妹のことを頼むぞ」

「御意に」

 ヘルブラントにもお墨付きをもらったが、ふと、リシェは今も結婚するつもりは特にないのだ、ということを思い出した。














 天幕の奥で、人影が動いた。とっぷり日の暮れた真夜中。天幕の中の影はベッドサイドの鈴を鳴らした。女中が入ってくる。

「どうなさいましたか、閣下」

 この部屋の主、リシャナはめったにこの鈴を鳴らさない。軍人として訓練を受けた彼女は、身の回りの大概のことは自分でできた。

 水を、と言われて女中は水差しを見た。空になっている。追加の水を持ってきて、グラスに注いで差し出すと手首を掴まれた。


「私の主に、何を飲ませるつもりなのかしら?」


 そのまま女中は引き倒され、部屋の中が明るくなった。ランプを高く掲げたエリアンは、その女中とそれを引き倒した女を見た。エステルだ。二十歳ほどに見える女中を抑え込んでいた。

「お前、女医じゃなかったか?」

「いざというとき動けなければ、リシェ様のご迷惑になりますもの」

 ふふふ、と笑うエステル。彼女が自ら、リシャナの身代わりを買って出た。実際、エステルは女性にしては背が高い方で、リシャナとなんとなく面差しが似ている。受ける印象や体つきなどは違うが、暗闇の中で身代わりをする程度なら、入れ替わっても気づかれなかった。

「エステル、替わる」

「ありがとう」

 エリアンと一緒に部屋に踏み込んだヤンが、女中を引き取る。エステルは立ち上がると、水差しを見に行った。

「トリカブトの毒素を抽出したようですわね。一杯飲んだくらいでは死に至りませんが、麻痺が残る可能性がありますわ」

 簡単な検査をして、エステルはそう判じた。もし本来の部屋の主、リシャナがこれを飲んで体に麻痺が残れば、戦えなくなる。そうなれば、仕留めるのは難しくないと考えたのか。

「ルーベンス公、お任せしてよろしいでしょうか。私はリシェ様の様子を見に行きますわ」

「ああ。行ってくれ」

 ヤンが自分も行きたい、と言うような顔をしたが、お前はこっちだ。行ったところで、女性であるリシャナが寝ている部屋に入れてもらえるわけがない。エリアンだって入れてもらえないだろう。


 ヘイスとは別方向から侵入している刺客。リシャナが動けない今、絶対に狙ってくると思ったのだ。そのため、エリアンたちはヘルブラントの許可を得て、リシャナを別の部屋にうつし、エステルを影武者にして罠を仕掛けることにした。今日引っかからなければ、明日もやる予定だった。ちなみに、勝手に寝室から移動させられたリシャナは、まだ熱があって寝ている。

 女中を連れてエリアンは応接室として使っている部屋のドアを開けた。中からヘルブラントが「おう」と片手をあげる。

「無事捕まえたようだな」

「おかげさまで」

 エリアンは硬い声で答えた。夜中であるが、ヘルブラントの向かい側には王太后カタリーナがいる。ヤンがとらえている女中はカタリーナを見て「王太后様……!」と痛切な声音で訴えた。

 だが、カタリーナは応じない。お前は誰だ、と言わんばかりの眼でにらみ、顔をそらした。


「こんな時間に何の用か、教えてくれてもいいのではなくて」


 いつもカタリーナはヘルブラントやリュークに話しかけるときは猫なで声というか、甘い声を出すが、今回ばかりは硬かった。何の話題か察しているのだろう。

「先ほど、リシェが襲われました。まあ、実際に襲われたのは影武者ですが」

「あら、よかったわね」

 心にもないことを言うので棒読みだった。だが、話を合わせるところだと思ったのだろう。

「ええ。未然に防げました。その女中が犯人なのですが、母上が手引きしたのですよね」

「何故そう思うのかしら」

「ほかに、リシェを害する必要がある人物はいないからです」

 きっぱりとヘルブラントが言った。カタリーナはわずかに眉をひそめた。

「何故お前はそれほどあの女を構うの。あの女は災厄よ。ヴィルベルトもリシャルトもヘンドリックだってあの女に殺されたのだから」

「父上を暗殺したのはロドルフですし、リシャルトは病死でしょう。幼児の病死は、残念ですがよくあることだ。リッキーに至っては戦死です」


「あの女がいなければそうはならなかったわ!」


 ヘルブラントとエリアンは思わず顔を見合わせた。リシャナも、会話が成立しないのだ、と言っていたのを思い出す。

「……母上。正直なところ、俺はリシェをロドルフにくれてやってもいいと思ったことがあります。それで、ロドルフと停戦できるのなら、悪くはないと思った」

 エリアンも考えていたが、ヘルブラントはやはりそう考えていたようだ。リシャナ自身だってそう考えていただろう。

「だが、あの子は自分で自分の価値を証明した。今のリシェは俺の片腕です。もがれては困る」

「ロドルフにくれてやればよかったのよ! あの女が抵抗などしたから、戦いになり、ヘンドリックも……! あの女が死を呼んだのよ!」

 完全にカタリーナは興奮していた。実際、リシャナがロドルフに嫁いでいたら、どうなっていただろう。戦の強さに目が行きがちだが、彼女はわりあい、おとなしい性格だ。


「だが、現実はそうはならなかった。あの時、リシェが抵抗してくれたから、俺は今ここにいるのですよ、母上」


 ヘルブラントは一息にそう言うと、カタリーナが口を開く前に続けた。

「母上。あなたには夜が明けたらすぐにこの城を出て、離宮に戻っていただく。そんなにリシェが嫌いなら、離れていればよろしい」

 王としては甘い判断だが、賢明な判断ではある。邪魔だからと母親を殺すのは外聞が悪すぎる。

「エリアン、手配を頼む」

「かしこまりました」

 ついでに女中は牢に閉じ込めておくことになった。処分は、リシャナが回復してから彼女が決めればいい。ここは、彼女の城だ。

「……どうして母の気持ちをわかってくれないの。私はお前の母親なのよ」

「同時に、リシェの母でもある。正直に申し上げると、今は母上よりリシェの方が愛おしい。もちろん、母上に慈しんで育てていただいたことには感謝しておりますが」

 バッサリと切り捨てた。リシャナもこれくらい言えればいいと思うのだが、人の性格というのはそう変わらないものだ。ヘルブランドは腐っても王である。リシャナを可愛がるのだって、彼女に利用価値があるからだ。

 だが、それ以外の部分でも確かにヘルブラントはリシャナを可愛がっている。リュークに対しても同じだから、根本的に『兄』なんだな、と思う。エリアンの兄にもそういうところはあった。

「エリアンもいつもすまんな」

「いえ。リシェの身に降りかかる負担は少しでも少ない方がいいですからね」

 笑みすら浮かべてそう言うと、ヘルブラントに「お前、ぶれないな」と言われた。












ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


母上、ついに切り捨てられる。


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