27.協定
母はリーフェ城でやりたい放題だった。やれ、これが気に食わないから変えろ、使用人がなっていないから暇を出せ、衛兵が侍女を誘惑したから地下牢に入れろ、果ては部屋から見える庭が気に食わないから一時間以内に植え替えろ、などと言う。
「何なんですか!」
ぶちぎれてやってきたのはヤンだった。夕食の席、ヘルブラントとリュークを母の御機嫌取りのためにそちらに向かわせたので、その場はリシャナだけだった。申し訳ないが、アイリとニコールにも母に同席してもらっている。二人に対しても母はあたりがきつい。息子を奪っていった女だからだ。
「私の母だ。生物学上は」
「似てませんよ! まあ、お美しい方ではありますが!!」
確かに、カタリーナは美人である。リシャナとは系統が違うが。
「別に聞かなくていい。文句を言いたいだけだ、あれは。私のやることなすことにケチをつけたいだけだ。気にする必要はない」
「しますよ! 我が君のことですよ!?」
今目の前で訴えているヤンだけではなく、給仕の使用人たちも一様にうなずいたので、リシャナはちょっと眉をひそめた。慕われているな、と感慨にふけっている場合ではない。
「理屈を言って通じる相手ではない。何かあれば私を呼べ。矛先がこちらに向くから」
「余計できませんよ!」
「では、兄上を呼んで対処してもらえ。リューク兄上はともかく、ヘルブラント兄上はあしらうのがうまい……というか、ヤン、お前は恐らく母に気に入られるタイプだ。へりくだって機嫌を取ってみてくれ」
「無理です。私は、我が君の愛人を目指すことにしているので」
「私の愛人を目指すなら、私の苦手な相手の機嫌くらい取ってくれ」
「無理です」
「……」
ヤンが無理なら、エリアンでもたきつけようか、と思った。
「とにかく、リーフェ城の衛兵も使用人たちも、みな怒っています。みな、あなたを慕っているんです。あなたを悪く言われて黙ってなどいられません」
「……かといって、喧嘩はするな。相手はこの国で最も高貴な女性の一人だ」
「最も高貴な女性はリシェ様、あなたでしょう!」
いや、それも間違いではないが。
「本当にやめてくれ。さすがに私の胃に穴が開く」
それくらいのストレスは感じていると思う。いくら気にしていない、とリシャナ自身が思っていても、たまに胃が痛くなるのはそういうことだろう。
「それは……気をつけます」
一気に鎮火したヤンが神妙に言った。ぜひそうしてくれ。
「私としては、お前たちが傷つかずに働けるのなら、それで構わない」
「そのお心の広さと寛容さと優しさに身もだえする思いですが、それでは我らの溜飲が下がりません」
使用人たちがまたも一斉にうなずくが、別に下げなくてもよくないか。
「非常に不本意ではありますが、すでにこの件ではルーベンス公と協定を結んでおりますので、我が君には迷惑をおかけいたしません」
すでにデザートのジェラートに取り掛かっていたリシャナはここでむせた。ジェラートでむせるってどうなんだ。
「いつの間に? というか、何の協定だ……」
エリアンはほぼリシャナと一緒にいたと思うのだが、その協定はいったいいつ結んだんだ。おそらく、王太后に対抗するための停戦協定だと思うのだが、そこまでの大事だろうか。
「なので、我が君はどうぞ健やかにお過ごしください」
ヤンはきりっとした顔でそう言ったが、そういう時点でもう健やかに過ごせないと思うリシャナだった。
「申し訳ありません、リシェ様」
リシャナをゆすり起こしたのはフェールだった。昨日もこんなことが会ったな、とぼんやり思いながら身を起こす。
「王太后様が、その、廊下の甲冑が気に入らないとおっしゃって」
「ああ……動かしてやれ」
「一ダースあるんですが……」
「……それは無理だな」
さすがに十二体も動かすのは難しい。もともと城塞を改装したリーフェ城はそう言った武具に関するものが多い。そもそも国境だ。貴族女性が泊まりに来るようなところではない。いや、今、王太后だけではなく王妃とバイエルスベルヘン公夫人も宿泊中だが……。
問題の甲冑はリーフェ城の奥の方の廊下に並べられている。ほかにも剣の間などもあるが、こちらは宮殿にもあるのでさほど問題にならないようだ。リシャナはあまり気にしたことがなかったが、改めて見てみるとなかなか壮観ではあった。
「王太后様がおびえていらっしゃいます」
「……」
淡々と王太后の侍女に言われ、リシャナはいつも通り気難しそうに目を細めたまま一ダースの甲冑を眺めた。
「……とりあえず、隠すための幕でも降ろしておくか」
「わかりました」
移動させろ、と命じられなかったことに衛兵たちがほっとしたようにうなずいた。移動させるよりは、幕を天井から垂らす方が楽だ。二日連続真夜中にたたき起こされたリシャナは、さすがにあくびを噛み殺していたが、一応、最後まで作業は見守った。
「まあ、顔色がよくありませんわ。せっかくの麗しいお顔が台無し」
「リシェ様はどんな状態でも美しいですけど、さすがに心配です……」
エステルどころかフェールにもそう言われて鏡を覗き込むと、なるほど。顔が青いし目の下にクマがある。自分でもびっくりするほど体調が悪そうだ。
「見た目ほど調子が悪いわけではないんだが」
「精神的な負荷ですわね。自分のテリトリーに大勢の人間がいる上に、苦手としている方がいらっしゃったことで、ご自分が思っている以上にストレスがかかっているのですわ」
エステルに穏やかに、しかし冷静に言われ、リシャナは本気で胃に穴が開くかもしれない、と思った。ともあれ、とりあえず今日は狩りに出かけよう。実際に狩りをしなくても、その辺を周回するだけでもいいわけだし。
「顔色が悪いな。大丈夫か」
馬の準備をしていたリシャナにそう言ったのは、今度はエリアンだった。ちなみに、彼は留守番である。
リシャナはしばらくエリアンを見つめてから口を開いた。
「わかるか? 化粧をしているんだが」
むしろ、顔色がよかったことなどほとんどないリシャナなのだが。
「普段はしていないから逆に目立つぞ。より麗しいが、普段からも美人だと思っている」
後半はともかく、前半に関してはなるほど、と思った。化粧はフェールにしてもらったのだが、普段はしないので確かに目立つかもしれない。さんざん顔色が悪いと言われたので、少し血色がよく見えるようにしてもらったのだが。
「体調が悪いのなら、行くのはやめた方がいいんじゃないか」
おそらく、本気で心配してくれているのだろう。エリアンがそう言った。リシャナは首を左右に振る。
「いや、行く。別に本当に狩る必要はないからな」
「……せめて、人の側を離れるな」
低めた声でささやかれて、リシャナは思わずエリアンを見る。その顔に本当に心配そうな色を見つけて、リシャナは思わず口角を上げた。
「わかった。ありがとう」
「……ああ」
一瞬面食らったような表情になったエリアンは、そのまま顔をそらした。その耳が赤い。リシャナがそれに反応を返す前に、入口のあたりで騒動が起こっていることに気づいた。
「どうした」
呼び止められた衛兵が困惑気味に、「王太后様が」と言う。どうやら、カタリーナがまた何か文句をつけてきたようだ。ため息をつきながらそちらへ向かおうとすると、エリアンがその腕をつかんだ。
「行くな」
「この城で起こることは、私の責任の下にある」
「だとしても、わざわざ罵られに行く必要などない。罵られているあなたを見るのも気分がよくない」
「お前、ヤンのようなことを言うな。……いや、協定を結んだのだったか」
協定ってこういうことか、と思いながら納得する。リシャナに王太后を避けさせ、その間に対処しようと言うのだ。
「クラウス卿とは利害が一致したからな。まさに信奉者だな、あなたの」
「慕ってくれるのはありがたいんだが」
熱量がすごすぎて押されることもある。そう困ったように言うと、エリアンは「やはり優しい人だな」と笑った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
母上が、書きにくいのだ…。




