15.王太后カタリーナ
さて。調査により、ローデ・ユーの中毒症状が出ているものが洗い出され、リシャナはエステルをその治療に貸し出すことになった。リシャナは自ら何も言わなかったが、ふとヘルブラントに話を向けられたので報告しておいたのだ。尤も、ヘルブラントもヘルブラントで、これの入手先をちゃんと調べ上げていた。
「どこの国の船かは決まっていない。だが、それらの国々が必ず通る港がある」
「カイデ港」
「そうだ。ここで、荷が積み込まれているのだろうな。そこから通常の商品や物資と共に、王都まで流れてくると言わけだ」
ヘルブラントは調子のよいところはあるが、仕事のできる王である。エステルによると、ローデ・ユーは南方で取れる薬草なのだそうだ。尤も、動植物というのは南方に生息しやすいが。
南方にあるカイデ港を支配する領地はドリーセン伯爵のものだ。ヘルブラントとリューク、リシャナが連名でドリーセン伯爵にローデ・ユーを密売している犯人を差し出せ、という命令書を送ったところである。まあ、これは守られないだろう。本当は王命でいいのだが、リシャナも被害を被っているので連名とし、それではリュークだけ抜けているのが不自然なのでリュークも署名したのだ。王族全員で圧力をかけているような状態である。
「拒否されたか」
「そんな事実はない、と言ってきた」
「まあ、当然の反応か」
エリアンに状況を聞き、リシャナはうなずいた。まあ、そんなものだろう。エリアンと共にヘルブラントの元へ向かう。おそらく、出陣になるだろう。
「では、海軍を動かすことになりますね。海戦はあまり得意ではありませんが」
だが、できなくはない。リシャナの真価は陸戦にこそあるが、海での戦いもできなくはない。少なくとも、指揮はとれる。
気が乗らないながらも、軍権をほぼ掌握しているリシャナが言うと、ヘルブラントはにやりと笑った。
「いや、お前は留守番だ。俺が行く」
「は?」
リシャナが目を見開いて驚いた表情になると、ヘルブラントはのんびりと「お前の眼が完全に開いたのを久々に見た」などと言った。そこは問題ではない。
「確かに、すべての軍は兄上、陛下のものですが、軍権のほとんどは私が掌握しているはずです」
「そうだな」
それでも自分が行くのだ、とヘルブランドは主張した。
「お前ばかりに任せていては腑抜け扱いされるからな。俺はあの王位継承戦争を勝ち抜いて王座についた男だぞ」
「……」
「何か言ってくれ」
その通りと言えばその通りなのだが。もともと、父が死んだ時点でヘルブラントが王太子だったので、彼が即位してしかるべきだったはずだ。それに水を差したのはロドルフで、あの戦争がなければ、リシャナはもうこの場にはいないはずで……。考えが飛躍しすぎたので、戻す。
「確かに、陛下の怒りを買っているとなれば、鎮圧しやすいでしょうが……リューク兄上も連れて行くのでしょう」
目的地はリュークの領地に近い。彼の領地は港を持っている。交易で潤う貿易都市なのだ。そこに軍港もあり、そこから海軍を出すことになる。
「もちろんだ。だから、留守を頼む」
「……頼まれても構いませんが、母上が許さないでしょう」
そう。今王都に滞在している母が問題なのだ。訳の分からない難癖をつけてくる可能性は十分にある。母に関して言うと、ヘルブラントもさすがに顔をしかめた。
「……いや、大丈夫だ。王である俺が決めたんだからな」
だから留守は頼んだ! とヘルブラントは押し付けてくるので、よほど出陣したいのかと思ったら、違った。
三日後、軍備を整えたヘルブラントとリュークは出発した。早ければ二週間ほどで片が付くだろう。見送ったリシャナはエリアンに声をかけられた。
「押し付けられたな」
「ああ。てっきり自分が行くものだと思っていた」
「海戦は苦手なんじゃないのか」
「地上戦に比べればの話だ。できなくはない」
尤も、リシャナの領地に海はないので、ほとんど戦ったことはない。だが、リュークが行くよりはましなはずだ。ヘルブラントがいるので、問題はないと思うが。
「兄貴が心配なんだな」
エリアンはそう納得したらしかった。それも間違いではないので、否定しないでおく。とにかく、リシャナは宮廷内を平穏に保たねばならない。
宮廷内でも、北壁の女王の抑止力はそれなりにあった。王の妹というのも関係しているだろうが。おおむね平穏だった。少なくとも、行政関連については。
「領地争い」
言われたことをおうむ返しに返すと、話を持ってきた青年はうなずいた。
「はい。互いに自分の領地だと言い張っていて……」
「権利書は?」
「どちらも所持しておりますが、争いの元になっている土地については記載がありません。もともと、そのあたりを支配していた貴族が没落し、領地を手放したそうなのですが……」
「だとしたら、領地の管理移管記録が残っているはずだな」
探しに行かせる。ちゃんと記録が残っていればいいが、そうでない場合もある。記録を待っている間に、今度は女官が来た。
「あの、キルストラ公。王太后様がいらっしゃっているのですが……」
「……」
さすがに顔をしかめた。まあ、普段から気難しげな顔をしている、と言われるので、彼女はわからなかったかもしれないが。ここで追い返すのは難しいだろう。たぶん、ただ文句を言いに来ただけだろうから聞き流せばよい。
「わかった。入ってもらえ」
文句というか、暴言が飛んでくるのはわかり切っているので、女官には下がってもらう。リシャナだってできれば顔を見たくないが、仕方がない。
「ヘルブラントがいないからと言って、国王気取りですか」
執務室に入ってきて開口一番、母カタリーナはちくりと嫌味を言う。リシャナに対しては平常運転なので、特段気にしない。母の挨拶のようなものだ。
「兄上から王権代理執行の許可はもらっております。問題はありません」
「あなたは王ではありません」
会話が成立していないが、いつものことである。
「私が王の代理であることに異議があるのであれば、兄上におっしゃってください。尤も、今頃海の上ですが」
「お前の分際であの子たちを王都から追い出すなど、いつからそんなに偉くなったのです」
「自分が行くとおっしゃったのは兄上です。はき違えなきよう」
と言っても、この母には無駄なのだが。母は不愉快そうに眉を顰める。
「自らを正当化するための言い訳なんて、見苦しい。お前に王権を振り回す権利などない。身の程をわきまえなさい」
「では、宮廷に王権の執行者がいなくなってしまいますが」
「います。ヘルブラントです」
ダメだな、これは。話にならない。
「話がないのなら帰っていただけませんか。はっきり言って、邪魔です」
リシャナが怜悧な視線を向けると、母がカッと逆上するのが分かった。
「生意気を言うな! 貴様にこの国のことを決める権利などない! 私の可愛いリシャルトを殺したくせに……! お前など、私の子ではない!」
「ご安心ください。私もあなたを親だと思ったことはない」
ばしん、と母がリシャナの頬を張った。結構な勢いで、唇の端が切れた。さすがにこの物音で衛兵が入ってきた。
「キルストラ公!」
カタリーナは王の母ではあるが、宮廷内ではリシャナの方が人望があった。リシャナは駆け寄ってこようとする衛兵に手をあげて口を開く。
「母上がお帰りだそうだ。送って差し上げてくれ」
「は、はい」
「話は終わっていない! 出て行くのはお前の方だ、この人殺し!」
「同じ言葉を、兄上たちも言って差し上げたらいかがです」
何も人殺しはリシャナだけではないのだ。ヘルブラントも、リュークですら、王位継承戦争で戦っている。ヘルブラントは、今は平和であんな感じだが、戦争中は冷酷な戦士の長だった。というか、息子たちに呆れられる前に、母は自分の行いを省みるべきである。
衛兵が困惑したようにリシャナと王太后を見比べる。身分的にはキルストラ公爵たるリシャナの方を優先すべきだが、王太后は王の母であり、同時にキルストラ公リシャナの母でもあるのだ。
「構わん。連れて行ってくれ。執務に差し障る」
「何を偉そうに……! お前も、放しなさい! わたくしを誰だと……!」
衛兵に呼ばれた女官が母を連れて行く。さすがに、男である衛兵が連れて行くのはどうかと思ったようだ。リシャナとしては、どっちらでも構わないが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
お留守番リシャナ。




