おわり。
ガタガタ…《(。=ωノ[壁]
本当に、口を出すつもりはなかったんだ。
翔平さんは、申し訳なさそうに呟いた。
食堂を出て向かった先は、そんなに離れていない学内のはずれにある駐車場。
佳乃さんは、翔平さんの車に乗ってここまで来たらしい。
ドアを開けて促してくれるその手に従って、視界を塞がれたままの私は後部座席に座った。
佳乃さんは事情を説明しに、事務局へ行っている。
食堂の厨房の人達が私達の事を見ていて、事務局に連絡したらしい。
来たばかりで事情を知らない事務の人と食堂の入り口で出くわして、佳乃さんが事の次第の説明を請け負ってくれたのだ。
……大騒ぎになってしまった。
騒ぎにならないように冷静に……と我慢していたのはなんだったのか、ぼんやりした頭で考える。
最初に一言怒鳴って、さっさとその場から逃げてしまえばよかったのかな。
冷静に冷静にってそんなことばっかり考えて、あの場に留まった自分も悪いのかもしれない。
「……?」
深く座席に腰かけてぼんやりしていた私の横に、なぜか翔平さんが座った。
そちら側に傾ぐ体を、手をシートに着けることで留める。
閉められたドアの振動が収まると、外の音がまったく聞こえなくなった。
少し逡巡するような雰囲気を感じていると、薄ぼんやりと見える向こう側で翔平さんが頭を下げたのが分かった。
「来るなって言われていたのに、俺まで押しかけてゴメンな。本当に口出すつもりはなくて、出てきた祥子を捕まえて気晴らしにどこかに行こうって、そういうつもりだったんだ」
「……嘘」
思わず出た言葉に、翔平さんが微かに笑ったのが聞こえた。
「嘘じゃないよ、今日は本当にそうするつもりだった。まぁ日を改めて、彼にはご挨拶に行くつもりだったけれど」
何かはするつもりでいたのか。
翔平さんの言葉に、思わず口元が緩んだ。
「ホント、昔から過保護だよね。翔平さんも、佳乃さんも」
「大事な祥子の事だからね。とりあえず彼には数日家に籠ってもらうくらいの報復を……」
「しなくていいから」
遮るようにツッコミを入れると、残念、とそう思ってもいないだろう軽い口調が返ってきた。
「まぁ、特に俺達が何もしなくても、きっとしばらくは学校に来れないよ」
あれだけの修羅場を皆の前で見せたのだ。
我に返れば、恥ずかしくて学校どころじゃない。
それでも単位の事を考えれば、そうそう長く休んでいることはできないだろうけれど。
「まぁ、今日が金曜だったのがまだ幸いかな。週末の二日間があるし」
その間に噂が広まって余計辛いかもしれないけど、そう言う翔平さんは楽しそうだ。
けれどすぐに声のトーンを落として、ため息をついた。
「あいつらのせいで、祥子もしばらく好奇の視線を向けられると思う。来週は、来るのを控えてもいいと思うよ」
「……いい。ちゃんと行く」
翔平さんの言葉に、私は即答した。
少し驚いたように息をのんだ翔平さんが、大丈夫なのか……? と、心配そうな声を上げる。
その言葉に頷きながら、私はさっきからずっと考えていたことを目を閉じて思い浮かべた。
「浮気されたのも裏切られたのも、全部向こうのせいだとずっと思ってた。でも、私にも悪いところがあったんだよね。気になるなら、待っていないでちゃんと話をすればよかった。最初から文句を言えばよかった」
冷めた振りで藪坂の行動を見ていたつもりで、本当は別れを言われるのがとても怖かった。
三年間一緒にいた藪坂に、裏切られているのを信じたくなかった。
そうやって、私が逃げた結果でもあるんだから。
「私ね? あの人たちの話を聞きながら、なんて周りの事が見えない人達だってそう心の中で思ってた。でも考えたら、私だって充分周りを見ていないお花畑の住人だったんだよ」
「祥子……」
労わるような声に、目頭が熱くなる。
それでも涙一つ零せない自分が嫌になる。
「だから、今度はちゃんと周りを見る。自分を分かってもらうんじゃなくて、分かってもらえるように努力する。もうこんなことは、たくさん」
「祥子、」
「ねぇ、なんでさっきあんなこと言ったの? 私、泣いてなかったよね?」
何か言いだそうとしている翔平さんの言葉を言わせないようにつづければ、薄暗かった視界に光がさした。
「……?」
明るい方に視線を向ければ、今日初めて見る翔平さんの顔。
どうやら被っているのは翔平さんのジャケットらしく、それを少し持ち上げて私を見ている。
「涙を流すだけが、泣く事じゃないよ」
その言葉も視線もとても優しくて、私は思わず俯いた。
「祥子は、悲しいってずっと泣いてるじゃないか」
どくり、鼓動が大きく響いた。
自分を分かってくれる人がいてくれることが、どれだけ幸せなことかを実感して両手を握りしめる。
そんな私の手をぽんぽんと軽く宥めるように叩いてから、それにね……と翔平さんは口を開いた。
「誰しもお花畑の住人だと思う。俺だってそう。ただ、それに他人を巻き込むか巻き込まないかだけの話。あの人たちは、自分達の事だけを考えて祥子や周囲を巻き込んだ。反対に、祥子はもっと人を巻き込んでいいと思うよ」
「巻き込む……?」
「そう。特に俺、祥子にもっと巻き込まれたいなぁ」
「なにそれ」
思わず笑いが漏れた。
「祥子はいつも可愛いけれど、笑ってくれたら俺は嬉しい。それにさ……今回の事は祥子には辛い事だったけど、まぁ……俺にとっては好都……っ」
「何やってんのよ、エロ親父!」
翔平さんの言葉を遮るかのごとく、ドアが開いた音とともに佳乃さんの怒鳴り声と鉄拳が彼の頭に飛んだ。
そのまま運転席の背もたれに頭をぶつけて、翔平さんがうめき声をあげる。
翔平さん引きずられるように私が被っていたジャケットが下に落ち、視界が一気にひらけた。
「いってぇな、佳乃! お前力あまりすぎ!」
「あんたが馬鹿なことしてるからでしょ? 私が事務局行ってる間に何してんのよ! エロなの? 馬鹿なの? どっちもなの?」
そこにはドアを開けて怒る佳乃さんと、頭を押さえて言い返す翔平さんの姿。
いつもの光景に、思わず目を細めた。
「あら……」
私を見た佳乃さんが、少し目を見開いてすぐに笑みを零す。
「そんな表情をしているなら、翔平でも少しは役に立てたのね」
「お前、俺をなんだと……」
「運転手以外に何が。早く前に行きなさいよ、そこは私の場所」
そう言うが早いか、翔平さんの首根っこを持って外に引きずり出そうとする。
翔平さんはぶつくさ文句を言いながら外に出て、運転席へと移動した。
「さー、ではではお嬢様達。どこに行きますかね?」
「まずはご飯でしょご飯。私まだお昼食べてないんだから」
「ダイエットしろってことだろ」
ガンッ!
運転席、そのうち壊れるんじゃないかな。
主に佳乃さんの足蹴りで。
「祥子、いっぱい食べよ? どうせあんたもまだ食べてないんでしょ?」
満面の笑みで私の頭を撫でる佳乃さんに、頷き返す。
「うん」
「じゃー、シートベルトをお願いしますー。出発しますよー」
翔平さんが変な案内をしながらエンジンキーを回し、車が振動を始める。
なんでもない、いつもの日常。
必要以上に慰めるわけでもなく、気遣いすぎて暗くなるわけでもなく。
さも当たり前のように、日常へと引き戻してくれる大切な幼馴染。
だから今、私はこうやって考えることができる。
藪坂と香に裏切られたこと、綾が私達を嫌っていたこと。
凄く悲しい事実だったけれど、きっとそれは私にも非があるんだと思う。
私は”私”を、見せてこなかったから。
そういう努力を、してこなかったから。
だから、これからは頑張ろう。
だって私を知っていてくれる大切な幼馴染は、今、こうやってそばにいてくれるんだもの。
顔を上げれば、楽しそうに言い合っている幼馴染の姿。
私は二人を交互に見て、それから――
「二人とも、ありがとう」
私のお花畑にいてくれて、本当にありがとう。
二人が嬉しそうに笑ってくれて、私は涙を一粒、零した。
これにて本編終了となります。
お付き合いいただき、ありがとうございました。




