26.ヒロインは事なかれ主義②(クリスティーナ視点)
素直で明るくみんなに愛される可愛い子。
それが虚像だと、私が誰より知っている。
「初めまして、クリスティーナと申します」
姉だと紹介されたその人に私はとびっきりの笑顔を向ける。
それ以外の手札を私は持ち合わせていなかった。
心臓が飛び出しそうなくらいドキドキしていた私の耳に、
「会いたかったわ、クリスティーナ」
鈴が鳴るような心地よい凛とした声が届く。
私と同い年の姉、リゼット・クランベリー。
私とは違う、本物の公爵令嬢。
母親が違うというだけで、こうも違うものだろうか、と思うくらいお姉様は綺麗な人だった。
燃えるような紅い髪と切れ長の目が印象的な美人で、薔薇のような華やかさと存在感があるのに、どこかあどけなさも感じる。
「ふふっ、緊張しているのかしら?」
クスッと微笑んだその表情を見て、先程までとは違う意味でドキドキする。
情けないくらい言葉が出てこず、コクコクと頷くしかできない私に、
「わたくし、あなたが来るのをとっても楽しみにしていたの。クリスティーナ」
嘘みたいに私が欲しい言葉をかけてくれるお姉様。
「クリス、と呼んでもいいかしら?」
「は、はい! ……お姉様」
おずおずとそう呼んだ私に、
「お姉様。いい響きね。これからよろしくね、クリス」
差し出されたお姉様の手は優しく、温かいものだった。
突如公爵家に転がり込んできた"異母妹"。
そんな私はお姉様に何をされても文句は言えない立場だったはずなのに。
何故かお姉様は驚くほど私に優しかった。
「クリス、困っていることはないかしら?」
そう言って気にかけてくれ、
「編入試験が不安で……」
と相談すれば家庭教師をすぐつけてくれたし、
「クリス、少しお茶にしない?」
貴族のマナーに疎く、社交経験のない私のためにお茶会を開いてお姉様自ら教えてくださった。
「さすがクリス。姉として誇らしいわ」
綺麗な所作のお姉様に褒められるのは誇らしかったし、
「こんな可愛い妹ができてわたくしとても嬉しいわ」
お姉様に可愛い可愛いと可愛がられるのは素直に嬉しかった。
お姉様はまさに"理想的な姉"だった。
今まではずっと相手の欲しい反応を返すばかりだったけど、誰かから欲しい反応が返ってくるのはこんなにも心地よいものなのだと知らなかった。
これだけ良くしてくれるのには何か意図があるのかもしれない、とは思ったけれど。
「クリス。あなたはわたくしの自慢の妹よ」
お姉様がそう言って笑うから。
いつもみたいに、私は深く考えるのをやめた。
お姉様が望む限り"素直で可愛い従順な妹"でいよう。
鈍感なフリをつづければ、私は素直で明るくみんなに愛される可愛い子でいられる。
お父様がいて、お母様がいて、当たり前に愛される私がいる。
そこにお姉様も加わって、みんなで笑い合って食卓を囲む。
そんなありふれた幸せが手に入る。
それがたとえただの"ごっこ遊び"だとしても。
私は優しい嘘に浸っていたかった。
そんな私に"現実"を突きつけたのは、お姉様の婚約者であるシリル様だった。
『随分、おめでたい頭をしているな。お前は』
身が凍りそうな冷たい視線。
アレは、間違いなく敵意だった。
『一度も考えた事はないのか。お前の元に父親がいる間、リズがどんな風に過ごしていたのか』
そんなの、考えたら地獄じゃない。
私にお父様を動かす力なんてないし、過去は変えられないのだから。
『リズにお前は必要ない。無論、俺にもだ』
そうかしら?
少なくともお姉様は"私"を必要としているわ。
「そうでしょう、お姉様?」
そうでなければ、何故わざわざ自分の婚約者に異母妹を近づける?
「お姉様は、私にお母様みたいな役をお求めなのかしら?」
私は壁にかけられた肖像画を見上げる。
そこにはお姉様そっくりな綺麗な女性が描かれていた。
公爵家に連れて来られてから、私はクランベリー公爵家について調べた。
心を病むほどお父様に執着した公爵夫人、お姉様のお母様についても。
「愚かなお父様。こんなに綺麗な人に想われて逃げるなんて」
それほどまで無条件に愛してもらえるなんて、羨ましい。
必死に尻尾を振らなければ、愛してもらえない私とは大違い。
『クリス。あなたは"特別"なの』
地位も美貌も資産もあって、その上婚約者は王太子様。ヒトの羨むもの全てを持っているお姉様。
だけど、そんなお姉様は、何も持っていない私の事を"特別"だという。
もし、私が本当に"特別"だというのなら。
「いい子に、するから」
お姉様がお望みなら、王太子様との関係だって壊してみせる。
『わたくし、本当はずっとあなたが妬ましかった。だからもう"いい姉キャンペーン"は終了するわ』
「今更私を"いらない子"にしないで」
素直で明るくみんなに愛される可愛い子。
それが、私。クリスティーナ・クランベリー。
長い長い時間、仮初の幸せの中にいた私は、もうそれ以外の生き方が分からないのだ。
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