第八十九話『予兆』
【───視点】
ぼんやりとした薄明かりの灯る、広い部屋の中。
趣向の凝らされた長い長いレッドカーペットの先、荘厳な王座に座った男が口を開く。
「ロイ、随分と焦燥しているようだな?」
一見してその男以外、部屋に誰かがいる様子は無い。
しかし、男は誰かが居ることを確信しているような、当然とした態度で虚空に向かい語りかける。
その様子は傍から見ればおかしな光景であったのだが……
「───やっぱり見つかっちゃうか……
しばらく隠れてようと思ってたんだけどなぁ?」
そんなおかしな光景を肯定するかのように、突如として空間が裂けていく。
そしてその中から、白髪赤目で気味の悪い笑顔の少年……魔王幹部『ロイ』が軽く嗤いながら出てくるのだった。
「私がお前程度の気配を察知出来ないとでも思っていたのか?」
男は現れたロイを見つめ、つまらなさそうに呟く。
「それは思ってないけど……でも僕だって任務頑張って来たってのに、その言い方は無いんじゃないかな?」
「はっ……その任務を失敗し、ノコノコと逃げ帰った奴が何を言っているのか」
気味の悪い笑みを浮かべ食い下がるロイに対し、男は嘲るように悪態を吐いて睨みつける。
その黒の瞳からはギラギラとした刃のような威圧感が伝わって来るのがわかった。
ロイはそんな視線を受け、慌てて言い訳を続ける。
「いや、あれは失敗するって!
だって異世界人が二人だよ?それに、一人は……」
「言い訳など聞きたくはない。
そのような話を続けるならば、お前の首を切り落としてやるぞ?」
「……チッ。わかったよ!」
必死に弁明しようとしたロイは、王座の男に指を向けられ大きく笑みを崩す。
しかし、ロイは自らの笑みが消えている事に気がつくと、イライラしたように舌打ちをして地面を蹴った。
それはロイにとって心の底から湧いてくる恐怖を紛らわすための行為であり、目の前にいる男が自らの首を本当に切り落とすとわかっているからこその苛立ちであった。
カゲロウ程度の攻撃を受けても死ぬなんてことは有り得ない。
むしろ前にやってみせたように、首を切られてしまったとしても難無く生き延びる自信がロイにはある。
しかし、目の前にいるこの男……
───【大罪魔王】"クロノス=フォヴス"に首を切られてしまっては、ロイとしてもたまったものではないのだ。
「今度は失敗しないように動くからさ、魔王様もそんなに殺気を向けないでくれよ?」
様々な魔族が棲う"魔国ヴァールバニア"にて、最凶の名を持つ【大罪魔王】。
彼は前魔王の【轟雷魔王】に代わり、ここ数年で"魔国ヴァールバニア"に即位したにもかかわらず、実力至上主義な魔族たちを一瞬にして纏めあげた逸材であり……
───龍人達の暮らす近隣の大国【龍皇国】の南部を"一人"で陥落させたという凄まじい実力を持つ魔族だ。
「ふん……まぁ良い。
お前はまだ使えるからな、殺すのは後にしてやろう」
「……それは有難いことで」
そんな彼に目をつけられている以上、今までより慎重に動かなければならない。逆らっては死、あるのみだ。
という訳で、こうやって機嫌を損ねないように謙っているというのがロイの現状なのである。
「さて、ロイよ。
お遊びも済んだ所で本題に入るのだが、お前は暫く龍皇国の攻略にあたってもらう事にした」
「……この前与えられた任務では、魔導都市の方に行くって話じゃなかったっけ?」
あの威圧感でお遊びなどと宣う目の前の存在に、軽く苛立ちを覚えながらもロイはそう問いかける。
たしか最初の話では、フェンリルの子を再起不能にしたあとは人類派への牽制のために魔導都市を陥落させるという手筈だったはず……そんなことを考えての、質問である。
「あぁ、そうだ。
しかし……お前よりも適任が見つかったのでな」
「適任……?」
───こと魔法に関して自分よりも適任の者など、魔族たちの中にいるはずが無い。
危うくそう言いかけて、ロイはぐっと口を閉ざした。
魔王はそんなロイを見て、ゆっくりと頷き……
「鳥人族の献上品を見てみたら、久方ぶりに"固有"持ちが見つかったのだよ。
───我が"大罪"のひとつにも適応したので、其奴をぶつける事にした」
そう言って、愉しそうに口元を歪ませた。
「うわぁ、まだそれやってたんだ……魔王様悪趣味だねぇ」
「上の者が兵を揃えるのは当然の事だろう?」
「まぁそうだけどさぁ……」
少し引いたように苦笑しているロイを気にもとめず、魔王はその美麗な顔に残忍な笑みを浮かばせる。
"出兵"で得た鳥人族が何処まで暴れてくれるのかを想像し、それが愉しくてしょうがないのだろう。
「はてさて、魔導国の老害どもがどう対処するか……見ものだな」
上品に、しかし悪辣な気配の籠った言葉を紡いで。
目に映るのは、はるか遠くの魔導都市。
暴虐に塗れたその姿を夢想して、笑みをたたえ……
「あぁ……楽しみだ」
誰に言うでもなく、そう呟いたのだった。
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【ながみ視点】
「おぇぇぇぇえ……」
シーアシラ港町を出港してから約五日目。
私は今日も今日とて、魔導船の上から見える魚影に餌をやる毎日を過ごしていた。
「はぁ〜、ほんとに船酔いに慣れないなお嬢。
ここまで慣れねぇ奴は初めて見たぜ?」
「うえっぷ……私だって好きで戻してるわけじゃないんだ……」
今日食べた雷魚のムニエルも、とっても美味しくて好きな味だったんだ……バターの風味が身に染みていて、とても素晴らしいものだったんだ……!
……なのに私と来たら!
速攻で母なる海へお返ししてしまうなんてっ……!
「うーむ。
試合して動き回ったら慣れるんじゃねぇかなって思ってたんだが、どうやらあてが外れたみたいだなー」
「?!……なん、だと……?」
自らの不甲斐なさにガタリと片膝をついている私を見て、アンリさんが魔導船の縁に手を掛けながら軽く呟いた言葉。
その言葉に、私は大きく驚き困惑した。
───動き回ったら、慣れるんじゃねぇかな……!?
……アンリさんが、まさか私に気を使って試合をしていただと!?
…………あのアンリさんが!?
「なんだぁ?
その驚愕と困惑をごちゃ混ぜにしたみたいな変な顔やめろよ?」
「いやだって、アンリさんが気を使うなんて……!」
「アタイ船長だぞ?客員の心配ぐらいするぞ?」
「マジか……!」
ここに来てしっかりと正論を言われてしまった……もう疑う余地もないというのか!
ところ構わず試合を挑んでくるから、てっきりただの脳筋だと思っていたのだが……まさか私のことを考えてやってくれていたとは……!
方法が方法だし、少々やり方は荒っぽいようだが、
前回の権能スキルの件含めて考えると、もしかしたら実はちゃんとした人なのかもしれない……?
「アンリさん、お見逸れしました……これから認識を改めて───」
「まぁでも半分は体動かしたかったからだけどな!」
「あ〜……じゃあ半分だけ改めるか」
「お嬢の認識は凄い微妙な調節が効くんだな?」
「半分だから、とりあえず敬語無しの方向で」
「おー、とってもわかりやすいな!」
……とまぁこんな風に、私が船酔いでぐったりしながらも楽しく船旅を満喫している時だった。
───それは、突如として起こったのだ。
「船長、会話中すみませんがちょっとお話が……」
「ん……何だ?言ってみろ」
「それが……」
アンリさんが険しい顔をした船員に何かを耳打ちされる。
そして、それを聞いたアンリさんは途端に顔を顰めて歩き出した。
「アンリさん、何かあったんですか?」
「あぁ……前方の海に、何やら不穏な影をな」
「不穏な影?」
……言葉の意味がわからず首を傾げる。
不穏な影というと、海の魔物とかそんな奴だろうか?
「とりあえず、お嬢は部屋に戻っていてくれ。
多分そのうち船中に連絡が行くと思う」
「それは良いですけど……大丈夫なんですか?」
「……何とかするさ。それが船長の仕事だからな」
アンリさんはそれだけ言うと、そばに控えていた船員を引き連れて船内へ帰っていく。
その雰囲気はどこかぴりぴりとしていて、少し怖かった。
「……とりあえず戻るか」
───そんなことを呟いて、辺りを見渡す。
どうやら、甲板に居た他の乗客達も船員に促され部屋に戻るようだ。
船員達の雰囲気を感じ取ったのか、困惑しながらもしっかりと指示に従っている様子が見て取れた。
私もその流れに着いていくようにして、自らの部屋へと向かう。ちょっとだけ船酔いが続いているが……まぁ大丈夫だろう。
部屋にも処理袋はあるしな……!
「さて……何も起きないといいけどな」
そんなことを考えながら、私は心に積もる若干の不安とともに部屋へ戻って行くのだった。
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