第八十三話『慈愛』
【ながみ視点】
───固まっていた体が動き出し、部屋の地面にばたりと倒れ込む。
必死に動かそうとしていた体は、思いっきり床に打ち付けられて全身に衝撃が走った。
「ぐっ……!ルフッ!ルフッ!」
しかし、そんなことを気にする前に、私はルフの元へと駆け寄る。
ベットの上に引かれている私が召喚したふとんを、抱きしめるように寝ている彼女。
「ルフ……」
───そして、その胸には、深々と突き刺さった銀ナイフ。
ルフから流れる血で赤く染まっていくふとんを呆然と眺めながら、私は彼女の肩を揺らした。
「何寝てるんだ、起きろよ……?」
胸に刺さっているナイフを確認し、泣きながらゆっくりと引き抜き止血を始める。
───まだ、まだきっと大丈夫……
だって、ルフは強いんだ。
私よりもずっと速いし、それに待ってるって言ってくれた。
だから……
だから、早く、傷を塞いで……
それで……!
「ぐっ、このドア固くて開かなッ……あれ?開いた……?」
そんな私の後ろから、ギィと扉の開く音が聞こえる。
そういえば、みんなには何も言わずに駆け出してしまった。それで心配して探しに来てくれたのか……
「ながみ様……大丈夫ですか?」
この声は……ルーチェさんか。
さっきドアが固いと言っていたということは、おそらくこの部屋のドアが開かなかったんだろう。
私があんなに叫んだのに、ルーチェさんの困惑した様子とその他のみんなが来ていないところを見るに、外に声が漏れないようあの白髪が何かしてたのかもしれない。
───ロイ、どこまでも狡猾な奴だ……
しかし、だとすると、ルーチェさんはこのドアを開けようと頑張ってくれていたんだろう……私のために、私を心配して。
……しかし、今は一人に───
いや……?
そうだ、ルーチェさんなら……?
「ながみ様、どうして泣いて……」
「───ルーチェさんッ!
頼む、お願いだ……ルフを、ルフを助けてやってくれ……!」
「ルフちゃん……?ルフちゃんがどうか……!?」
私は縋るようにルーチェさんの手を引き、ルフの元へ連れていく。
ルーチェさんは必死な私の様相に困惑していたが、ふとんで横になっているルフを見てその顔を顰めさせた。
「これは……」
「は、白髪が……ルフの胸に、ナイフを突き立てて、それで……!」
「ながみ様、落ち着いてください!」
「でもッ!でも、心臓にナイフがっ……!」
「いえ……見た所、致命傷となりうる胸の傷は、なぜかは分かりませんが塞がっていますから、すぐに死ぬことはありません!
だから、落ち着いて!」
「───え……?」
……胸の傷が、塞がってる?
私はそれを聞いて、慌ててルフの胸の刺し傷を確認する。
さっきナイフを抜いたばかりなのに、塞がってるはずがない。
「───あれ……?ほんとに、塞がってる……?」
しかし、その胸に刺し傷の跡はあれど、傷口や血は無く……
呼吸によりしっかりと隆起するルフの胸を確認することができた。
「る、ルフが、生きてる……!」
私はその事実に安心して、ぽろぽろと大粒の涙を流しながらルフの体を抱きしめる。
───その体は、ほのかに暖かく……
「ルフ……!ルフ……!良かった、死んでなくて……!」
私はルーチェさんに見守られながら、ルフを抱き抱える。
しかし……抱き変えられても、ルフは反応せずにぐたりと四肢を投げ出していて。
「ルフ……起きろ……?起きて、また遊ぼう……?」
私はそんなルフに、声をかけたり、揺らしたり……
必死になって起こそうと、ルフを起こそうと手を尽くす。
「なぁ……ルフ、起きてくれよ?」
───ルフの顔に、水滴が落ちる。
どこからやってきたかは分からないが、それは、酷く悲しげで……
「ルフ……また、話そう……?」
私は、そんなルフの頭を、ゆっくりと……
───いつもするみたいに、ゆっくりと、優しく撫でた。
「なんで……起きないんだ……ルフ……?」
そして、ずっとずっと……
ふとんに寝ているルフの隣で、声をかけ続けた。
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【ルーチェ視点】
「……」
───なぜ、こんなことになっているのでしょうか。
ながみ様とルフちゃんの部屋の外で、思わず拳を握りしめます。拳はぎりぎりと傷んで血が滲みますが、これほどの痛みなどどうということはありません。
「あの方々に比べたら、こんな痛みなど……」
───酷い光景が、頭に浮かびます。
それは、先程まで笑いあっていた、仲間たちの……
「みんな……泣いていました」
なぜ、なぜあの人たちが、こんな目に合わなければならないのでしょう。
ギルド一階では、ルミネ・ヨハネス職員が。
そして、ここではルフちゃんが……
「わたくしには、何方も耐えられません」
だって、何方も、悲しそうで……
どちらも、とてもやるせない気持ちで溢れていて……
「本当に、この街の代表として情けない。」
───わたくしには、何方も、救えない。
わたくしはゼーウィント家として、街を救うための、民を救うための使命があるというのに……
わたくしの力では、何方も、救えない。
「本当に救いたい時に救うことの出来ない『慈愛』なんて……なんの意味が有るのでしょうか」
わたくしは地面にゆっくりと座り込みます。
このスキルを使って幾度となく傷を癒し、救えるものは救ってきたはずなのに……
「あぁ、神よ……」
───わたくしに加護を与えてくださった、唯一なる神よ。
居るのならば、見ているのならば、答えてください。
聞こえているのならば、答えてください。
「なぜ貴方は、こんな試練をお与えになったのですか……?」
───なぜ、あんなにも優しい人たちが、苦しまなければならないのですか?
なぜ……なぜ……?
「あぁ……何故、救っては下さらないのですか……?」
……その質問に答える声は、何時まで経っても聞こえることはありませんでした。
「答えてはくれないのですね。
───ならば……」
わたくしはゆっくりと息を吐いて、思考を回し始めます。
「答えてはくれないのならば、わたくしが……私が、救うまでです」
そう……ながみ様が、絶望の縁にいた私を救ってくれたように。
───困っている私に、手を差し伸べてくれたように……!
「私も、みんなのために……!」
そんなことを呟いて、私は自らの屋敷へと駆け出して行くのでした。
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