第七十四話『防衛作戦︰十三時半〜 / ③』
【───視点】
シーアシラ港町冒険者ギルド『灯火の剣』の一階にて、職務に追われた職員達が慌ただしく動き回る。
働いている人数が五・六人程度と少人数だというのも原因の一部かもしれないが、しかしその忙しさは明らかに異常であり……
「おい、レン!こっち手伝ってくれ!」
「分かった、これが終わったらすぐ向かう!」
各々がそれぞれ別の仕事をこなし、その仕事の始末が終わったらすぐさま次の仕事へ。
山積みになった荒い紙の書類を危機迫った表情で確認していくその姿は、さながら修羅の如き様相を呈していた。
「シナさん本部報告書類あと頼みました!
私は戦後処理の方手伝ってくる!」
「了解です!」
「あ、キュルトくんそれギルドマスターの方にお願い!」
「は、はい!わかりました!」
そんな中、濃い桃色の髪を後頭部でお団子にした女性、ルミネ・ヨハネスが職員全員に指示を出していく。
その指示は素晴らしく的確なものであり、しっかりと周囲を観察しなければ出来ないようなものであった。
しかも、それを他の職員達と同じ量の仕事をこなしながら行っているのだ。それだけでも彼女が優秀なギルド職員であることがわかるだろう。
「ルミネさん、これは何処に持っていけばいいですか?!」
「それは第三級機密書類の棚にお願いします!」
「ルミネ!こっち援護頼む!」
「あ、はい!すぐ行きます!」
「すみませんルミネさん!第一本部報告書の件についてなのですが……」
「えぇっと、それは……!」
しかし、そんな優秀な彼女ですらも戸惑う様なとてつもない忙しさ。
当然普段であればもう少し落ち着いているのだが、如何せん現在は戦中である。
リザードマンの郡れが襲来してきたことで増えてしまった書類整理、戦後処理の準備、兵站任務……その他の様々な雑務仕事が激増し、それを職員達で早急に処理しているのだ。
そうとなっては、この忙しさになってしまうのも仕方の無いことであった。
リザードマンと冒険者達の戦が巨門前で行われているように、このシーアシラ港町『灯火の剣』冒険者ギルド内でも戦が行われている。
そう思わせるほど並外れた激務を、職員達はこなしているのだった。
「報告書の記入部分はこれでいいから、あとは……ッ!?」
そんな地獄のような状況をみせているギルドなのだが、悲しきかな事態はより悪い方向へと向かっていく。
「なんだよあれ……空間が、歪んでる……?」
─── 一人のギルド職員が、呆然とした声で呟いた。
その目線の先には、ぐにゃりと曲がっているとしか形容できないギルドの空間があった。
そして……
「やぁやぁ、こんにちは……
僕は魔王幹部のロイって言うんだ。よろしくねぇ……?」
その空間の裂け目を破るようにして、白髪の少年……ロイが現れたのだった。
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【ルミネ・ヨハネス視点】
「魔王幹部……なぜそんな存在が此処に……!」
ギルド一階の中央部に突如として現れたおかしな空間の歪み。
そんな摩訶不思議なモノの中から当然のように現れた、どす黒い赤い瞳をもつ少年に向かって私は思わずそう問いかけます。
「簡単な話さ……この街が、とても目障りなんだよね!
だからこうやって、囮を使って突入してきたわけなんだー!」
少年……ロイは私の質問に対して無邪気な笑みを顔に浮かべながらそう答えました。
とても目障りだから、囮を使って……囮とはなんの話でしょうか……?
ちっとも分かりません。
分かりませんが、そんなことよりも先ずは皆の安全が優先です。
私はゆっくりと警戒する様子を見せながら受付カウンターの外へ歩き出し、後ろ手で職員の皆に合図を送りました。
「囮というのが何かは分かりかねますが、きっとろくなものではないでしょうね。
出来れば是非何もせずにおかえり頂けると幸いです」
「うーん、それは無理かなぁ?」
───こういう時の為に作られている、ギルド職員マニュアルの『緊急退避』合図。
ここに居る職員たちは皆熟練の方ばかりなので、きっと分かってくれる筈です……!
私はそんなことを思い、時間を稼ぐためになるべく長く話をしながら自らの拳を構えます。
私の力が彼に及ぶとは到底思えませんが、きっと、ないよりかはましでしょうッ!
「……では、お帰り頂くまでですッ!」
その言葉を合図に、私は構えていた拳を容赦なく少年へと振るいます。
ながみさん以来戦いはしていませんが、ながみさんの時のように力を抑える必要もありません!
───全力で殴れば、きっと四肢のひとつぐらい吹っ飛ばせるでしょう!
「はァッ!」
私はそんなことを考えて、思いっきり拳を振り抜きました。
「ちっ……!」
しかし、私の拳は軽々と避けられ虚しく空を切り、その衝撃で少年の後ろにあったテーブルを粉々にしてしまいました。
あぁ、ギルドの備品が壊れてしまった!また仕事が増えます……!
私は自らが犯してしまったその光景を見て鬱屈とした気持ちが湧き上がり、思わず舌打ちをしてしまいます。
「へぇ〜、おねぇさん力強いねぇ?」
くっ……それもこれもあの白髪のせい……!
……だから、備品の修理費用はギルドの方で落ちるはずです!
私はそんな風に自分を落ち着かせながら、もう一度拳を構えて戦闘態勢に入ります。
「力が強いですか……それはどうもッ……!」
私はそう言いながら不意打ち気味に走り出すと、ギルドに併設されている食事を摂るためのテーブルの上でにやにやと嗤っている少年に、拳、回し蹴り、掌底の連撃を加えるため跳躍します。
「シッ……!」
拳の一撃目……奥にあったテーブルの仕切りが吹き飛びます。
「はぁあッ!」
回し蹴りの二撃目……テーブル上にあった調味料の瓶などが散り散りになります。
「らぁッ!」
───そして、三撃目の掌底……
「ハハッ、おねえさんどこ狙ってるのぉ?
そんなんじゃ一生当たらないよ?」
足のバネを最大限に使って撃ち放ったそれは、いつの間にか背後にいた少年に当たることはなく、放った際の衝撃によって周囲にあった椅子やテーブルをガタリと揺らしました。
「まさか、ここまでの差とは……」
流石に一撃は与えられると思っていたので。この結果は正直予想外でした。
なんたって私、ギルド職員になる前は一応Bランク冒険者やってましたからね。
長いこと職員をやっていて腕がなまっているとはいえ、ここまでとは……
「なんかもう飽きちゃったなぁー」
少年はそう言って、首を左右に傾け凝りをほぐしながら周囲を見渡しました。
おそらく他の遊び相手でも探しているのでしょうが、今はみんな出払っています。
ここにいるのは、私とマスターと……ルフちゃん。
そして、あの人だけです。
「それならば、お帰りになられてはどうですか?」
「やだよ。目的果たしてないし」
「そうですか。それは残念です」
───どうやら、覚悟を決めなければならないようですね。
これはあまりやりたくなかったのですが……仕方ないです。
私はゆっくりと目を瞑り、深く息を吐いて……全ての五感を閉じていきます。
そして意識するのは、臍下の下服部にある"丹田"。
冒険者を辞めて、永らく封印してきた……"鬼族の力"。
それを解放する時が来たのですね。
「……おねえさん、ほんとに面白いねぇ?」
私は丹田に封印していた"鬼族の力"を全身に行き渡らせると、その頭部から生えた片角を軽く撫でて拳を構えます。
……久しぶりに、冒険者時代の癖が出ましたね。
こちらも永いこと抑えてきたのですが……大変お恥ずかしい限りです。
これはもう、かつての仲間たちには顔見せが出来ません。
私はそんなことを考えて、ゆっくりと息を吐きながら目を開きます。
「……次、全力で行きます」
そして、目の前にいる少年にそう宣言すると、私はギルドの床をバキバキと鳴らしながら踏みしめました。
皆様、どうかこの力を使うことをお許し下さい。
きっと、暴走なんてさせません。絶対に、犠牲なんて出させません。
……これだけは本当に言わせてください。
私は……
「私は唯、皆を護りたい……それだけですッ!」
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