第二十九話『戸惑い』
「まず、今回わたくしが護衛の依頼をお願いする事になった経緯はご存知ですか?」
私たち全員の顔を見渡しながら、とりあえずといった様子で話を始めるルーチェさん。
依頼書にはある程度の概要が書いてあるとルミネさんが言っていたため、おそらく確認のために聞いてるのだろう。
「拙者が承った依頼書によると、たしか何者かに付け狙われているとの事だったかと……」
「そうですわね。だいたいそれで合っていますわ」
シンが懐から取り出した依頼書を確認しながら、ルーチェさんにそう答える。
ルーチェさんはそれを聞き軽く頷くと今までの彼女とは違い至って真面目な表情を顔に浮かべて、より詳細な事情を話し始めた。
「今回の事件の発端は、今から三日ほど前の夜の事でした……」
目を閉じ、記憶の中を探るように言葉を紡いでいくルーチェさん。
「その時、わたくしは趣味である月を見ながらの散歩を行った帰りで、海辺で夜の潮風を浴びながら家に向かっていたのです」
「ルーちゃんロマンチストだね〜」
ルーチェさんの話を聞き、おそらく思ったことをそのまま口にしたのだろう。
ヌルはそう言って感心するように深く頷いた。
そのヌルの言葉で、ルーチェさんが作った真面目な雰囲気が一瞬にして瓦解する。
ヌルはきっと空気を読むなんて言葉、知らないんだろうなぁ……でも、私も堅苦しい空気はあまり好きじゃないし、ありがたいといえばありがたいかもな。
「こら、ヌル!話に割り込んでは駄目だぞ!
話の腰を折ってしまいすみませんルーチェ殿……」
「ふふっ……いいんですよ。では、続きから話させていただきますね」
ルーチェさんはヌルの言葉を受けて、面白そうに微笑み謝罪するシンに手を振った。
そして、こほんと息を吐くと、仕切り直すように話し始める。
「港からわたくしのお屋敷へと戻る最中に住宅街を通るのですが、その日は大通りに面した道とは違う路地の方へ入っていったのです」
「路地の方へ?」
私はなぜ其方に入っていったのかが気になり、その疑問を口にする。ルーチェさんはそれを見て、その疑問に答えるように説明を始めた。
「えぇ。この町には敵対的な軍隊などが、もし街中へ進軍してしまった時のために大通りとは違う入り組んだ路地が幾つもございますの」
「ですので、その路地は様々な場所へつながっているわけなのですが、帰りが遅くなってしまった時などは近道をする為にそこを使ったりするのです」
「そして、その路地の出口で襲われたのですが……」
この街に関する豆知識的な情報まで交えて、私たちに説明してくれていたルーチェさんだったが、話を進めていくうちに何かを迷うような仕草を見せ始めた。
「……どうかしたんですか?」
私はルーチェさんの迷うような反応が気になり、その真意について問いかける。
いつも微笑みを絶やさない彼女が、思わず顔に出してしまうということは、おそらく相当難しい問題に違いない。
まだ彼女と会ってから数十分程度しか経っていないが、それくらいはわかるようになってきた。
「いえ、話すかどうか迷っていた事があるのです……」
「問題があるなら話してくれた方が、我としてはやり易い。
ルーチェ・ゼーヴィント様、気に触らないのなら、ぜひ話して欲しい」
私が何か言う前に救世主君がルーチェさんにそう声をかけた。
どうやらアーレ君は、明らかな目上の人にはしっかりとした態度を示すようだ。聡い子である。
「えぇ……そうですね。
これから護衛としてわたくしに着いて頂きますし、話しておいた方がいいでしょう」
ルーチェさんはアーレ君の言葉を受け、固い表情を浮かべながら話し出す。
その様子を見るに、どうやら相当話しずらい案件らしい……
「さっきも話しました通り、路地の出口辺りで襲われたのですが……」
「その者共は私の背後から奇襲を仕掛ける形で襲いかかってきまして。それを撃退したわけなのです」
者共と言っている辺り、一人ではなく複数半なのだろうな。
……それならば、ルーチェさんさらっと撃退しましたって言っていたが相当な難易度になること請け合いである。
ということは、ルーチェさん複数人相手にして勝てるぐらいには強い……?
私の頭の中でルーチェさんへの疑問が湧き上がる中、話は進んでいく。
「そして、ここからなんですが……実は、襲ってきた者共を撃退した時に慌てていたのか、ある物を落として行ったのです」
「ある物?」
思わず口をついた私の言葉にルーチェさんはこくりと頷き、ポケットから何かを取り出す。
「それは……これですわ」
ルーチェさんが広げた手のひらには判子のような形をした、片手で包めるほどの大きさの先端に太陽を象ったような紋様が描かれた何か。
「なっ……これはッ!?」
アーレ君が驚いた声を上げる。
有り得ないものを目にしたという感情が、ひしひしと感じられるような驚きの表情。
目の前で起こったことが、信じられないといった感じである。
それに加えて、心なしかヌルの表情も一瞬曇った気がする。
私には分からないが、そんなに有名なものなのだろうか?
「これは、神陽教の聖印。神に仕える信徒が持つ、れっきとした宝具ですわ」
未だわかっていない様子のシンと私に聞かせるように、それを手のひらでくるりと回し説明するルーチェさん。
その顔は、奥歯にものが詰まったような、不思議な表情をしている。
「そうか、宗教関連の話だから遠慮していたのですね!」
シンが理解したというように手を叩く。
しかし、そのシンの言葉を聞いてもルーチェさんの表情が晴れることは無い。
むしろ、より暗くどんよりとした雲が覆うような気さえした。
「そうですわね、それもありますわ。ですが……」
ルーチェさんはそれ続くものを躊躇するように、話していた言葉を濁す。
私は何か嫌な予感がしてならなかった。
その声色で語られる先の話に、希望なんてものはないと理解してしまったからだ。
「この印を落としたということは、わたくしを襲ってきたのはおそらく神陽教の信徒……」
「まぁ、その印?を落としたならそうですよね?」
「そうですね、わたくしを襲ったのは神陽教の信徒で間違いないでしょう」
ルーチェさんは頭に?を浮かべているシンのその言葉に、はい……と何度も頷くように、自分に言い聞かせるようにそう呟く。
何かを必死に受け入れようとするような、自分を押し殺しているような……
ルーチェさんには申し訳ないが、私にはその姿がとても痛々しくてならなかった。
しかし、心苦しくなって声をかけようにも話の真意が掴めず、いまいちどう声をかければいいか分からない。
他のみんなも、悲しげな微笑みを浮かべる彼女になんと声をかけようかと思案している様子である。
だがそんな中で、唯一アーレ君が手を震わせながら口を開いた。
「ですが……ルーチェ・ゼーヴィント様……あなたの宗派は……」
「……」
アーレ君の顔を見つめながら、何も言わないルーチェさん。
その顔はとても悲しそうな、なにか大切なものを否定されてしまった子供のような表情に見えた。
「あなたは……ッ……!」
アーレ君は戸惑ったような顔で口を開こうとするが、ぱくぱくと声にならない声を上げた。
その声色の中には、戸惑いの他にどことなく怒ったようなものも混じっていた気がする。
気を落ち着かせるようにアーレ君が深呼吸をする。
静かな部屋の中で、すぅと息を吸う小さな音がやけに大きく耳に残った。
そして、今度こそ、その言葉を口にする。
「あなたは……あなたの宗派は、神陽教でしょう……?」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




