08
ジクシオは豊かな国である。
十六年前まで「凶王」の治世に蝕まれ、多くの民が彼の王の手によって屠られたが、その反面、彼は豊かさをもジクシオにもたらしてた。
凶王ルードは絶大な力を持つ「黒色の魔道師」であり、優れた魔法研究家でもあった。彼が考案した技術は、農業、工業、インフラ、生活雑貨にまで及び、ありとあらゆるものをより便利に、より効率良くしたといっても過言ではない。
例えば瑞樹が見たトイレも凶王に考案された物である。ジクシオには魔法によって管理された上下水道の浄化、循環の仕組みがあり、それが国内全域で整備されている。凶王はその治世で飛躍的に技術を発達させた「賢王」でもあった。
しかし今は、その豊かさこそが、周辺諸国とジクシオの関係を悪化させている。
凶王が牙を剥いたのは、国内だけでは無い。寧ろ周辺諸国に対しての方が苛烈であったと言える。イライザは瑞樹に、現在ジクシオが接している国は三つだと説明したが、かつてはそれも四つであった。ジクシオの西端にかつて存在していた国は、今や焦土と成り果てている。凶王に滅ぼされたのである。
凶王は決して、土地や物資を目的として他国を攻めたわけでは無かった。それはただ壊す事を目的とした侵略であり、実際に彼に攻められた土地のほとんどは、凶王の魔法によって実りを破壊されている。未だ回復に至っていない土地も多い。
そうやって周辺諸国が受けた傷に対して、ジクシオは結局のところ凶王の遺産によって潤っているのである。
故に、妬まれ、憎まれる。
今、ジクシオの現王アスロが最も避けたいのは、ジクシオと周辺諸国との戦争が始まる事である。
正直なところ、いざ戦になれば勝てる、と王は踏んでいる。
ジクシオは技術大国であるだけに、魔法の技術も魔道師たちの実力も周辺諸国と比べて群を抜いて秀でている。魔法だけでなく、武術や知識の面でも優れた人間が多かった。そもそも国民全体に対しての教育水準が高いのである。周辺諸国には無い兵器の存在などもある。戦で勝利することは容易い事ではないにせよ、充分に見込みがある事であった。
しかし、それでは意味が無い。
戦に勝利したところで、そこに残るのは更なる恨みと妬みでしかない。その先にあるのは更なる戦であろう。最後には周囲全てを敵に回して戦い続けるより他無くなってしまう。そうなればいくら豊かな強国であろうと、いずれは限界が来る。
そのため、今ジクシオが必要としているのは、戦を防ぐための力だった。
「ルウィンを直接使う事はできん」
王の言葉に、イライザが目を細める。
イライザの提案を受けてルウィンに瑞樹という「首輪」を付ける事を王は決定したが、まだその術は実現していなかった。
今あるルウィンの術を利用する以上、イライザの解析が終わらないうちに着手するのは危険すぎるのである。しかしながらルウィンの協力もあって解析はおおよそ完了しつつあり、術の構成を本格検討すべき時期になっていた。
その段になって、王がこの国の基幹に関わる人物たちを招集したのである。
議題は、イライザの提案とルウィン、そして客人をどうすべきか。
イライザと他数人の護衛。高位魔道師たち。レイスを始めとする聖官。それぞれ数名ずつに大臣たち。ルウィンの存在を知る人間の殆どが一つところに集まった状態と言える。今現在この部屋に居る人間と、あとは聖殿の深部に務める他数名の聖官のみがルウィンを知る人間である。
彼らのほとんどは召喚の儀が行われた事は知っていても、その結果がどうなったのかを今に至るまで知らされていなかった。成功したが来たのが色ばかりの無力な子供であると聞き、多くが動揺するが、イライザの提案を聞くにすぐに頭を切り替えた。
皆、凶王の時代を生き抜き、現王を支える者たちなのである。
彼らに向かって、王は言葉を続ける。
「あれは『凶王』に似すぎている。あれを表に出すわけにはいかない。凶王の息子を生かし隠していたことが知られれば、僅かな信頼を失いかねん。」
王の言葉に乗るように、大臣の一人が口を開いた。
「左様。力があれば良いと言う物でもありませんな。単純な戦力であれば、何も『黒色』などいなくとも我が国は充分強い。
……あの凶王の息子を生かしておくのは如何なものかと思いますな。客人毎殺してしまえばよい。力が有り過ぎる一人の人間が危険であるのは凶王で十分すぎる程学んではありませんか。いかに聖殿に封じているとはいえ、それが万全とは限らない。封じを払われてしまえばまた第二の凶王が現れるだけでしょう」
発言した大臣はもとよりルウィンを生かし続ける事に反対している人間の一人である。このような意見が出るのは初めての事ではない。
それにイライザが反論する。
「力があってもそれを示せなければ意味がないのよぉ? 優秀な人材、なんて戦をせずに見せつけるのは困難よぅ。人材交流すらも殆どさせて貰えないからねぇ。その点、黒色は分かりやすいじゃなぁい?」
「ルウィンを出せば他国の反感を買うだけだ」
「顔立ちなら魔術で誤魔化せるわぁ」
「幻影による誤魔化しは見破られ無いとも限らん」
「じゃあ、本当に顔を変えちゃえばぁ? あるでしょぉ? 物理的な方法がねぇ」
所謂、整形手術である。ジクシオは魔術とそれ以外の技術の両面で医療もまた発達している。一般に使われる程に確立した技術では無いにせよ、それが行える医師もまたジクシオには存在していた。
しかし、イライザの言葉には王が反対した。
「……それは駄目だ。いずれ、ルウィンのあの顔……凶王に似ているという事が役に立つ事もあるかもしれん。あれはその血を含めて、我が国の汚点であり切り札なのだ」
「その来るかも分からない『いつか』のためにあれを生かし続けるのは如何なものですかな。凶王の息子という存在は我々にとっても充分不快なものです。
……それとも王よ。妹君の子を殺すのがお嫌ですか?」
その瞬間、それを口にした大臣は王の冷たい目に貫かれた。
「……私は例え自分の子であろうと、必要とあれば殺す事を躊躇いはしない」
静かでありながら、反論を許さない威圧感のある声である。それに大臣は頭を下げた。
「……過ぎた事を口にしました」
「よい」
王は簡潔に許しを与えるが、イライザは微かな笑いをもらす。
「ディオン様は懲りないわねぇ」
大臣の一人、ディオンはイライザを睨みつける。が、イライザは愉しげな笑みを返すだけだ。このような席で良く発生するやりとりであるために、他の誰もそれに注意などはしない。
列席者の一人、大柄な男が肩を竦めて言った。漆黒の髪に灰色の目を持つ男はこの国の魔道師の中でもトップクラスの実力者だ。
「テンプレートはいいからよお、話を先に進めようぜ。ルウィンは使えない。ってことは結局、現状維持ってことだろ? 客人を首輪にするっつってもよ」
イライザが茶化すように口にする。
「振り出しに戻るってやつねぇ。そしたらこの先どうするのかしらぁ? ねえ我が君? ルウィンの顔はそうまで守る程に価値がありますの?」
「そもそもここで尚力を求めるのが間違っている。真っ当な外交で切り抜けるべきではないか?」
「そんな意見を言う位なら、具体的な外交案を持ってくるがいい。理想を掲げるのは結構だがそれで何もなせなければ意味が無い」
「試みてはいる! この前も技術提供のための人材をセカラに派遣したではないか!」
「そして『事故』で死んだな。言っておくが死んだのは俺の弟子だと分かっているか? これ以上俺は無計画な外交に弟子を差し出すつもりはない」
「そもそもこのような事をされて黙認しているから、周辺諸国に舐められるのでは? いっそこちらから攻めてもいいくらいでしょう」
「簡単に言うな。セカラを攻めればリガルやロカトも敵に回るぞ」
「少人数ではなく、ある程度の人数で送れば今度こそ『事故』などとは……」
「それで安全だなんてどうして言える? どうしても送りたいなら向こうからも人質をもぎ取ってこい。そうじゃなきゃ俺はもう絶対に弟子は使わせん。」
「だがこちらに人を呼ぼうにも……」
「信頼が無い。結局そこに落ち着くのよねぇ」
ジクシオは実質、敵意に囲まれていると言っても過言ではない。
周辺諸国も凶王の恐怖が未だ色濃く残っている。凶王が居ないジクシオの戦力を測りかね、様子を見ている色合いが濃い。しかし、ジクシオを心底憎んでいる者たちが各国に少なからず居て、特に魔道師への風当たりが強い。それによって、ジクシオが何度か国外へ送った人間の少なくない数がその命を散らしていた。
周辺諸国との関係は悪化するばかりだ。
政略結婚などに利用できるような王族が居ないのも不利に働いている。現王アスロの親族は息子が一人のみ。その息子もまだ十歳でしかない。到底他国に、それも明らかな敵意を持っている他国には預けられない。
今にも戦になりかねない状況の中で、それを抑える『何か』が欲しい。召喚の儀はそうして行われたのだった。
しん、と静まり返った中で、王が口を開いた。
「ルウィンは直接使えない、と言った。しかし、使わないとは言っていない」
室内の全員が、王に視線を向ける。その視線に答えるように、王は頷いた。
「あれの姿は敵意を呼ぶ。ならば別の姿を使えばよい。幻影などよりもよほど確実な手段だ。別の体を使わせればよい」
ここで初めて、レイスが口を開いた。
「王よ……それは、ミズキ……客人の事を言っているのですか?」
「そうだ。弱々しい子供……だが見事な黒色だ。あの子供を我らの祈りに答えた『黒色の魔道師』として表に出せばよい」
「しかし、あの子には……」
「確かにあの子供には魔力も知識も無い。だからルウィンにあの体を使わせればよい。」
「ミズキの魂を消すおつもりですか?」
「そこまではせん。ルウィンはあの子供を気に入っているのだろう? それをやったら幾ら命を握ろうと大人しく従いはしないだろう。
だから体を共有する形で必要とあらばルウィンの意思であの体を動かせるようにする。勿論ルウィンの魔力が使えなければ意味がない。魔力を客人の体に流し込み、ルウィンの意思で操れるようにする。ただし、客人の命はルウィンとつながったままの状態でこちらで握れるように。
ザクセン、そういう術は作れるな?」
黒髪に灰色の目の魔道師がそれに答えた。
「……。基盤に坊主が作った感覚共有と損害伝播の術があるんだろ? だったらできる。が、いくつか問題があるぞ」
「言ってみろ」
「まず、魔力を流し込むっつっても客人の体がそれを受け止められる器かどうかだな。いくら坊主の魔力っつったって器の方に入れられなきゃ無駄になるだけだ。
それと、例え客人の体が魔力の器として充分だったとしても、坊主と物理的に接触してない状態で純粋な魔力を流そうとしても効率が悪い。坊主から出力した魔力が客人に吸収されるまでに、八割は空気中に拡散しちまうと思っておいた方がいい。
あとは、最初にイライザが提案してたのより、段違いに術の規模がでかくなる。坊主に気付かれずに構成するのは無理だ。どの道それをやるにゃ、坊主の協力が必要だろう。寧ろそっちの方が難しいんじゃねえか?」
「なるほど……イライザ、最初の点……客人の器としての素質についてはどうだ?」
「……見たところ、器としては優秀そうだったわねぇ……異様に魔力耐性が低い……それだけ吸収しやすいってことですものねぇ。どこまでいけるかは試してみないと分からないわぁ。あとは……他人の魔力が流し込まれる感覚に慣れて貰わないとねぇ」
王が頷く。
「二点目については必要なときは客人とルウィンを一緒に行動させるしか無いな。黒色としての注意を客人の方に引かせていれば、ルウィンが幻影で姿を誤魔化していたとしても気付かれる確率はずっと下がる。いざとなったら二割でも充分だ。あれの魔力はそれだけ強い。
そして三点目だが」
王の視線がレイスに向いた。
「お前はどう考える?」
聖殿に居るルウィンと、最も長い時間を接しているのはレイスなのである。
本来、王と対等な立場であるはずのレイスは王に頭を下げた。
「ルウィンは……引き受けるでしょう」
「なぜそう思う」
「……引き受ければ、聖殿の外に出る事が可能になるからです」
閉じ込められて生きる事に対してなんでもない顔をしながら、あの少年が外を渇望している事を、レイスは知っていた。
「分かった。ではお前がルウィンを説得しろ」
「……承りました」
王が室内の面々を見回す。
「異論は無いな?」
室内の人間の幾人かには、納得していない様な表情も見受けられる。
しかし、誰もそれを口にはしなかった。
「では、これで決定とする。ザクセン。術の構成を練れ。イライザは客人の容量を確かめろ。いいな?」
「了解」
「我が君の仰せのままに」
それを最後に三々五々と部屋を出て行く面々を眺めながらレイスは苦い思いを噛みしめる。
(誰も……問題にしなかった。ミズキの意思がどうなのかを)
それはレイス自身も含めて、誰一人として口にしなかった事だった。
自らの命を持って他者の命の枷となり、国交の矢面に立つ。あの弱い子供に、それが辛くない筈がない。
けれどこの世界に寄る辺のないあの子供に、それを断るという選択肢など存在しないのだ。
(何を今更……元々利用するために呼び出したのではないか)
レイスは緩く頭を振って罪悪感を振り払うと、瑞樹とルウィンの居る聖殿へ帰るために歩みを進めた。
ストックが尽きたので、この先不定期更新となります。




