07
王は執務室にて、イライザからの報告書に目を通していた。
術の解析は意外にも、ルウィンの態度が協力的である事で順調に進んでいるらしい。しかし、ルウィンが協力的であるからこそ、裏付けと精緻な調査が必要になる。ルウィンに騙される可能性があるからだ。イライザは解析の専門家では無い。時間がかかるだろう。
イライザからの報告書には、術の構成図も付いていた。本来構成図は紙に書き起こせるものでは無いので、イライザが解析して紙に写せるレベルまで紐解いた物ではあるのだが。それを王は専門の解析家の元に届けさせた。封じられているとは言え、「凶王」の息子であり「黒色の魔道師」である人間の術である。慎重を期すに越したことはない。
(客人をこちらに呼んで解析することも考えねばなるまいな……)
解析に特化した人間が王の手元にも居るが、ほとんどが自らの身を守るのに心もとない。ルウィンが居るが故に、そういう人間を簡単には送り出せないのだ。例外と言えるのがイライザの妹イザベラだが、これはルウィンとの仲が悪すぎて使えない。それ以外の人間をイライザに守らせる事もできるが、そうするくらいならイライザにある程度の目途が立つまで解析させた方が効率的だ。専門外であってもイライザは充分過ぎる程優秀な魔道師なのである。
それに、曲りなりにもルウィンに協力をさせられる人間はそうそう居ない。何より、ルウィンと関わる仕事に忌避感を感じる魔道師がほとんどだ。経験が多く優れた魔道師程、その傾向が強い。凶王を良く知るからだろう。
あれでもイライザはルウィンとは上手く関係を築けている方だ。数少ない例外なのである。
そうやって解析をどう進めるかに頭を巡らしながら、しかし王の興味はもう一つの報告に引きつけられた。
(ルウィンが、あの客人を気に入ったか)
イライザは私見として、瑞樹を生かす前提で今後の事を考えた方がよいと述べていた。
『魔の原理に基づいて、客人に埋め込まれた術を第三者が解くのは困難を極めます。術は客人とルウィン、両者の身体と魂の深部に根を張っており、ルウィンに気付かれずに解除することは不可能です。更にルウィンは解除しようとすれば自死すると仄めかしています。どこまで本気かは定かではありませんが、試みるにはあまりに危険な賭けだと考えます。』
それを読むに、王の眉は顰められる。
(下らない反抗で自分の命を使うか……)
ルウィンが客人の少女を気に入ったと言うのが事実であれ、自らの命を少女に結んだ動機の大半は、単なる挑発としか思えない。
――あんたらはどうせ俺を殺せないんだろ?
そうせせら笑う少年の顔が思い浮かぶようだ。それが気に食わない。
それは王として、というよりはアウロという一人の人間としての感情だった。
(子供じみた事をする)
その子供に振り回されるという事実が腹立たしい。
しかし、そんな個人的な感情を脇に置き、王はイライザからの報告書を読み進めた。それでも不快感が残っていた顔に、やがて別の色が浮かび始める。
『ルウィンと客人の間には既にルウィンの手によって強固な魔道のラインが引かれており、それがある為に客人からルウィンの影響を排除することは不可能です。しかしそれは裏を返せば、ルウィンもまた客人を解しての魔法的な働きかけに殆ど抵抗できない、という事でもあります。ルウィンの術を解除する事は困難ですが、ルウィンの術を利用して新たな術を構成することは可能です。』
新たな術、としてイライザは提案する。
ルウィンの術を、ルウィンにも解除できないように固定してはどうか、と。
『幸いにして、ルウィンはまだ客人に結界等の保護を設けておりません。未だに客人は無防備なままです。それが意図的な事か、本当に失念しているのかは不明ですが、この機を逃すべきではない、と私は考えます。』
今のうちに客人の命を掌握するための術を掛け、それと同時にルウィンと客人の命の繋がりを固定する。
『そうすれば客人は、臆病な大臣たちも納得せざるを得ない立派な「首輪」となるでしょう。
どうかこの案、御一考をお願い致します。』
イライザの報告書は、そう結ばれていた。
(イライザは元々、召喚などという不確かな技に頼るくらいならルウィンを使え、と言っていたな)
ふざけた言動で人を意味も無く挑発するのを好みながらも、こうした現実的で冷徹な計算を巡らすのがイライザという人間である。
イライザはルウィンを嫌ってはいない。寧ろ、ルウィンを好ましく思っている。瑞樹に対しても悪感情は抱いていない。その境遇を哀れみ、僅かながらも好意を抱いている。
それでもその命に枷を付け、利用する事を躊躇わない。
だからこそイライザは、王の護衛であり側近なのだった。
王はその報告書を読み終え、しばらく考え込んでからゆるりと笑みを浮かべた。王としてのサインと共にイライザへの返信をしたためた。
その案を採用する。解析と同時並行で、客人にかけるべき術の構成を練れ、と。
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瑞樹は自分の胸から浮き上がる赤い光の文様が、解け、分離しまた組み合わさり……と動いて行く様を眺めていた。近くに座るルウィンの胸からも同様に赤い文様が浮き出ていて、それが瑞樹と赤い線(それも何らかの文字でできているようだった)で繋がっている。
「これって……書き換えてるんですか?」
赤い文様を操作するイライザに質問してみれば、
「違うわよぉ」
と答えが返ってきた。そう答える間にも、また一筋のスペルがほどけてイライザの前に移動する。それをイライザは紙に写した。赤い光が紙の上に移動するとそれが焼きつくように黒い文字になる。そんな光景を、瑞樹は興味深く眺めた。
(この文字は、読めないんだ)
この世界の文字が読めるようになった瑞樹だが、魔法の文字は読めないらしい。やはり特殊なんだろう。
イライザが説明する。
「これはねぇ、ルウィンの術をぉ投影してぇ……解析してるのよぉ」
数学の証明問題を紙に書き写して解いてるような物だろうか、と瑞樹は解釈する。
「ルウィぃン? ねぇもぅ、これどぉいぅ意味よぅ」
イライザは自分の前でぐるぐると無駄に動かした一片のスペルをルウィンの方に投げかけて問う。
「は? これどこから切ったんだよ。覚えてねぇよ」
「ちょっとぉ……構成したの昨日でしょぉ? 左辺第三系列二十五階層の第七項……」
「……多分区切り方間違えてんぞ? 第七項にこんな事書いてない」
「嘘ぉ……あぁんもう、どこまで巻き戻せばいいのよぉ……」
「今度から切る前に俺に聞けば?」
「そぉするわぁ……もぉいっそ区切って貰いたいわよぅ……」
「俺が直接投影弄っていいならな」
「それはダメよぉ。改竄されたら困るものぉ」
「あっそ」
「だから確認よろしくねぇ?」
「いいけど……そのしゃべり方ホント気持ち悪いからやめろよな」
「だからやってるのよぅ」
「協力して欲しいんじゃないのかよ」
「私にぃ、早く帰って欲しいからぁ協力してくれるのよねぇ?」
「……嫌な奴」
「んふぅ。それ、褒め言葉よぉ?」
こうやって解析の事を話しながらもちょこちょこ口喧嘩めいたやり取りが混ざる二人の会話を、瑞樹は面白く聞いていた。
イライザがそうやって解析している間、瑞樹はあまり動く事ができない。微動だにするな、と言われているわけではないが、あまり大きく動くと今映している術が乱れるらしい。瑞樹の気分としては、美容室で髪を切っている時に近い。
だから実質、二人の会話を聞くくらいしかすることが無いのである。
(インテリっぽいようなそうじゃないような……)
口調は瑞樹の抱くインテリのイメージから程遠い。しかし、内容のほとんどはちゃんと真面目に解析の話をしているようである。
解析についての話のほとんどは瑞樹には理解できない。しかし、所々「魔力波を神経を流れる電気信号に共振させる」とか「脳からマナに書き込まれる情報を読み込んで一時領域に溜め込み定期的に送信」とか、分かるようで分からないような言葉が混じる。
そういった断片から、瑞樹は、
(この二人、頭がいいんだろうな……)
と思うのである。
座った状態から動けない瑞樹に対して、初日に会った世話役の女性が時々飲み物を持って来てくる。レイスはどうもレイスでやる事があるらしいが、小まめに顔を出してくれていた。どうも瑞樹を心配しているらしい。
「変な事をされませんでしたか?」
とレイスが瑞樹に聞くと、イライザはケラケラと笑い、ルウィンは嫌そうな顔をした。
定期的な休憩時間にイライザはこの世界の事を少しずつ教えてくれた。主には国の事ではあったが。
例えば、この国、ジクシオは北の山脈に沿って細長く伸びた形をしているのだとか。山脈に面していない南側が三つの国と接しているのだとか。
この国では十八歳で成人とみなされるが、国によってはそれが異なるときもあるのだとか。
この国の聖殿と王の役割についてだとか。
国の最高権力者は王であるが、聖殿はいざ王が道を踏み外した時にそれを止める役割を果たすのだそうだ。
「最も、今の聖殿ではできないでしょぉけどねぇ」
ねっとりと言われた言葉にその時その場に居たレイスが眉を顰める。イライザもレイスが居るがためにその話題を出したのだろう。つくづく人をいたぶるのが好きな人である。
「レイスさんは……聖官? なんですよね」
「そぉよぉ。レイスはこの聖殿の聖官で、ついでに言えば一番偉いのよぉ」
「それは……凄いですね」
「身分はねぇ」
イライザの嫌味はともかくとして、瑞樹には少しばかり不思議である。その聖官、という言葉が聞きなれない。瑞樹にはこの世界に呼ばれた時に、ここの言語に困らないようにと通訳機能が付いているらしいから、その具合の問題かとも思うのだが。
「神官、じゃないんですか?」
その質問に、イライザがニィ、と笑う。
「他国ではそぉいうでしょうねぇ」
「じゃあ、この国特有の言葉なんですか?」
「そぉよぉ。この国は神を頂かない国だからねぇ」
それを聞いた瑞樹はそういうものか、と納得して流してしまう。
瑞樹が本当にイライザの言葉の意味を理解するのは、しばらく後の事であった。




